この日記を7ヶ月ぶり書こうと思ったのは、先週の木曜日、7月15日のことがあったから。
もし、この世界一周旅行が続くなら、この日のことを思い出したくなる時が来ると思ったから。
どうせそのうち忘れるから。
日本を出たのが、2017年の12月19日だから、もう3年7ヶ月が経つ。
オーストラリアに来てから、2年5ヶ月が経つ。
そもそも、なぜ今だにオーストラリアにいるのかと考えると、日本に帰る理由が特に無いから。
この状況じゃなければ、帰って色々な場所で色々な人に会えるかもしれないけど、今帰っても全然長年待ち望んだ状況では無い。
それと日本に帰るよりマシだから。
現状仕事もあるし、収入も良い。
今はロックダウンしているけど、感染の状況も日本よりは良い。
もう少し言えば、俺は日本を出るときに、死んでもかまわないと思って出たから。
危険な国にも行くと思うし、危ない目にも遭うかもしれない。
ただそれでもいいから、どんなことがあってもいいから、行きたいなと思って出たから。
それがまだ死んでもいないし、キツい状況でも無い。
99.99%のバックパッカーが引き上げた中、まだ粘れている。
色々な理由で諦めた人がいる中、そこまでの理由も無い。
全人類が苦しんでて、たくさん人が厳しい状況の中、俺はラッキーな方だと思うし。
あとは単純に諦めていない。
どうしてもやっぱり残りの半周がしてみたい。
まだまだ行ってみたい場所がある。
その全てが終わってから日本に帰りたい。
今帰って見る日本の景色と、全てが終わった後に見る景色はやっぱりどうしても違う気がするから。
ただ、これは日本を出た初日からそうだけど、気持ちが変われば帰る。
来月帰るかもしれないし。
帰りたいし。
美味しいラーメン食べたいし。
さっさと終わらせて帰りたい。
こんなことを毎日考え続けた。
毎日毎日思った。
毎朝起きれば、またここか...と思った。
色々なパターンと選択肢を考えては、現状が良いと思っていた。
来年出られるかも分からない。
その時が来るまで、シドニーかもしれない。
ただ、その時はいつか突然来るんだろうと漠然と思っていた。
急いで荷物をまとめて出発するような時が来るような気はしていた。
俺が今選べるのはずっと3種類。
オーストラリアで現状維持。
ニュージーランドにワーホリで行く。
ただこれだと収入は3分の2になるのと、行ったら1年しかいられない。
あとあまりニュージーランドに興味が無い。
もしくは日本へ帰国。
年齢的に取れなくなるので、一応ニュージーランドビザは誕生日前に取ろうと思っていた。
取るだけなら無料だし。
それともう一つ、同僚だったトシさんと話していて、イギリスワーホリにも申し込みだけでもしておくことにした。
イギリスのワーキングホリディは定員制の抽選。
日本人の枠は年間1500人で、年2回の抽選で1月に800人、7月に700人当たる。
ただ毎回応募者がめちゃくちゃいるので、当たるのは毎回数%の確立だと言われていた。
制限無しのオーストラリアにコロナ前は毎年数万人が来ているのを考えれば、当たる可能性はめちゃくちゃ低い。
今まで知り合った人達からも、何年も毎回申し込んでいるが当たらないという話しは山ほど聞いてきた。
だからイギリスのワーキングホリデイの存在は知ってはいたが、申し込もうと思ったことすらなかった。
ただ今回がラストなのと、名前とパスポート番号を送るだけで無料だから申請だけはしてみた。
7月15日の木曜日。
朝からなんか変な日だった。
木曜日は一週間で1番早く終われる日で、ただ物量は1番多い。
空港の周りを1周するようなルート。
普段は出発したらすぐにラジオを聞くかバラエティを見るかするが、この日は出発するときに、いつか俺も誰かをトレーニングして、この仕事の引き継ぎをする日が来るのだろうかなんて考えごとをしながら運転していた。
俺をトレーニングしてくれたのはジェフとトシさんで、二人からルートとかお店をを教わった。
俺が再出発するころ。
1年後かもっと先か。
そんな頃になれば新たなワーホリの人もオーストラリアに入国が出来るようになる頃かもしれない。
それならば、日本人に教えるのかな?
韓国人か中国人かな。
そしたら最初にその人には、会社内では稼げて楽な方の車に配属されたよ、ラッキーだね、なんてことを話すのかな。
2週間のトレーニング期間でお互いの色々なことを話すのかな。
なんてことを考えていたら1軒目に着いた。
この日はずっと些細な、ホントにちょっとしたイライラすることが続いた。
朝から運転の荒いおっさんに、理不尽な状況で中指を立てられたり。
おばさんが他の車のことを考えずにむちゃくちゃな路上駐車をしていて停められなかったり。
配達先の店員の手際の悪さにイラッとしたり。
お店のオーナーから8時半には開店してるって言われたので行ったら9時半になっても開いてなかったり。
店員の都合で完全に2度手間になったり。
ケンカや大声を出すようなことでも無く。大きなトラブルでも無く。
ホントにちょっとしたイライラすることが続けて起きる日だった。
オーストラリアで生活していれば毎日のように起きる、なんでだよ...って思うようなこと。
ただこの日は起こりすぎてて、なんなの今日...って何回か思った。
この街に住み始めて、この仕事になって余計に感じる。
こんな些細なイライラが毎日本当に多い。
マジで運転が荒い奴が多すぎるし、何にも考えて無い奴が多すぎる。
俺も他人にしているかもしれないけども。
最終的には何回も今まで行ったことのある、数十箱を降ろす大きなお店があるショッピングモールで、普段使っているエレベーターを使おうとしたら、裏の他のエレベーター使えって言われて遠回りをさせられる。
そのお店の配達が終わって、何なんだ今日って思いながら搬入口に戻る。
携帯を見たら英語のメールが来ていた。
学校からか、政府系からか、銀行からか、パッと見で分からない。
英語の文章を読んでも、何系の内容のメールか分からない。
全文コピーしてGoogle翻訳に通す。
日本語で読んでも何のことだか今ひとつ分からない。
まったく頭の中に無かったのと、忘れかけていて、理解が出来なかった。
よく読んで、もしやと思って、もう一度確認する。
イギリスのワーキングホリデイに当選したということと、この先の手続きに関するメールだった。
当たるとはまったく思っていなかったから、頭の中に申し込んだことが入って無かった。
意識してなかった。
そういえば今朝起きたときに、当落の通知が来るなら今日か明日だなって一瞬思った。
本当にビックリした。
落ち着いて読み返すために煙草を持って外に出た。
もう1度読んで、本当に当選したことを確認して、そのまましゃがみ込んだ。
しゃがみ込んだまま、やっと出れるんだ、この国から出られるんだ、出れるんだと、何度も何度も呟いた。
イギリスに行けるとか、ロンドンに住めるとかじゃなくて、この国から出ることが出来る、次の展開が待っていることが、めちゃくちゃ嬉しかった。
ファーム時代に毎日空を見ながら思ったこと、レストラン時代に家からお店まで歩きながら毎日思ったこと、トラックを運転しながら毎日思ったこと。
いつになったらこの国を出られるんだろう。
それはいつで、どこへなんだろう。
その答えがこれだった。
突然の展開だった。
そして、まさかの、まったく思ってもいなかった展開だった。
数%しか当たらないと言われるイギリスのワーホリビザに一発で当たった。
さすがに想像していなかった。
トラックに戻って、次の配達先に向かう。
ラジオも聞かず、無音で考えごとを続けながら運転した。
色々なことを考えた。
でもそれ以上に、出られるという感情が頭の中のほとんどだった。
当たるなんてまったく考えてなかったから、当たった場合の先の事をまったく考えてこなかったから。
変な話し、ビックリしたのが、そこから会社に戻るまで、空と街が本当に綺麗に見えた。
毎日見慣れた、見飽きた光景がピカピカでキラキラだった。
こんな感覚も本当に久しぶりだった。
もの凄いテンションが高かった。
帰り道は普段は使わない、ハーバーブリッチを渡ってオペラハウスを眺めて帰った。
もうこの景色も、この街にも終わりが見えた。
やっと、やっと、終わりが見えた。
会社に戻って、家に帰る前に近所の教会に寄った。
神社無いし。
それぐらい誰かに色々感謝がしたかった。
初めて来た、アルメニア聖教の教会。
家に帰って、夜は色々な人に報告した。
とにかく誰かに話したかった。
翌日からは具体的に色々なことを考え始めた。
ずっと思っていたこと。
その時は突然来るんだろう。
突然荷物をまとめるときが来るんだろう。
思っていた通りになった。
そもそも今の会社に転職しなければ、トシさんとは知り合わなかった。
トシさんに知り合わなければ応募もしなかった。
トシさんが粘って、シドニーからロンドンへ行った前例を作ってくれたから、俺も挑戦が出来る。
この生活の終わりも近い。
一気に忙しくなった。
ビザについても色々調べて、ルールを知る。
まだ当選しただけであって、ビザを申請する権利を得ただけ。
まずは申請しなければならない。
出国と入国は早くても4ヶ月先から半年後ぐらいになりそうなこと。
そこまでの経緯と流れを調べる。
イギリスは他の国と違い2年間のビザが下りる。
半年後に入国したとして、イギリスにいられるのは2年半後まで。
2年半の時間があれば、その後残りの世界一周も出来そうな気がする。
なにより2年間のイギリス滞在中に、前回行けなかったヨーロッパの他の国の観光に行ける。
旅行を再開するとしたらもう1度ヨーロッパに戻る気でいたから都合は良い。
SNSで検索してみたら、今回も落選している人は多くいるようだった。
7年連続で応募したのにとか、5年応募して今年が最後なのに落ちたとかも見かけた。
この状況で応募者数が前よりは多くはないにしても、俺はラッキーだったっぽい。
イギリスでまともな仕事に就けたとしても、おそらく収入は3分の2以下になる。
それぐらい今の仕事環境は良い。
それなのに物価や家賃はシドニーより高い。
しかも仕事は日本食レストランぐらいしかない。
貯金に回せるお金はほとんど無くなる。
今は生活に必要なものはほとんどある。
それをまた1から買わなければならない。
金銭面、生活面を考えれば現状維持が1番良い。
ただ、何度考えても行きたいと思った。
落選している人がいるなか当選したし。
もうこの国から出たいし。
というか、もともとバックパッカーなんだから行くしかないし。
土曜の朝、ロンドンにいるトシさんと電話して色々なことを教わる。
ビザのこと、ロンドンのこと。
ひとまず、とにかく考えても仕方が無い。
まずはビザを無事に手に入れること。
そして無事に出国し入国すること。
半年後の状況も分からない。
再びロンドンがロックダウンすれば行けないかもしれない。
そして今の1番の問題は、誕生日までに申請する必要があること。
俺の誕生日は1ヶ月後。
それまでに提出しなければならない。
ただ今シドニーはロックダウンしている。
申請センターが開いているか分からない。
急ぐ必要があった。
土曜日の半日を使ってビザの申請書類を作る。
申請場所、申請の手順を調べる。
申請センターの予約が出来た。
予約は出来たが開いているのだろうか...。
日曜日に散歩した公園。
一週間後の木曜日。
市内中心部にあるイギリスビザセンターに行く。
会社にお願いして配達前にトラックで寄らせてもらう。
無事に開いていた。
写真撮影、指紋採取等、無事に申請が出来た。
ただオーストラリアのビザを持って行くのを忘れて、急いで近くのコンビニで印刷した。
審査されビザがおりるのは3週間後。
まぁビザ運だけはここまで完璧だったから大丈夫だろう。
問題は、半年後の状況。
イギリスもオーストラリアも落ち着いてるのを期待するしか無い。
とにかく、酷くなってロンドンがロックダウンしたら行けなくなる。
状況を見つつ、出発時期を早めなきゃかもしれない。
それと残りのオーストラリア生活をどうするか。
少しでも多く貯金がしたい。
ギリギリまで働きつつ、エアーズロックだけは行っておきたい。
その予定も組まないといけない。
手元にある物の処分もしないといけない。
売れる物は売りたい。
ひとまず、いきなりの展開に気持ちが追いつかない1週間だった。
そして、この先半年は一気に忙しくなる。
しっかり準備して、その時に備える。
やっとこの生活に終わりが見えたっぽい。