シドニーに来て3ヶ月経った頃の1月下旬から、2月下旬までの1ヶ月間の話し。
この頃、車がまた壊れる。
朝出勤しようとエンジンをかけようとするがかからない...。
セルが回る音はするが、エンジンはかからない...。
仕方なくその日はバスで出勤する。
夜帰ってきて、家の下の階の中華料理屋の店主のアンディにお願いして、ブースターケーブルを使ってエンジンをかける。
充電に時間はかかったが、エンジンは回った...。
これでかかるということはバッテリー関係の故障の可能性が高い...。
ただバッテリーは去年の修理の時に新品に替えたはず...。
お世話になっている修理工場に深夜、再び運ぶ。
数日経って修理工場から連絡が来る。
「毎日エンジンをかけたり切ったりしてチェックしているが、特に問題が無い...。」と言われる。
仕方ないので引き取りに行く。
その数日後、またかからなくなる...。
同じ感じでかからない...。
またアンディにお願いしてエンジンをかけてもらい深夜、修理工場に運ぶ。
また数日後、修理工場から「防犯装置の一部が漏電している...。故障に直接関係しているかは分からないが、ひとまずこれを直します....。」と。
修理代は400ドル、28000円。
購入して1年、6回目とかの修理...........。
再び引き取りに行く。
その数日後、またエンジンがかからない....。
さすがに心が折れる....。
不思議なのが、毎回家の駐車場でかからなくなる....。
職場から帰るときには起こらない。
だから毎回なんとかなる....。
またアンディにお願いする...。
その数日後、修理工場から連絡が来る。
「バッテリーのプラグの片方が漏電している...。」らしい。
ただ修理工場の人はめちゃくちゃ良い人で、毎回とても親切で。
今回は無料で交換してくれた。
おまけに切れていたテールランプも無料で交換してくれた。
車には去年の大修理の時から、電気系統を完全に切る謎のスイッチが運転席に付いていて、毎回エンジンを切るときは、このスイッチを切ることにした。
それからは一応問題無く走っている。
ただ毎回電気系統を切っているので、鍵の自動ロックが出来なくなったりした。
1月下旬からお蕎麦屋は年に1度の10連休に入った。
この休みのことは入店した時から言われてはいた。
スタッフの半分は日本に一時帰国した。
俺はラーメン屋に事情を話して、いつも以上にシフトに入れてもらった。
ただ一週間の半分ぐらいは休みだった。
最初はこの休みでエアーズロックでも見に行こうかなんて思っていたけど、2ヶ月ぐらい前に実家と話したのがきっかけだかなんだかで、祖母がこの休みに合わせてシドニーに遊びに来てくれることになった。
御年81歳。
今まで何度も海外旅行はしてきたし、何度もオーストラリアには来たことあるらしいけど、流石にここ最近は海外には行ってなかったらしい。
20数年前、実家で働いていた方が、シドニーでお蕎麦屋さんをやっていて、そこで俺が働いている。
俺が働き始めてから、オーナーと祖母は連絡を取ったみたいだし。
祖母のパスポートの残り期限があと1年あったこともあって。
本当に来ることが決まってからはすぐだった。
JTBで航空券とホテルを予約して。
俺は最初、毎晩自分の家に帰るか、近くの安宿に泊まろうと思っていたが、せっかくだからと同じホテルに俺の分を取ってくれたり。
こっちの山火事の状況を伝えたり。
オーストラリアの感じを伝えたり。
シドニーで行くところをルームメイトに相談して決めたり。
ホテルの駐車場に俺の車が、車の高さ的に停められるか下見に行ったら、案の定地下駐車場には俺の車は入らなかったり。
そんなことしていたらあっという間だった。
1月28日から31日まで、3泊4日。
前夜、羽田を深夜発のカンタス航空の夜行便でシドニーへ。
シドニー空港からホテルまではJTBのバスで来るらしい。
俺は到着しそうな時間に、ホテルの入り口で待つ。
さすがに祖母の携帯にはSIMも入って無いし、Wi-Fiを自分で入れられる訳でもないし。
困ったとき、迷ったときのために、近くの人に見せるための英文を作って送ってはあったけど、はたして本当に合流できるのかは分からないし。
一昔前以上の待ち合わせの仕方だし、シドニーだし。
なんて思っていたら、ホテルに着いたらすぐに会えた。
なんなら30分ぐらい俺より早く着いたらしい。
もう少し入国審査に時間がかかると思っていた...。
入国カードも飛行機で知り合った横の席の人に書いてもらい、預け荷物の引き取りも、入国審査も、送迎のバスも簡単だったらしい。
流石。
2年ぶりに祖母に会った。2年ぶりに親族に会った。
流石にこれは日本を出た時から想像はしてなかった。
ホテルはシドニーの一等地にあるヒルトン。
ヒルトン...。
今まで何百という宿に泊まってきた2年間の中で、断トツ。
比べてはいけないけど。
ここ1泊でいったい普段なら何泊出来るのか。
シドニーのど真ん中の立地。
タウンホールが窓から見える....。
日本で言えば丸の内とか銀座のエリア。
祖母はもっと疲れてるかと思ったけど、めちゃくちゃ元気で。
チェックインをして、部屋に荷物を置いて外に出る。
コンビニで公共交通機関のカードを買って。
近くのフードコートで、フレッシュジュースとコーヒーを買って、しばらく話した。
話しは止まらず。
2年前とまったく変わってもないし、老けてもいらっしゃらない。
まぁひとまずと、オペラハウスに向かう。
歩いて10分ぐらい。
俺はこないだぶり2回目。
ここ数日は雨が続いていたり、森林火災で空が煙っていたりしたが、久しぶりの快晴で。
暑くも無く、寒くも無く。
ここ最近の中で断トツで良い天気で。
トラムで1度ホテルに戻り、荷物を広げる。
ホテルまでのJTBのバスの中で、添乗員さんにオススメされたというレストランに行きたいが、そのお店の名前を忘れたと言う。
JTBシドニー支店のHPでオススメされていた、ダーリングハーバーのニックスというレストランへ行くことにする。
本人はピンと来てなかったけど、後日添乗員さんに確認したら、オススメされたのはこのお店だった。
ダーリングハーバーはホテルから歩いて10分ぐらい。
市内のど真ん中にあるハーバーで、どんな金持ちが所有しているのだろうというようなクルーザーが停泊してある。
よくタカとマユちゃんと家から酒持って来て、ベンチで座って呑んだ場所。
周りはいかにもな高級なレストランばかりで、俺らは入れるはずも無く、マックでつまみを買ってきて呑んでいたような場所。
ニックスの店内は賑わっていて。
こんなお洒落で大きな高級なレストランで食事をするのも海外では久しぶりで。
祖母は肉類を一切食べないから、写真無しの英語メニューは中々ハードルが高い。
最近はラーメン屋の接客以外でほとんど英語喋らないし。
なんとか隣のテーブルの人が食べていて美味しそうだったムール貝とビールを頼む。
追加でエビのフライも頼んで。
めちゃくちゃ美味しかった。
長い長い、2年間の話しと、地元の話しをして。
だいぶここで話して。
ダーリングハーバーは夜景が綺麗だから散歩して。
ホテル近くに戻って韓国料理屋に入って深夜まで再び呑んだ。
1時近くにホテルに戻り、無事初日終了。
2日目。
午前中に起きて、支度して。
俺が起きた頃には、祖母はもうとっくに起きてて準備していた。
近くの韓国系の喫茶店で朝食。
俺はハンバーガー。
祖母はアボカドクリームのパン。
美味しかった。
この日は動物園に行く。
シドニーには動物園がいくつかある。
その中でルームメイトにお勧めされた郊外の動物園へ。
人も少ないし、コアラが近いらしい。
タウンホールからメトロに乗って、途中で乗り換えて郊外のブラックタウンで降りる。
ここまで40分ぐらい。
そこから路線バスに乗り換えて数分。
マジでこんなところに動物園があるのかと疑うほどの住宅街。
フェザーデール・ワイルドライフパーク。
お客さんはオーストラリア人ばかり。
平日ともあって空いていた。
中はけっこう広くて。
オーストラリア中の動物がいる。
メルボルンの方まで行けば見れるらしい、オーストラリアのペンギン。
10分も進んだらコアラゾーンへ。
コアラは数匹いるのかと思っていたら、たくさんのコアラが飼育されていた。
数十匹いた。
コアラゾーンだけで広いし、いくつも飼育小屋がある。
なめてた、めちゃくちゃ可愛かった。
ほとんど寝てるけど、けっこう動く。
みんなオーストラリアに来て動物園でコアラ見ているから、アホか、東京でも見れるじゃんと思ってきたが、舐めてた。
全然違う。
コアラと写真撮ってもらって。
これが出来る動物園が今は少ないらしい。
俺はコアラより、写真撮ってくれるスタッフさんの英語に集中して緊張している顔。
こんなデカいトカゲとか、ペンギンを野生で見たい。
あとはカンガルーとか、オオカミとか、インコがいた。
残念だったのはタスマニアンデビルが小屋に入ってて見れなかったぐらい。
2時間ぐらい見てバスと電車で再び戻る。
ホテル近くのブランド店が集まっているテナントへ。
有名ブランドが多く出店しているエリア。
祖母は皮の鞄が欲しいと言っていた。
歩きながら気になったお店に入る。
店員さんは話しかけてきて。
久しぶりに本気で英語を聞いて、話す。
どうにかこうにか通訳をする。
イタリアのブランドらしい。
色とか、大きさとか、値段とか、特徴を説明してもらい。
どうもこのお店は日本人スタッフがいるらしく、明日は出勤するらしい。
また考えて明日来ますと言って。
お洒落な喫茶店に入る。
シドニーはお洒落な喫茶店とかたくさんあるけど、無縁な生活をしてた。
お洒落すぎる。人生で入った喫茶店で1番お洒落だった。
一度ホテルに戻り、夕食に出かける。
オーストラリアに来て外食とかしてないから、お店とか知らないし。
どこに行っていいか分からないし。
だいたい名物料理とか無い国だし。
迷ったあげく、前に1度深夜に歩いたことがあったチャイナタウンへ。
中華なら、肉以外のメニューもありそうだし。
コロナが中国国内で流行始めてて、外国でも発症者が出始めた時期だった。
風評被害でチャイナタウンは人がまばらだった。
普段なら国籍関係無く賑わっているのに、中国系の人が数人歩いているだけ。
アレンジ出来るタイプの火鍋のお店へ。
スープ選んで、具材選んで、調味料選んでの火鍋屋さん。
めちゃくちゃ美味しかった。
ちゃんとした鍋も久しぶりに食べさせていただいた。
この夜もたくさん話しをして。
今まで知らなかった話しもたくさん聞いて。
チャイナタウンから中心地の方へ戻り、タカとマユちゃんと何度か呑みに行った韓国居酒屋に行く。
この夜も深夜までお酒をいただいて、1時頃ホテルに戻る。
3日目。
海を見に行く日。
そして夜は働いているお蕎麦屋さんへ、夕食をいただきに行く日。
この日からお店は営業を再開していた。
俺は今日と明日の2日間のお休みを貰っていた。
10時頃ホテルを出る。
今日のルートもルームメイトにオススメされた行程。
トラムでサーキュラーキーに向かう。
サーキュラーキーはオペラハウスの横にある、船着き場。
シドニーは入り江の街だから、ここを中心にシドニーのあちこちに船が運航されている。
バスや地下鉄と同じカードで乗り降り出来る。
船も市民の公共交通。今回初めて乗るけど。
サーキュラーキーから、シドニー北東部にあるマンリーへの直通の船に乗る。
片道10ドルとか...?
ただ1日の上限が16ドルだかなので、それ以上はいくら公共交通機関に乗っても料金は発生しない。
あと日曜日は上限が2ドルだか。
遊覧船みたいなデカい船。
マンリー行きは旅行客ばかりだけど、外国人旅行客はわざわざ乗らないので、オーストラリア人ばかりだった。
出港してすぐに右側にオペラハウス。
この日も快晴で船は気持ちが良かった。
30分ぐらいでマンリーに到着。
ビーチ沿いのレストランに入って昼食をいただく。
シーフードパスタとグリーンサラダ。
マンリービーチ。
去年のクリスマスに来て以来2度目。
ここのビーチが1番シドニーでは綺麗な気がする。
海は眺めるだけで。
再び船で中心部へ戻る。
早めの時間に戻ったので、昨日行った鞄屋さんに再び行く。
昨日聞いたように、ホントに日本人のスタッフさんがこの日はいた。
シドニーに住んで長いらしいオバ様で、あとはその方が祖母と色々話してた。
その光景を見ていた、昨日対応してくれたスタッフ達は俺の顔を見て「お前今日は通訳しなくていいし、することも無くて良いな!!」と爆笑してた。
祖母は2つ鞄を購入した。
旅行者がある一定の高額な買い物を一店舗ですると、空港で税金が返ってくる。
それだけで5000円ぐらい返ってくる。
そのやり方も色々説明をしてくれた。
もちろん空港の対応は英語だけど、やってみるらしい。
ホントに凄い。
その後は日本へのお土産を探す。
チョコレート屋さんでチョコを買う。
あとカンガルーの人形。
それと俺のオススメで、オーストラリア人がみんな大好きなチョコのお菓子、TimTamをスーパーで大量に買う。国民食。
1つ2ドルぐらいだけど、変にお土産屋さんで買うより絶対こっちの方が良いと思った。
オーストラリアに来て初めて食べた時は感動した。
オーストラリアでしか見たこと無いし、めちゃ旨い。
カロリーヤバいけど。
ホテルに荷物を置いてバスでお蕎麦屋さんに向かう。
お願いして予約はしてあった。
祖母がお店へ用の差し入れで、日本からたくさんのお煎餅を持ってきてくれた。
オーナーは先週の休暇中に日本に帰っていて、実家に寄ってくれたらしく、祖母とは数日前に会っている。
帰国する度に実家で食事をしていただいてたらしい。
祖母はこのお店に来るのは初めてだった。
お休みを貰っているので申し訳無いが、店内は満席でみんな超忙しそうだった。
お店からオードブルをいただいて。
カルパッチョと卵焼きとお新香を注文した。
普段食べている鉄板系と賄いで食べている以外のメニューをここぞとばかりに注文して。
お店の生ビールはオリオンビールで、普段は眺めるだけだけどここぞばかりに。
オリオンも数年ぶりだし。
あと、ホントここぞとばかりに焼酎をいただいた...。
みんな超忙しそうだけど、焼酎も久しぶりすぎてヤバい。
最後にお蕎麦をいただいた。
せいろとくるみ蕎麦。
なんだかんだ働き始めて3ヶ月で初めてお蕎麦を食べた。
美味しかった。
オーナーの奥様も来てくれて。
祖母にオーストラリアのお土産を渡してくれた。
会計をしようとしたら、オーナーご夫妻からお金は貰うなと言われていると受け取って貰えなかった。
ご夫妻が日本に行くたびに実家で食事をするが、実家も毎回ご夫妻からお会計は貰っていないからだと奥様はおっしゃっていた。
俺はただただタダで、職場のご馳走とお酒をいただいた。
閉店の時間が来たので一度お店を出て、近くのバーで1杯ワインをいただいて、再びお店に戻る。
奥様のご両親も来てくれた。
奥様は実家近くの高校に留学していたし、オーナーが実家で働いていたときや、奥様のご両親が日本に遊びに来たときは、実家に食事に来てくれていたらしい。
ご両親も祖母のことを覚えていたし。
そんなこと知らなかったし、自分がきっかけだけども不思議な光景。
最後は奥様がホテルに車で送ってくれた。
部屋でビール呑んで寝た。
4日目、最終日。
朝食はせっかくだからホテルで食事がしたいということで、ホテルのレストランでビュッフェ。
予約無しで入れた。美味しかった。
買い物も昨日すませたし、行く場所も特に無いので、中心部にあるシドニータワーへ。
タワーもなんとなく下から見た事はあったけど入るのは初めて。
展望台へ。
住んでいて、普段歩いている街が上から見れた。
この街はもう、今までのような観光で来た街では無く、住んでいる街なんだと改めて思った。
地名も、道も、もうよく知っている。
夕方、電車とバスを乗り継いでシドニー空港へ。
チックインもすぐに出来て。
時間まで、空港の中のうどん屋で食事して。
最後はゲートでお別れをした。
まぁ、ここまでも山ほど色々なことがあったし、一生覚えている出来事も山ほどあった2年3ヶ月だったけど、この4日間もそうなるわけで。
今の仕事があるのも実家のおかげだし。
そもそもシドニーに来た理由もそうだったりするし。
それがこの4日間にもなったし。
俺1円も使ってないけど...。
間違いなく、日本を出てから1番大きくて柔らかい布団で寝た4日間で。
間違いなく1番良い物を食べた4日間だった。
オーストラリアに来て、ろくに外食も観光もしてなかったし。
そして何より、こういう機会だから、こういう状況だから、色々な話しを聞いた。
今まで聞かなかったことも、知らなかったことも。
ビックリするような話しもあった。
次に会えるのは、いつになることか....。
日本に帰った時なのか。
またシドニー遊びに来てとも話したから、シドニーなのか。
とにかく祖母が元気で長生きしてもらうのを祈るしかない。
また会った時は、きっとこの4日間の話しをして、もっと面白い話しが出来るはずだから。
空港からバスと電車を乗り継いで住んでいる家に帰る。
協力してくれたルームメイトにも感謝して、色々感想を話して寝た。
翌日、日本から無事に帰ったと連絡が来た。
結局空港であの後、一人で買った鞄のTAXリターンを一人でやったらしい。
無事に返金されたらしい。
マジで凄すぎる、俺でも自信無い。
次の日からまた毎日働いた。
休みも無しで、週7で昼夜、蕎麦屋とラーメン屋で働いた。
30連勤を超えたあたりから、半日でいいから休みが欲しいと思いながら。
それでも、今は働くことが最優先、いつか来る長い長い夏休みのため、とにかく働いて貯金した。
この頃、オーナーと話し合いをした。元々俺は数ヶ月でシドニーを離れる気でいた。
タカも帰ったし、またファームに戻るつもりだった。
それは事前にお店にも話してあった。
ただ、こないだ祖母が来て、俺と一緒にいるところを見て、思うことがあったと言われた。
ファームでは無く、シドニーで働き続ければと提案される。
ファーム仕事は金銭的にはいいけど、安定はしない。
ビザ的な色々な制限や金銭的なこともこの先考慮してくれる言ってくれた。
たしかにそれは間違いなかった。
ここならいきなり仕事が無くなることや、天候や収穫で収入が左右することもない。
そして賄いが出るから食費がかからない。ガソリン代も。
ただ1点、シドニーに居続けると言うことは、新たな何かが無いというのはあるけど。
ありがたい話しだし、またあのファームのゴタゴタに戻るのもアレなので、この先しばらくここで働かせてもらうことにした。
この先数ヶ月はシドニーから離れない。
お店からは、買い出し当番のお仕事を追加でいただき、毎日ランチ営業後にスーパーに買い物に行った。
それだけでも勤務時間が延びた。
ラーメン屋とも同じ交渉をした。
交渉の結果、時給が上がり、仕込みの時間が増えた。
この結果、週7で働いているが、ファームで時給で働いていた頃の給料を上回った。
食費もガソリン代もかからないから貯蓄に回せるお金も増えた。
住んでいる街は職場から12km離れている。
車だと駐車場を探す時間も入れて、片道40分以上かかる。
あと、昼と夜の間の中休みに帰れないのでお店でノンビリしているしかない。
他のスタッフが帰って昼寝しているのが羨ましかった。
真剣にニュートラルベイへの引っ越しを考える。
今住んでいるグレイズビルは家賃も安いし、大家もルームメイトも最高だけど、ただ遠い。
探している中で、1つの家が見つかった。
内見させてもらう。
お店からは歩いて15分。
通勤時間も短くなるし、中休みで帰れる。
2月の中旬、ニュートラルベイへの引っ越しを決めた。
グレイズビルの家の下の階にある中華料理屋の店主アンディ。
いつからか仲良くなって、毎日世間話をした。
アンディともお別れ。
2月24日の月曜日。
グレイズビルからニュートラルベイへ引っ越す。
まぁグレイズビルはたまには遊びに行くだろうし。
新しい家は家賃が週200ドル、15000円。
前の家に比べたら60ドルも上がる。
ただ高級住宅地のニュートラルベイでは最安値。仕方ない。
家は6部屋あって、みんな日本人。男は俺だけ。シドニーの日本人は男が少ない。
大家さんも日本人。こっちに何十年も住んでいるお婆さん。
この家は帰国した妹さんの持ち家らしい。
キッチンも狭いし、冷蔵庫も狭くなった。
共有スペースも無いので、他のルームメイトと話すこともほぼ無い。
食事も自分の部屋で食べるし。
洗濯機も1回3ドルかかるし、乾燥機無いし。
洗濯干し場は午後は日が当たらないし。
ただ家の前のストリートパーキングが無料なのはありがたい。
部屋の大きさは2倍ぐらいに広くなった。
謎のダブルベッド。
机もありがたい。
仕事場に歩いて通えることになって生活は激変した。
めちゃくちゃ快適。毎日昼寝が出来る。
ただ、グレイズビルでは毎晩ルームメイトと酒を呑んでいたが、ここでは無くなった。
本当に人と会話することが無くなった。
2ヶ月くらい前に、モンゴル、中国、インドと一緒に周り、4ヶ月前にゴールドコーストで会った拓郎から連絡があった。
「久石譲のコンサートがオーストラリアであるぞ」と。
場所は第二の都市メルボルン。
二つ返事で行くと答え、チケットを取ってもらった。
ジブリ曲だけの公演は完売だったらしく、違う日の公演を取ってもらった。
お店から3日間のお休みを貰って、引っ越しの次の日から3日間の小旅行に向かう。
祖母が帰った日から、56日ぶりの休みだった。
シドニー空港へ。
3日間なので小さな鞄に最低限の荷物だけ詰めた。
丸1年ぶりの飛行機。オーストラリアに来たとき以来。
散々乗ってきたのに。
次はオーストラリアから出国する時かと夢見てきたのに、まさかの国内線。
メルボルンまでは1時間ちょっと、70ドルぐらいだった。
グレイズビルのルームメイトから貰った、メルボルンでの公共交通機関のカードにはけっこう残金があって、タダで空港から市街地にバスで向かう。
メルボルンの中央駅、サザンクロス駅。
メルボルンは大都市だった。
こっちのがシドニーより歴史は古いし。
ここはビクトリア州。これで3つめの州。
駅からトラムで15分ぐらいの安宿に向かう。
宿は俺が拓郎と二人分を予約してあった。
こういうの自体が久しぶり。
拓郎は先に着いていた。
4ヶ月ぶり。
彼はブリスベンで車の洗車の仕事をしていた。
コンサートは明日。
この夜は事前に約束してあった。
マンダベラの隣人、サキコちゃん達がメルボルンに住んでいた。
サキコちゃん達の家に拓郎と呑みに行く。
マンダベラで一緒だったサヤさんもメルボルンに住んでいて、エミコやんも旅行中でたまたまメルボルンにいて、二人も来ていた。
たかが4ヶ月だけど、懐かしいというか、なんか変な感じで。
ここ4ヶ月、みんなファームから都市に来て生活も仕事も変わって。
色々な話しをして。
まぁみんなまたすぐ会う気がするし。
宿に拓郎とエミコやんと戻って、グダグダと深夜まで呑んだ。
翌日。
久しぶりの休みすぎて、宿で夕方まで寝て過ごす。
拓郎はどっかに行っていた。
コンサートが始まる2時間ぐらい前に向かう。
会場はトラムで10分ぐらい。
ハマーホール。
中心地。
大きなホール。
お客さんは日本人ばかりかなと思っていたが、日本人はほとんどみかけなかった。
現地の人が多い。中国系とかアジア人も多い。
スゲぇ。
物販。
開場。
席は2階席。
メルボルンシンフォニーオーケストラの本拠地なのか。
綺麗なホール。
コンサートは久石譲とメルボルンシンフォニーオーケストラの演奏。
チケットは175ドル。13000円。
この日もほぼ満席だった。
自分でチケット買ってコンサートに来るというのが何年ぶりなのか....。
日本ではあれほど見ていたライブももうずっと見ていないし。
久しぶりすぎて二人でめちゃくちゃ浮かれる。
めちゃ楽しい。
開演時間になって、オーケストラメンバーが入場して着席して。
その後、久石譲が出てきたときはただただ感動した。
本当にこの人っているんだってのと。
大勢の外国人からの大きな拍手と。
こんな場所で、拓郎と久石譲のコンサートを見ることになるとも思って無くて。
演奏曲はジブリや映画以外の曲で。
知らない曲だけど十分すぎるヤバさで。
中盤、ジブリはやらないと思っていたら、千と千尋の新入歌をやってくれた。
日本人なら全員が知っている曲。
鳥肌が止まらなくなって、これやべぇと思っていたら、隣から拓郎の泣き声が聞こえて笑った。
そりゃそうなるわ、ヤバすぎた。
アンコールはとなりのトトロだった。
最高だった。
わざわざメルボルンに来た意味は十二分にあった。
一生のうちどこかで見れるかなと長年思っていた久石譲のコンサートが、まさかこんな場所で見れた。
拓郎君ホントにありがとう。
ジブリとか北野映画とかCM曲とか、まだまだ聞きたい曲が山ほどある。
また行ってみたい。
帰る。
宿近くで、今夜のコンサートに来ていた拓郎のお友達と3人で夕食。
今夜ぐらいは贅沢に。
中華料理屋。ビールと合わせて30ドルぐらいしたけど。
翌日、シドニーに帰る。
久しぶりのドミトリーだった。
飛行機はお互い夕方。
せっかくなので観光する。
美しい図書館で有名な、ビクトリア州立図書館。
綺麗な図書館。
アボリジニの写真展示。
メルボルンはトラムが山ほど走っている。
街もシドニーよりは情緒がある感じ。
クイーンビクトリアマーケット。
ロイヤルアーケード。
フリンダース・ストリート駅。
オーストラリアで1番古い駅。
駅の向かいの教会。
観光は、まぁ、良い気分転換になったというか。
シドニーとそんなに変わらないし...。
面白みも無いし....。
拓郎とそのままサザンクロス駅でお別れする。
別に名残惜しくも無く。
どうせまたすぐ会うし。
今回でもう4回目だし。
お互いまだまだオーストラリアにいるし。
駅からシャトルバスで空港へ。
帰りの飛行機はメルボルン郊外の小さな空港から飛ぶ。
着くと、マジかと思うほど小さな空港。
帰りはJETSTAR。
夜には慣れ親しんだニュートラルベイに戻ってきた。
翌日から、また毎日ただただ働いた。
にほんブログ村
にほんブログ村
この頃、車がまた壊れる。
朝出勤しようとエンジンをかけようとするがかからない...。
セルが回る音はするが、エンジンはかからない...。
仕方なくその日はバスで出勤する。
夜帰ってきて、家の下の階の中華料理屋の店主のアンディにお願いして、ブースターケーブルを使ってエンジンをかける。
充電に時間はかかったが、エンジンは回った...。
これでかかるということはバッテリー関係の故障の可能性が高い...。
ただバッテリーは去年の修理の時に新品に替えたはず...。
お世話になっている修理工場に深夜、再び運ぶ。
数日経って修理工場から連絡が来る。
「毎日エンジンをかけたり切ったりしてチェックしているが、特に問題が無い...。」と言われる。
仕方ないので引き取りに行く。
その数日後、またかからなくなる...。
同じ感じでかからない...。
またアンディにお願いしてエンジンをかけてもらい深夜、修理工場に運ぶ。
また数日後、修理工場から「防犯装置の一部が漏電している...。故障に直接関係しているかは分からないが、ひとまずこれを直します....。」と。
修理代は400ドル、28000円。
購入して1年、6回目とかの修理...........。
再び引き取りに行く。
その数日後、またエンジンがかからない....。
さすがに心が折れる....。
不思議なのが、毎回家の駐車場でかからなくなる....。
職場から帰るときには起こらない。
だから毎回なんとかなる....。
またアンディにお願いする...。
その数日後、修理工場から連絡が来る。
「バッテリーのプラグの片方が漏電している...。」らしい。
ただ修理工場の人はめちゃくちゃ良い人で、毎回とても親切で。
今回は無料で交換してくれた。
おまけに切れていたテールランプも無料で交換してくれた。
車には去年の大修理の時から、電気系統を完全に切る謎のスイッチが運転席に付いていて、毎回エンジンを切るときは、このスイッチを切ることにした。
それからは一応問題無く走っている。
ただ毎回電気系統を切っているので、鍵の自動ロックが出来なくなったりした。
1月下旬からお蕎麦屋は年に1度の10連休に入った。
この休みのことは入店した時から言われてはいた。
スタッフの半分は日本に一時帰国した。
俺はラーメン屋に事情を話して、いつも以上にシフトに入れてもらった。
ただ一週間の半分ぐらいは休みだった。
最初はこの休みでエアーズロックでも見に行こうかなんて思っていたけど、2ヶ月ぐらい前に実家と話したのがきっかけだかなんだかで、祖母がこの休みに合わせてシドニーに遊びに来てくれることになった。
御年81歳。
今まで何度も海外旅行はしてきたし、何度もオーストラリアには来たことあるらしいけど、流石にここ最近は海外には行ってなかったらしい。
20数年前、実家で働いていた方が、シドニーでお蕎麦屋さんをやっていて、そこで俺が働いている。
俺が働き始めてから、オーナーと祖母は連絡を取ったみたいだし。
祖母のパスポートの残り期限があと1年あったこともあって。
本当に来ることが決まってからはすぐだった。
JTBで航空券とホテルを予約して。
俺は最初、毎晩自分の家に帰るか、近くの安宿に泊まろうと思っていたが、せっかくだからと同じホテルに俺の分を取ってくれたり。
こっちの山火事の状況を伝えたり。
オーストラリアの感じを伝えたり。
シドニーで行くところをルームメイトに相談して決めたり。
ホテルの駐車場に俺の車が、車の高さ的に停められるか下見に行ったら、案の定地下駐車場には俺の車は入らなかったり。
そんなことしていたらあっという間だった。
1月28日から31日まで、3泊4日。
前夜、羽田を深夜発のカンタス航空の夜行便でシドニーへ。
シドニー空港からホテルまではJTBのバスで来るらしい。
俺は到着しそうな時間に、ホテルの入り口で待つ。
さすがに祖母の携帯にはSIMも入って無いし、Wi-Fiを自分で入れられる訳でもないし。
困ったとき、迷ったときのために、近くの人に見せるための英文を作って送ってはあったけど、はたして本当に合流できるのかは分からないし。
一昔前以上の待ち合わせの仕方だし、シドニーだし。
なんて思っていたら、ホテルに着いたらすぐに会えた。
なんなら30分ぐらい俺より早く着いたらしい。
もう少し入国審査に時間がかかると思っていた...。
入国カードも飛行機で知り合った横の席の人に書いてもらい、預け荷物の引き取りも、入国審査も、送迎のバスも簡単だったらしい。
流石。
2年ぶりに祖母に会った。2年ぶりに親族に会った。
流石にこれは日本を出た時から想像はしてなかった。
ホテルはシドニーの一等地にあるヒルトン。
ヒルトン...。
今まで何百という宿に泊まってきた2年間の中で、断トツ。
比べてはいけないけど。
ここ1泊でいったい普段なら何泊出来るのか。
シドニーのど真ん中の立地。
タウンホールが窓から見える....。
日本で言えば丸の内とか銀座のエリア。
祖母はもっと疲れてるかと思ったけど、めちゃくちゃ元気で。
チェックインをして、部屋に荷物を置いて外に出る。
コンビニで公共交通機関のカードを買って。
近くのフードコートで、フレッシュジュースとコーヒーを買って、しばらく話した。
話しは止まらず。
2年前とまったく変わってもないし、老けてもいらっしゃらない。
まぁひとまずと、オペラハウスに向かう。
歩いて10分ぐらい。
俺はこないだぶり2回目。
ここ数日は雨が続いていたり、森林火災で空が煙っていたりしたが、久しぶりの快晴で。
暑くも無く、寒くも無く。
ここ最近の中で断トツで良い天気で。
トラムで1度ホテルに戻り、荷物を広げる。
ホテルまでのJTBのバスの中で、添乗員さんにオススメされたというレストランに行きたいが、そのお店の名前を忘れたと言う。
JTBシドニー支店のHPでオススメされていた、ダーリングハーバーのニックスというレストランへ行くことにする。
本人はピンと来てなかったけど、後日添乗員さんに確認したら、オススメされたのはこのお店だった。
ダーリングハーバーはホテルから歩いて10分ぐらい。
市内のど真ん中にあるハーバーで、どんな金持ちが所有しているのだろうというようなクルーザーが停泊してある。
よくタカとマユちゃんと家から酒持って来て、ベンチで座って呑んだ場所。
周りはいかにもな高級なレストランばかりで、俺らは入れるはずも無く、マックでつまみを買ってきて呑んでいたような場所。
ニックスの店内は賑わっていて。
こんなお洒落で大きな高級なレストランで食事をするのも海外では久しぶりで。
祖母は肉類を一切食べないから、写真無しの英語メニューは中々ハードルが高い。
最近はラーメン屋の接客以外でほとんど英語喋らないし。
なんとか隣のテーブルの人が食べていて美味しそうだったムール貝とビールを頼む。
追加でエビのフライも頼んで。
めちゃくちゃ美味しかった。
長い長い、2年間の話しと、地元の話しをして。
だいぶここで話して。
ダーリングハーバーは夜景が綺麗だから散歩して。
ホテル近くに戻って韓国料理屋に入って深夜まで再び呑んだ。
1時近くにホテルに戻り、無事初日終了。
2日目。
午前中に起きて、支度して。
俺が起きた頃には、祖母はもうとっくに起きてて準備していた。
近くの韓国系の喫茶店で朝食。
俺はハンバーガー。
祖母はアボカドクリームのパン。
美味しかった。
この日は動物園に行く。
シドニーには動物園がいくつかある。
その中でルームメイトにお勧めされた郊外の動物園へ。
人も少ないし、コアラが近いらしい。
タウンホールからメトロに乗って、途中で乗り換えて郊外のブラックタウンで降りる。
ここまで40分ぐらい。
そこから路線バスに乗り換えて数分。
マジでこんなところに動物園があるのかと疑うほどの住宅街。
フェザーデール・ワイルドライフパーク。
お客さんはオーストラリア人ばかり。
平日ともあって空いていた。
中はけっこう広くて。
オーストラリア中の動物がいる。
メルボルンの方まで行けば見れるらしい、オーストラリアのペンギン。
10分も進んだらコアラゾーンへ。
コアラは数匹いるのかと思っていたら、たくさんのコアラが飼育されていた。
数十匹いた。
コアラゾーンだけで広いし、いくつも飼育小屋がある。
なめてた、めちゃくちゃ可愛かった。
ほとんど寝てるけど、けっこう動く。
みんなオーストラリアに来て動物園でコアラ見ているから、アホか、東京でも見れるじゃんと思ってきたが、舐めてた。
全然違う。
コアラと写真撮ってもらって。
これが出来る動物園が今は少ないらしい。
俺はコアラより、写真撮ってくれるスタッフさんの英語に集中して緊張している顔。
こんなデカいトカゲとか、ペンギンを野生で見たい。
あとはカンガルーとか、オオカミとか、インコがいた。
残念だったのはタスマニアンデビルが小屋に入ってて見れなかったぐらい。
2時間ぐらい見てバスと電車で再び戻る。
ホテル近くのブランド店が集まっているテナントへ。
有名ブランドが多く出店しているエリア。
祖母は皮の鞄が欲しいと言っていた。
歩きながら気になったお店に入る。
店員さんは話しかけてきて。
久しぶりに本気で英語を聞いて、話す。
どうにかこうにか通訳をする。
イタリアのブランドらしい。
色とか、大きさとか、値段とか、特徴を説明してもらい。
どうもこのお店は日本人スタッフがいるらしく、明日は出勤するらしい。
また考えて明日来ますと言って。
お洒落な喫茶店に入る。
シドニーはお洒落な喫茶店とかたくさんあるけど、無縁な生活をしてた。
お洒落すぎる。人生で入った喫茶店で1番お洒落だった。
一度ホテルに戻り、夕食に出かける。
オーストラリアに来て外食とかしてないから、お店とか知らないし。
どこに行っていいか分からないし。
だいたい名物料理とか無い国だし。
迷ったあげく、前に1度深夜に歩いたことがあったチャイナタウンへ。
中華なら、肉以外のメニューもありそうだし。
コロナが中国国内で流行始めてて、外国でも発症者が出始めた時期だった。
風評被害でチャイナタウンは人がまばらだった。
普段なら国籍関係無く賑わっているのに、中国系の人が数人歩いているだけ。
アレンジ出来るタイプの火鍋のお店へ。
スープ選んで、具材選んで、調味料選んでの火鍋屋さん。
めちゃくちゃ美味しかった。
ちゃんとした鍋も久しぶりに食べさせていただいた。
この夜もたくさん話しをして。
今まで知らなかった話しもたくさん聞いて。
チャイナタウンから中心地の方へ戻り、タカとマユちゃんと何度か呑みに行った韓国居酒屋に行く。
この夜も深夜までお酒をいただいて、1時頃ホテルに戻る。
3日目。
海を見に行く日。
そして夜は働いているお蕎麦屋さんへ、夕食をいただきに行く日。
この日からお店は営業を再開していた。
俺は今日と明日の2日間のお休みを貰っていた。
10時頃ホテルを出る。
今日のルートもルームメイトにオススメされた行程。
トラムでサーキュラーキーに向かう。
サーキュラーキーはオペラハウスの横にある、船着き場。
シドニーは入り江の街だから、ここを中心にシドニーのあちこちに船が運航されている。
バスや地下鉄と同じカードで乗り降り出来る。
船も市民の公共交通。今回初めて乗るけど。
サーキュラーキーから、シドニー北東部にあるマンリーへの直通の船に乗る。
片道10ドルとか...?
ただ1日の上限が16ドルだかなので、それ以上はいくら公共交通機関に乗っても料金は発生しない。
あと日曜日は上限が2ドルだか。
遊覧船みたいなデカい船。
マンリー行きは旅行客ばかりだけど、外国人旅行客はわざわざ乗らないので、オーストラリア人ばかりだった。
出港してすぐに右側にオペラハウス。
この日も快晴で船は気持ちが良かった。
30分ぐらいでマンリーに到着。
ビーチ沿いのレストランに入って昼食をいただく。
シーフードパスタとグリーンサラダ。
マンリービーチ。
去年のクリスマスに来て以来2度目。
ここのビーチが1番シドニーでは綺麗な気がする。
海は眺めるだけで。
再び船で中心部へ戻る。
早めの時間に戻ったので、昨日行った鞄屋さんに再び行く。
昨日聞いたように、ホントに日本人のスタッフさんがこの日はいた。
シドニーに住んで長いらしいオバ様で、あとはその方が祖母と色々話してた。
その光景を見ていた、昨日対応してくれたスタッフ達は俺の顔を見て「お前今日は通訳しなくていいし、することも無くて良いな!!」と爆笑してた。
祖母は2つ鞄を購入した。
旅行者がある一定の高額な買い物を一店舗ですると、空港で税金が返ってくる。
それだけで5000円ぐらい返ってくる。
そのやり方も色々説明をしてくれた。
もちろん空港の対応は英語だけど、やってみるらしい。
ホントに凄い。
その後は日本へのお土産を探す。
チョコレート屋さんでチョコを買う。
あとカンガルーの人形。
それと俺のオススメで、オーストラリア人がみんな大好きなチョコのお菓子、TimTamをスーパーで大量に買う。国民食。
1つ2ドルぐらいだけど、変にお土産屋さんで買うより絶対こっちの方が良いと思った。
オーストラリアに来て初めて食べた時は感動した。
オーストラリアでしか見たこと無いし、めちゃ旨い。
カロリーヤバいけど。
ホテルに荷物を置いてバスでお蕎麦屋さんに向かう。
お願いして予約はしてあった。
祖母がお店へ用の差し入れで、日本からたくさんのお煎餅を持ってきてくれた。
オーナーは先週の休暇中に日本に帰っていて、実家に寄ってくれたらしく、祖母とは数日前に会っている。
帰国する度に実家で食事をしていただいてたらしい。
祖母はこのお店に来るのは初めてだった。
お休みを貰っているので申し訳無いが、店内は満席でみんな超忙しそうだった。
お店からオードブルをいただいて。
カルパッチョと卵焼きとお新香を注文した。
普段食べている鉄板系と賄いで食べている以外のメニューをここぞとばかりに注文して。
お店の生ビールはオリオンビールで、普段は眺めるだけだけどここぞばかりに。
オリオンも数年ぶりだし。
あと、ホントここぞとばかりに焼酎をいただいた...。
みんな超忙しそうだけど、焼酎も久しぶりすぎてヤバい。
最後にお蕎麦をいただいた。
せいろとくるみ蕎麦。
なんだかんだ働き始めて3ヶ月で初めてお蕎麦を食べた。
美味しかった。
オーナーの奥様も来てくれて。
祖母にオーストラリアのお土産を渡してくれた。
会計をしようとしたら、オーナーご夫妻からお金は貰うなと言われていると受け取って貰えなかった。
ご夫妻が日本に行くたびに実家で食事をするが、実家も毎回ご夫妻からお会計は貰っていないからだと奥様はおっしゃっていた。
俺はただただタダで、職場のご馳走とお酒をいただいた。
閉店の時間が来たので一度お店を出て、近くのバーで1杯ワインをいただいて、再びお店に戻る。
奥様のご両親も来てくれた。
奥様は実家近くの高校に留学していたし、オーナーが実家で働いていたときや、奥様のご両親が日本に遊びに来たときは、実家に食事に来てくれていたらしい。
ご両親も祖母のことを覚えていたし。
そんなこと知らなかったし、自分がきっかけだけども不思議な光景。
最後は奥様がホテルに車で送ってくれた。
部屋でビール呑んで寝た。
4日目、最終日。
朝食はせっかくだからホテルで食事がしたいということで、ホテルのレストランでビュッフェ。
予約無しで入れた。美味しかった。
買い物も昨日すませたし、行く場所も特に無いので、中心部にあるシドニータワーへ。
タワーもなんとなく下から見た事はあったけど入るのは初めて。
展望台へ。
住んでいて、普段歩いている街が上から見れた。
この街はもう、今までのような観光で来た街では無く、住んでいる街なんだと改めて思った。
地名も、道も、もうよく知っている。
夕方、電車とバスを乗り継いでシドニー空港へ。
チックインもすぐに出来て。
時間まで、空港の中のうどん屋で食事して。
最後はゲートでお別れをした。
まぁ、ここまでも山ほど色々なことがあったし、一生覚えている出来事も山ほどあった2年3ヶ月だったけど、この4日間もそうなるわけで。
今の仕事があるのも実家のおかげだし。
そもそもシドニーに来た理由もそうだったりするし。
それがこの4日間にもなったし。
俺1円も使ってないけど...。
間違いなく、日本を出てから1番大きくて柔らかい布団で寝た4日間で。
間違いなく1番良い物を食べた4日間だった。
オーストラリアに来て、ろくに外食も観光もしてなかったし。
そして何より、こういう機会だから、こういう状況だから、色々な話しを聞いた。
今まで聞かなかったことも、知らなかったことも。
ビックリするような話しもあった。
次に会えるのは、いつになることか....。
日本に帰った時なのか。
またシドニー遊びに来てとも話したから、シドニーなのか。
とにかく祖母が元気で長生きしてもらうのを祈るしかない。
また会った時は、きっとこの4日間の話しをして、もっと面白い話しが出来るはずだから。
空港からバスと電車を乗り継いで住んでいる家に帰る。
協力してくれたルームメイトにも感謝して、色々感想を話して寝た。
翌日、日本から無事に帰ったと連絡が来た。
結局空港であの後、一人で買った鞄のTAXリターンを一人でやったらしい。
無事に返金されたらしい。
マジで凄すぎる、俺でも自信無い。
次の日からまた毎日働いた。
休みも無しで、週7で昼夜、蕎麦屋とラーメン屋で働いた。
30連勤を超えたあたりから、半日でいいから休みが欲しいと思いながら。
それでも、今は働くことが最優先、いつか来る長い長い夏休みのため、とにかく働いて貯金した。
この頃、オーナーと話し合いをした。元々俺は数ヶ月でシドニーを離れる気でいた。
タカも帰ったし、またファームに戻るつもりだった。
それは事前にお店にも話してあった。
ただ、こないだ祖母が来て、俺と一緒にいるところを見て、思うことがあったと言われた。
ファームでは無く、シドニーで働き続ければと提案される。
ファーム仕事は金銭的にはいいけど、安定はしない。
ビザ的な色々な制限や金銭的なこともこの先考慮してくれる言ってくれた。
たしかにそれは間違いなかった。
ここならいきなり仕事が無くなることや、天候や収穫で収入が左右することもない。
そして賄いが出るから食費がかからない。ガソリン代も。
ただ1点、シドニーに居続けると言うことは、新たな何かが無いというのはあるけど。
ありがたい話しだし、またあのファームのゴタゴタに戻るのもアレなので、この先しばらくここで働かせてもらうことにした。
この先数ヶ月はシドニーから離れない。
お店からは、買い出し当番のお仕事を追加でいただき、毎日ランチ営業後にスーパーに買い物に行った。
それだけでも勤務時間が延びた。
ラーメン屋とも同じ交渉をした。
交渉の結果、時給が上がり、仕込みの時間が増えた。
この結果、週7で働いているが、ファームで時給で働いていた頃の給料を上回った。
食費もガソリン代もかからないから貯蓄に回せるお金も増えた。
住んでいる街は職場から12km離れている。
車だと駐車場を探す時間も入れて、片道40分以上かかる。
あと、昼と夜の間の中休みに帰れないのでお店でノンビリしているしかない。
他のスタッフが帰って昼寝しているのが羨ましかった。
真剣にニュートラルベイへの引っ越しを考える。
今住んでいるグレイズビルは家賃も安いし、大家もルームメイトも最高だけど、ただ遠い。
探している中で、1つの家が見つかった。
内見させてもらう。
お店からは歩いて15分。
通勤時間も短くなるし、中休みで帰れる。
2月の中旬、ニュートラルベイへの引っ越しを決めた。
グレイズビルの家の下の階にある中華料理屋の店主アンディ。
いつからか仲良くなって、毎日世間話をした。
アンディともお別れ。
2月24日の月曜日。
グレイズビルからニュートラルベイへ引っ越す。
まぁグレイズビルはたまには遊びに行くだろうし。
新しい家は家賃が週200ドル、15000円。
前の家に比べたら60ドルも上がる。
ただ高級住宅地のニュートラルベイでは最安値。仕方ない。
家は6部屋あって、みんな日本人。男は俺だけ。シドニーの日本人は男が少ない。
大家さんも日本人。こっちに何十年も住んでいるお婆さん。
この家は帰国した妹さんの持ち家らしい。
キッチンも狭いし、冷蔵庫も狭くなった。
共有スペースも無いので、他のルームメイトと話すこともほぼ無い。
食事も自分の部屋で食べるし。
洗濯機も1回3ドルかかるし、乾燥機無いし。
洗濯干し場は午後は日が当たらないし。
ただ家の前のストリートパーキングが無料なのはありがたい。
部屋の大きさは2倍ぐらいに広くなった。
謎のダブルベッド。
机もありがたい。
仕事場に歩いて通えることになって生活は激変した。
めちゃくちゃ快適。毎日昼寝が出来る。
ただ、グレイズビルでは毎晩ルームメイトと酒を呑んでいたが、ここでは無くなった。
本当に人と会話することが無くなった。
2ヶ月くらい前に、モンゴル、中国、インドと一緒に周り、4ヶ月前にゴールドコーストで会った拓郎から連絡があった。
「久石譲のコンサートがオーストラリアであるぞ」と。
場所は第二の都市メルボルン。
二つ返事で行くと答え、チケットを取ってもらった。
ジブリ曲だけの公演は完売だったらしく、違う日の公演を取ってもらった。
お店から3日間のお休みを貰って、引っ越しの次の日から3日間の小旅行に向かう。
祖母が帰った日から、56日ぶりの休みだった。
シドニー空港へ。
3日間なので小さな鞄に最低限の荷物だけ詰めた。
丸1年ぶりの飛行機。オーストラリアに来たとき以来。
散々乗ってきたのに。
次はオーストラリアから出国する時かと夢見てきたのに、まさかの国内線。
メルボルンまでは1時間ちょっと、70ドルぐらいだった。
グレイズビルのルームメイトから貰った、メルボルンでの公共交通機関のカードにはけっこう残金があって、タダで空港から市街地にバスで向かう。
メルボルンの中央駅、サザンクロス駅。
メルボルンは大都市だった。
こっちのがシドニーより歴史は古いし。
ここはビクトリア州。これで3つめの州。
駅からトラムで15分ぐらいの安宿に向かう。
宿は俺が拓郎と二人分を予約してあった。
こういうの自体が久しぶり。
拓郎は先に着いていた。
4ヶ月ぶり。
彼はブリスベンで車の洗車の仕事をしていた。
コンサートは明日。
この夜は事前に約束してあった。
マンダベラの隣人、サキコちゃん達がメルボルンに住んでいた。
サキコちゃん達の家に拓郎と呑みに行く。
マンダベラで一緒だったサヤさんもメルボルンに住んでいて、エミコやんも旅行中でたまたまメルボルンにいて、二人も来ていた。
たかが4ヶ月だけど、懐かしいというか、なんか変な感じで。
ここ4ヶ月、みんなファームから都市に来て生活も仕事も変わって。
色々な話しをして。
まぁみんなまたすぐ会う気がするし。
宿に拓郎とエミコやんと戻って、グダグダと深夜まで呑んだ。
翌日。
久しぶりの休みすぎて、宿で夕方まで寝て過ごす。
拓郎はどっかに行っていた。
コンサートが始まる2時間ぐらい前に向かう。
会場はトラムで10分ぐらい。
ハマーホール。
中心地。
大きなホール。
お客さんは日本人ばかりかなと思っていたが、日本人はほとんどみかけなかった。
現地の人が多い。中国系とかアジア人も多い。
スゲぇ。
物販。
開場。
席は2階席。
メルボルンシンフォニーオーケストラの本拠地なのか。
綺麗なホール。
コンサートは久石譲とメルボルンシンフォニーオーケストラの演奏。
チケットは175ドル。13000円。
この日もほぼ満席だった。
自分でチケット買ってコンサートに来るというのが何年ぶりなのか....。
日本ではあれほど見ていたライブももうずっと見ていないし。
久しぶりすぎて二人でめちゃくちゃ浮かれる。
めちゃ楽しい。
開演時間になって、オーケストラメンバーが入場して着席して。
その後、久石譲が出てきたときはただただ感動した。
本当にこの人っているんだってのと。
大勢の外国人からの大きな拍手と。
こんな場所で、拓郎と久石譲のコンサートを見ることになるとも思って無くて。
演奏曲はジブリや映画以外の曲で。
知らない曲だけど十分すぎるヤバさで。
中盤、ジブリはやらないと思っていたら、千と千尋の新入歌をやってくれた。
日本人なら全員が知っている曲。
鳥肌が止まらなくなって、これやべぇと思っていたら、隣から拓郎の泣き声が聞こえて笑った。
そりゃそうなるわ、ヤバすぎた。
アンコールはとなりのトトロだった。
最高だった。
わざわざメルボルンに来た意味は十二分にあった。
一生のうちどこかで見れるかなと長年思っていた久石譲のコンサートが、まさかこんな場所で見れた。
拓郎君ホントにありがとう。
ジブリとか北野映画とかCM曲とか、まだまだ聞きたい曲が山ほどある。
また行ってみたい。
帰る。
宿近くで、今夜のコンサートに来ていた拓郎のお友達と3人で夕食。
今夜ぐらいは贅沢に。
中華料理屋。ビールと合わせて30ドルぐらいしたけど。
翌日、シドニーに帰る。
久しぶりのドミトリーだった。
飛行機はお互い夕方。
せっかくなので観光する。
美しい図書館で有名な、ビクトリア州立図書館。
綺麗な図書館。
アボリジニの写真展示。
メルボルンはトラムが山ほど走っている。
街もシドニーよりは情緒がある感じ。
クイーンビクトリアマーケット。
ロイヤルアーケード。
フリンダース・ストリート駅。
オーストラリアで1番古い駅。
駅の向かいの教会。
観光は、まぁ、良い気分転換になったというか。
シドニーとそんなに変わらないし...。
面白みも無いし....。
拓郎とそのままサザンクロス駅でお別れする。
別に名残惜しくも無く。
どうせまたすぐ会うし。
今回でもう4回目だし。
お互いまだまだオーストラリアにいるし。
駅からシャトルバスで空港へ。
帰りの飛行機はメルボルン郊外の小さな空港から飛ぶ。
着くと、マジかと思うほど小さな空港。
帰りはJETSTAR。
夜には慣れ親しんだニュートラルベイに戻ってきた。
翌日から、また毎日ただただ働いた。
にほんブログ村
にほんブログ村