19.4.15-5.1 482~498日目 オーストラリア9~11週目 マンダベラ

ゴミちゃんが出て行ったあと、引っ越しをすることになった。
住んでいるツーリストパークはシーズンが来て満室になり、俺たちの住んでいた部屋は他の人が使うので、同じ敷地内にある別の部屋へ移動になった。

新しい部屋は、連結タイプのキャンピングカーを改造したものだった。
部屋は一回り小さくなった。
本来2人で使う部屋らしいけど、それを3人で使う事になった。


キャンピングカーなのでガスが使えないらしく、コンロは外にある。
4つベッドがあって、そのうち一つはダブルベッドだった。



部屋は狭くなったけど、なんか雰囲気あるし。
コンロは外で、不便ではあるけど、冷蔵庫と冷凍庫は大きくなった。
外の灯りが白熱灯からオレンジ灯になったのもあってお洒落になった。
キャンピングカーで生活することなんて無いし、俺らは部屋が小さくなることを不安に思っていたけど、住んでみたら気に入っていた。




壊れてしまった車は正確な見積もりを出してもらっていた。
やはり修理が簡単ではないらしく、パーツを揃えるのも高いらしい。
しばらく待つしか無かった。



ユウキとゲンちゃんがオーストラリアを出る日が迫っていた。
ユウキは2週間で帰ってくるらしいけど。

二人が出て行ったその先の部屋に悩む。
今のキャンピングカーに住み続けるにはルームメイトが必要らしい。
シングルルームに移動するか、他の宿に移動するかが悩みどころだった。

シングルに移動すれば高い。週50ドル以上は高くなる。

街にはいくつか宿はあった。
1番有名なのは中心街にある、バックパッカー宿だった。
そこは設備も良い。外国人も多いから楽しそうでもある。
ただ騒がしいのと、そこも週30ドルは高くなる。
そしてそこも現状満室らしい。

なにより車が直っていないので、引っ越しするのが難しい。
今は荷物が多すぎる。
というか、引っ越すのが面倒臭い。
今のところに慣れたし、住みやすい。


管理人にシングルは空いているか、俺のような一人で来ている人で相部屋希望の人がいないか状況を聞きに言ったら、ひとまずしばらくはキャンピングカーで一人で住んでいていていいよと言ってくれた。
ただなるべく早くルームメイトは見つけてねと。


うーん...。
この町でルームメイトを自分で探すのは難しい...。
インターネット上に募集記事を出すか...。
それなら見つかりそうだけど、それはそれで面倒臭い...。


ユウキが2週間前に連れてきた日本人が、中心のバックパッカー宿に住んでいた。
彼女もまだ仕事が見つからずにいた。
来たときの俺と同じ状況。
その宿は、そこに泊まっていれば仕事を紹介してもらえる宿だった。
ただそこも今すぐの仕事が無いらしく、彼女はずっと待っている状況らしい。

彼女に電話して、俺と同じような状況の人、相部屋希望で、出来るだけ安い部屋を探している人がいたら、国籍性別問わないから紹介してほしいとお願いする。



そこから1週間が過ぎたら、彼女から連絡が来た。
まだ同居人探していますか?私が引っ越してもいいですか?と。
なんでも、バックパッカー宿が人が多すぎて疲れたらしい。
相変わらず仕事も無いし。
だったらこっちに引っ越してきて、俺のボスのところか、他で仕事を探すと。
俺にとってはありがたい話しだった。
これで引っ越さなくていい。
彼女はサキコちゃん。
ゲンちゃんが出て行った後、3日後にこっちに引っ越してくることが決まった。





イースターの休日で、突然の4連休があった。
することも無いので、同じ敷地の3人組、バックパッカー宿の2人の日本人を呼んで、毎日大富豪しながら昼から呑み続けたりした。

イースターが終わったあとも天気が安定せず、ファームまで行ってみたら土砂降りで休みになったり、朝から雨で休みになったりで2連休もあったりした。
この週は本当に働けなくて、8日間で6日間休みだった。

休みの間にバリカンを借りて日本出てから2度目の坊主にした。
ファームで涼しくなるし。色々楽だし。
今はメリットしかない。




イースターが終わると、ユウキとゲンちゃんはマンダベラから出て行った。
ゲンちゃん最後の仕事の日。


ユウキが水曜日に、ゲンちゃんが金曜日に出て行った。


ユウキが出発する日の朝。
3人で2週間ぐらい生活した。
また2週間後にユウキは帰ってくるらしいけど。


ゲンちゃん出国前夜。送別会。
同じ敷地に住む、沖縄3人組と、サキコちゃんと。


4月26日の金曜の朝、ゲンちゃんはマンダベラを出て行った。
ゲンちゃんは半年間この街に住んでいた。
俺とは2ヶ月ちょっと一緒に暮らした。

今から1年2ヶ月ぐらい前、ラオスの首都ビエンチャンで宿が一緒だった。
あの時は3日間ぐらい一緒にいた。
まさかこんなオーストラリアのクソ田舎で一緒に住むとは思わなかった。
同い年だし、話しはよく合うし、一緒にいて気が楽な人だった。

ゲンちゃんのおかげでこの街で暮らせている。
仕事もある。
本当にもの凄い数の事を教えてもらい、助けてもらった。
感謝しかない。

ゲンちゃんは朝7時発のバスで出ていった。
ゴールドコーストに向かい、バンコクに1週間いたあと、インドに行くそう。

次に会う時は日本か。
もしくは、お互い色々なことがあったら、どこかの国か。

また絶対に必ずどこかで会うであろう人。
散々一緒に呑んで、話した話しの、お互いどうなるか分からない話の、そしてその後どうなったのかの話しを、いつかどこか話せたらいいなと。
それはとても面白そうだけど、きっとずっと先のことなんだなと。




車を修理に出していた工場から、見積もりが出た。
4000ドル、32万円だった....。
最低2000ドルとは聞いていたけど、ここまで高くなるとは思わなかった。

ランドローバー、しかも古いので、とにかくパーツが無いらしい。
大都市ならまだどうにかなるんだろうけど、こんな田舎町なのでパーツを取り寄せるのもお金がかかると...。

4000ドル....。
しかもこの先修理していくうえで、もっと不具合が見つかるかもしれない。
その場合、追加料金が発生するらしい...。
まぁ5000ドルと見積もっても40万円...。
これは辛すぎる...。


見積もりをもらったうえでもう一度考える。
この車を廃車にした場合100ドルで売れるらしい。
車屋のおばちゃんにも、廃車にして新しい車を買った方がいいと言われた。
そっちの方が安くすむと。

ただ新しい車を買う場合、仕事を休んでゴールドコーストやブリスベンに行く必要がある。
入るはずだった給料、そこまでの交通費もある。
また新しい車を探す手間もある。
もう払ってしまった、登録手数料、保険代、ロードサービス代もある。

それと、ランドローバーを俺は2400ドルで買った。
もう一度調べても、同じタイプの車は最低でも5000ドルはする車。
あくまで前のオーナーが出国が近いから早く手放したくて安く売っていただけ。
ちゃんと乗り続ければ、その金額で売れるはず。


そこまで考えると、新しい車を買うのも、修理するのも金額はほとんど変わらない....。
修理して再び壊れる可能性も、新しい車を買って壊れる可能性も一緒だと思う...。

気に入っていた車だし...。直すことにした...。
前金で2000ドル、16万円払う。





この時点で、手元にあるお金を整理する。
こっちに来て働いて入っていた給料。
まだ日本にある貯金。

全部整理すると、足らなかった...。
思った以上に、オーストラリアに来てお金を使っていた...。
こんなことになるなんて思ってもいなかったし、この先稼げると思っていたから、だいぶ生活品を買い込んでしまっていた...。


どう考えても20万円ぐらい足らない...。
ゲンちゃんから、貸そうか?とも言ってもらえたけど、分割、もしくはリボで対応することにした...。
2ヶ月働けば回収出来る...。


というか、日本を出て1年4ヶ月、ついに予算はマイナスに突入した。
ウケる。
まったく想像していなかった。

まぁなんとかなる。
こんなこともある。
今までこれほどの損害が無かっただけ幸運かもしれない。


ただ、オーストラリアでの最初の4ヶ月間で出来るはずだった貯金は全て吹っ飛んだ....。
何のためにオーストラリアに来ているのか...。
何のために毎日汗だくで働いているのか...。
ウケる...。





二人が出て行ってすぐにサキコちゃんが引っ越してきた。
その2日後には、俺のボスの所で働くことが決まった。
同じファームに行くことになった。

天候不良で休みも多かった分、果実の実は大きくなっていたし、仕事はたくさんあるみたいだった。
毎日の収穫量は今までで一番安定して、1日200ドル稼げる日も出てきた。


俺は毎日朝3時半過ぎに起きて、色々して、6時半頃沖縄3人組の車でファームに向かった。
サキコちゃんも日に日に仕事に慣れていった。
夕方17時半までだったのが、日が短くなって17時までになった。
19時前に帰ってきて、風呂入って、飯食って、酒呑んで、21時半に寝た。


毎日その繰り返しだった。
新しい元号が発表された日も、平成最後の日もファームにいた。
あまりピンと来なかった。

車が直ったという連絡を待っていた。





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19.3.17-4.14 453~481日目 オーストラリア5~8週目 マンダベラ

オーストラリアに来て、ほぼ2ヶ月がたった。
慣れたかといえば、慣れた部分も多いけど、とにかく次から次へとトラブルが起きて、解決すればまたトラブルが起こるみたいな毎日。
2ヶ月もたったのに、一向に落ち着かない。


前回の日記を書いた後すぐから4日間、毎日雨が降った。
最初は土砂降りで、最後2日間は小雨だった。

雨が降れば仕事は休み。
前日の雨の量が多いと、地面が濡れていてハシゴを使うのが危険だったり、果実が濡れていて綺麗に収穫できないとかもあって、仕事が休みになるか、乾くのを待つので開始時間が遅くなった。

だから、たとえ前日雨が降っていても、毎日朝5時には起きて準備をした。
そして、開始時間の連絡が来るのを待つが、結局昼前に休みが確定するなんて感じだった。

本当に外国人出稼ぎ労働者って感じだった。
その通りだけども。
仕事があればかり出され、無ければ休み。

4日間休みになれば、給料は6万円近く損したことになる。
痛かった...。
その休みで車の保険やロードサービスに入ったり、海外保険の移行をしたりした。



4日間の長い雨が終わったら、季節がいきなり秋になった。
その前までは毎日暑かったのに、いきなり変わった。
日中はそこまで暑くならず、朝晩は冷え込んでパーカーと長ズボンが必要になった。

日本の時から、季節の変わり目はこういうのがあるなと思っていたけど、それは外国も同じだった。
こんなに長い時間を同じ国で過ごすことが長い間無かったから久しぶりだった。



雨が上がって仕事が再開したぐらいから、仕事は間引きから収穫になった。
間引きは時給制だったけど、収穫は完全歩合制。
誰かとペアになるか、一人で収穫する。
1グループ、1列か2列の木が配分される。


列によって、収穫量が全然違う。
実が大きく、数が多い列もあれば、クソな列もあった。
毎回最初に列を決めるときは、くじ引きで列を決めた。


間引きは手でそのままもいでいたけど、収穫はクリッパーだった。
もぐと枝との部分の蓋が取れてしまうので、それより上でカットする。。
それとリングが毎回渡されて、そのリングより大きい物だけ収穫する。
色の指定もあって、あまりに緑の物もダメだった。
たまに見回りに来てあまりに多いと怒られる。

毎日グチグチと指摘される。
最初数日間はよく怒られた。
面倒臭いから、ちょこちょこもいでいたら、クビにされかけた。
日本人じゃなかったら今日クビにしていた、ラストチャンスだとボスに言われる。
実際他のファームでは欧米人達やネパール人もクビになっていた。


カンガルーバッグという、大きなポケットのついたエプロンみたいなのをして、収穫したらとにかくそこに入れる。
最大に果物を入れると30kgぐらいになるらしい。
いっぱいになったら、近くに置いてあるビンと呼ばれているケースに入れに行く。


ビンにレートが決まっていて、収穫した量だけ給料になる。
オレンジのビンのレートが平均120ドル、9600円。
そこから税金15%引かれたものが手取りとなる。

果実の良い列に当たって、1人で1ビン作るのに5時間ぐらい。
1日1.5ビンぐらい作れた。1日の手取りは12000円~15000円。
複数人で作ることも多かった。
1番多く収穫する人で、手取りが1日4万円を超えていた。
どうやっているのか意味分からん。

でも、やはり時給の方が安定してお金は入った。
ただ、出来高は必死にやるので、時間が過ぎるのが早かった。

オレンジが1番多いけど、グレープフルーツやレモンの日もあった。
グレープフルーツは大きいから重いし、レモンは枝にトゲが多くて痛かった。

果物は好きなだけ持ち帰ることができた。厳密にはダメなんだろうけど。
みんな収穫しながら食べたり、帰り際にたくさん鞄に詰めていた。

俺はあまり果物が好きでもないので、オレンジはこの1ヶ月で1口だけ味見しただけだった。
たぶん何万個も取っているのに。
レモンはビールに入れたりした。
グレープフルーツは1度持ち帰った。美味しかった。




3月の下旬、同居人が2人増えた。
1人は、半年前にここでゲンちゃんと一緒に住んでいたユウキ。
他の街のファームに移動して、数ヶ月ぶりに帰ってきた。
同い年だった。

ユウキが来た次の日、大学のサークルの後輩のゴミちゃんが来た。
ゴミちゃんは10ヶ月ぐらい前からオーストラリアでワーホリをしていた。
日本を出る直前、地元で呑んでいたときから話しは聞いていた。
俺もオーストラリアに来るまで色々な情報をゴミちゃんからもらっていた。

ずっとオーストラリア南部の大都市、メルボルンにいたらしい。
2週間後にオーストラリアを出るという話しは聞いていた。
最後数週間は、仕事を辞めてどこか観光に行こうと思っていると、以前から聞いていた。

大都市の生活に疲れたとか言っていたので、2週間ぐらい前に電話して、こっちに来ないか?と誘った。
ちょうどオレンジのシーズンも始まるし、多少は最後稼げるし、めちゃくちゃ田舎だしと。
ゴミちゃんは1日考えて、行きますと言ってくれた。

地元で呑んでいる時に、じゃあゴミちゃんがオーストラリアにいる時に行けば会えるねなんて話しをしていた。
俺のオーストラリア行きが決まって連絡している時も、じゃあ最後ブリスベンあたりで呑もうよなんて話しもしていた。
まさか共同生活をすることになるなんて思ってもいなかった。
ゴミちゃんが着いた日は、深夜まで呑んだ。


ゴミちゃんもユウキも、着いてすぐに仕事が決まった。
俺とゲンちゃんとは違うファームだった。

天気が悪い日はみんな仕事が休みになった。
住んでいる敷地内に屋外共同キッチンがあったので、同じ場所に住む他の日本人も誘ったりして、フライパンで肉を焼いて一緒に呑んだりもした。


オーストラリアはBBQ用食材が豊富に売っている。


マンダベラに来て、ここまで天気が悪くなるのも初めてだった。
ゲンちゃんも経験が無いらしい。


仕事が再開すると、そこからが酷かった。
今年は天候不良が多かったのと、今回の雨で成長が遅れているらしく、実が小さく、ろくに収穫できない日々が続いた。
1本の木から収穫の条件を満たしている実が数個しかないなんてことばかりだった。

そうなると1日働いても50ドル、4000円にしかならなかったりする。
ファームまでの送迎費を引いても生活費しか残らない。
時給換算したら地獄だった。

ボスからは、あと10日待てば実が大きくなり、収入は増える、我慢してくれと言われた。
仕事を休んでも生活費はかかるので、行くしかないような日々だった。
稼げると誘ったゴミちゃんにはタイミングが悪すぎた。



そんな毎日だった時に、ゲンちゃんは長い間働いていたファームの作業が終わり、他に移動しなければならなくなった。
ゲンちゃんは新規ファームの開拓の仕事だったから、時給だったし、マンダベラからも近く安定していたのに、本当にいきなりの終了の知らせだった。

収穫が安定していない中でも、多少は安定していたユウキとゴミちゃんが行っているファームに、俺とゲンちゃんが移動出来ないかボスに申請したが、定員の問題で無理だった。
ファームまでの距離も、そこまでの移動の車にしても、同居人4人で同じ場所で働いた方が楽なのに...。


働き始めた時からずっと、行かされるファームが遠すぎる問題は続いていた。
相変わらず往復2時間かかる。
ユウキとゴミちゃんが行っているファームも俺よりは近いにしても、遠かった。

マンダベラに住んでいる意味が何も無い。
ファームから近い、隣町のゲインダーへの引っ越しも考えたが、ちょうど収穫のハイシーズンが来ているのもあって、どのツーリストパークもいっぱいだった。
俺たちの住むマンダベラのツーリストパークもいっぱいだった。
マンダベラもゲインダーもあきらかに外国人労働者の数が増えた。
無理に移動して、今後またマンダベラに戻りたくなった時に戻れないのも困る。
居心地も良いし、面倒くさいので、断念した。

何より、ゴミちゃんはあと2週間、ゲンちゃんもユウキもあと1ヶ月でオーストラリアを離れる。
その先はこの町で俺一人になる。
不安しかない。
ファームが遠いとしても、他の日本人ともつながりあるし、マンダベラに留まり、今のボスの下で働くのがいい気がした。しばらくは。



結局ゲンちゃんは、俺のファームに来ることになった。
最後の最後で一緒に働くことになった。


俺とゲンちゃんが働くファームも、ユウキとゴミちゃんが働くファームも、収穫量は少しずつ回復へ戻っていった。
まだ全力で稼げないにしても、前ぐらいの収入近くには戻った。





ゴミちゃんがマンダベラを離れるまであと数日になった。
ずっと休みが出来たら、海にでもみんなで行こう話していたが、ここ最近の悪天候の休みが続いたのもあって、日曜も休みにならず連勤が続いた。

せっかくなので、ゴミちゃんが休みになったタイミングで俺も休みを取って、二人で1泊で遊びに行くことにした。
俺も海は見たけど、泳いでないし。
しばらくマンダベラ以外で遊んでないし。

そして買い物がしたかった。
服や靴などがボロボロだった。


地元の高校の同級生がオススメしてくれた、マンダベラから280km、3時間半で着く海沿いの街、ヌーサに行ってみることにした。

朝8時に出発して、途中のひらけた街で昼食。
オーストラリアに来て初めての外食。
久しぶりにファーストフード店を見た。

バーガーキング。
オーストラリアの田舎町に昔からやっているバーガーキングという小さなお店があったらしく、オーストラリアではハングリージャックという名前だった。
クーポン使って5ドル。インドぶりの外食は美味しかった。


昼過ぎにヌーサに到着。
海沿いの小さなリゾート地だった。
街はコンパクトでお洒落なお店も多くて良い感じだった。

外国人にはあまり知られていないらしく、オーストラリア人ばかりだった。
日曜なので賑わっていた。

着いてすぐにビーチに行ってみる。
オーストラリアのビーチはどこも、無料のシャワーやトイレ、駐車場がある。
とても綺麗な海だった。




やっとオーストラリアで海水浴をした。
最後に海に入ったのは、去年の夏のスペイン以来。
その後イスラエルの死海もあったけど。

ここに来て気づいたけど、もうオーストラリアは夏が終わりそうになって秋が始まっている。
マンダベラは内陸で寒いので、ヌーサは少しは暖かいけど、それでも少し海水浴をするには肌寒かった。

こんな時期にオーストラリアに来たから、俺は夏を一つ損した気がする...。
次に海で泳いだり出来るのは、今年の年末...。
なんか悲しい...。

写真撮ってもらって。


ヌーサで1番安い宿にチェックインして買い物に行く。
大きなスーパーが久しぶりでテンションが上がる。
今夜と、明日の食材を買う。
酒屋でワインを見たら、マンダベラで買うより1箱3ドルも安いから、10箱買う。


宿に戻って、肉を焼く。これがオーストラリアでは1番安い。
久しぶりに魚介類を見たので貝のマリネも買う。



ただひたすらグダグダ二人で呑んだ。
夜、近くのビーチに酒を持って移動する。
波の音と、満天の星空だった。
海沿いに引っ越したい....。



次の日は、朝一でナショナルパークに行った。
昨日の夕方行こうとしたが、駐車場がいっぱいで諦めた。
野生のコアラがいるらしい。


昨日通りがかった時には、木を見上げる大勢の人達がいたから本当にコアラはいるっぽい。
ユーカリの木を見上げながら探し歩く。


探し回ったけど、変なデカい鳥はいるけど、コアラは見つけられなかった...。
まぁそのうち見れる気がするし、諦めて帰る。



この日もビーチに行って少し遊んだりして、マンダベラに戻る。
次にこういうのが出来るのは年末。


ヌーサのショッピングモールに寄る。
マンダベラでは買えない物、こっちで買った方が安い物を買って帰る。

日本を出るときに買ったジーパンは、ボロボロになっていたし、ファームでの仕事で両膝に穴が開いた。
10ドルの良い感じのジーパンを買う。
10ドルて...。大きな街は安すぎる。

ヨルダンのモスクでいただいたブーツも限界だった。
水を吸ってしまうので、靴の中が毎日グチョグチョで、足が痛かった...。
底に穴も開いてしまい、針を通ってしまって痛かった...。

24ドルでしっかりしたブーツを買う。
このタイプのブーツをマンダベラで買えば100ドル近くする。安い。

それからボロボロになっていた靴下、パンツも買い足す。

日本を出て1年4ヶ月。
ここ最近、持ち物に限界が出てきて、大部分を新しくしてきた。



使っている銀行の支店がマンダベラに無いため、ずっとやりたかった暗証番号の変更をしたり、ガソリンもこっちの方が安いので満タンにして帰る。


帰り道の途中の、大きめの街でスーパーに寄る。
オーストラリアで1番有名なチェーン店のスーパー、コールス。
品揃えも豊富だし、安いけど、マンダベラから最寄り店まで2時間はかかる。

肉、野菜、調味料、生活消耗品を大量に買い込む。
ガソリン代を考えても、たまにはこの町まで買い出しに来た方がいいなと思う。
マンダベラのスーパーとは品揃えが違いすぎる。




マンダベラ帰ってきた次の日。
普段は、家からファームまでは同じ敷地に住む日本人3人組の車に乗せてもらっていた。
ヌーサから帰ってきたあと2日間は、マンダベラの違う場所に住む日本人に車に一緒に乗せて欲しいと言われたので、俺の方が乗れる人数が多いから俺の車を出した。

その2日目の帰り道、ファームから出て15分ぐらい走ったら、焦げ臭い匂いがした。
普段その道の沿道では、焼き畑をよくやっているので、窓を開けて確認したら外が臭いように思えた。

それから10分も走らないうちに車はオーバーヒートした....。
ボンネットから大量の煙が上がった...。

すぐに路肩に車を止めて、後ろを走っていた、ネパール人達のバンに助けを求めた。
ネパール人達はすぐに対応してくれた。


どうも、冷却水のパイプが走行中の振動で外れたらしく、冷却水が全て漏れてしまっていた...。
それでエンジンが焼けてしまった。
ネパール人達は、みんなから水を集めてくれて、応急処置でエンジンに入れてくれた。
俺はテンパっていたけど、途中からゲンちゃんは写真を撮っていた。
今見ればウケるけども。




パイプをひとまず元に戻して、エンジンを冷ました。
ここからマンダベラは50km以上はある。
ネパール人達からマンダベラまでは危ないので、ひとまず手前のゲインダーで修理しろと言われる。

ゲインダーまでは何とか走って、ガソリンスタンドに着いた瞬間に再びオーバーヒートした...。
ボンネットを開けると、再びパイプが外れてしまっていた...。


ガソリンスタンドでパイプの接続部を修理してもらう。
24ドルかかる。


冷却水を買い、入れ直す。
56ドルかかる。


再びエンジンをかけて出発しようとするが、エンジンの調子が悪い...。
ガソリンスタンドの人達から、たぶんエンジンが壊れているから、マンダベラまで帰るのは危険。
このままゲインダーの修理工場を紹介するから、ひとまず今夜はそこに行けと教えてもらう。

工場まで先導してもらい、修理を頼む...。
同乗者の日本人に、マンダベラに住む友人に迎えに来てもらうのを頼んでもらい、マンダベラまで乗せてってもらう...。

マジかぁ....と....。
古い車だから覚悟はしていたけど、まだ買って1ヶ月...。
しかも素人の俺が見ていても状態は深刻そう...。
修理代が安ければいいけど、たぶん大分すると思う...。
ガソリンスタンドの人達も高くなると言っていたし...。

というかゲンちゃんが一緒にいてくれて助かった...。
俺だけでは、ガソリンスタンドや修理工場の人達が何を言っているのか絶対に分からなかった....。
ゲンちゃんがマンダベラを離れるのもあと2週間...。
その先は俺は一人になる...。
そこの不安も今回の事でデカくなる....。



マンダベラに戻り、この日の夜がゴミちゃん最後の夜だったので、外の共同キッチンで、同じ敷地の3人組も呼んで宴会にした。
ちょうどユウキの知り合いもマンダベラに昨日着いたので、その人の友人とともに一緒に来た。
深夜までグダグダと呑んだ。
色々あった1日だった。


次の日、俺たちが仕事に行く前にバンダバーグ行きのバスでゴミちゃんは出て行った。
今年中に再びオーストラリアかニュージーランドを一緒に回ろうと話した。
またすぐに会う気がするし、地元で会うことになるかもしれないし。

ずっとゲンちゃんと二人で生活してきて、それがいきなり4人になった。
たった2週間だけど。
この日の夜は、なんかやたらと静かになり、寂しくなったとゲンちゃんと笑った。
まさか大学の後輩で、呑み友達だったのと会えたらいいねとは話していたけど、こんな場所で一緒に生活するとは思っていなかったし。




修理工場から連絡が来た。
修理不可能というメールだった....。
エンジンがオーバーヒートしすぎたのが原因だった...。

ゲンちゃんに電話してもらい、何とか修理できないか聞いてもらう。
廃車にしたとしても、新しい車は必要...。
払ってしまった保険代、ロードサービスもある。
新しい車を買いに行くとなれば、交通費もかかるし、仕事も休まなければならない....。

そこまで考えると、だいぶ高くついても直すのが賢明だと思った...。
気に入っていた車だし...。
修理工場の人は、最低でも2000ドル、16万円はするだろうと...。
新しい車を買った方がいいと言われた...。
それでもひとまず見積もりが欲しいとお願いする...。

こんな状態の車、再び壊れる可能性もある...。
行くも地獄、引くも地獄....。

さすがにテンションが上がらない...。
悲しい....。
金を稼ぎに来たのに、2ヶ月分ぐらいの損失を出してしまう...。
何のために働いているのか....。



オーストラリアに来て2ヶ月。
色々なことがもうあった。
2ヶ月もすれば落ち着くだろうと思っていたけど、一向に落ち着かない...。
慣れてきた部分はあるけど、トラブルが多い...。

一人の生活になるまでに、なんとか解決させないと...。





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22.6.22-7.21 1647~1676日目 イギリス ロンドン⑦

6月下旬から最近までのこと。 クイーンのライブを見た後にWeezerのライブがあるか調べて。 Green dayとFall Out Boyと3マンがあることを知り。 ただ一人で行くのもなんだかなぁと思い。 スタジアムで3マンとか一人だと飽きそうだなと思い。 また掲示板で誰か行きま...