ゴミちゃんが出て行ったあと、引っ越しをすることになった。
住んでいるツーリストパークはシーズンが来て満室になり、俺たちの住んでいた部屋は他の人が使うので、同じ敷地内にある別の部屋へ移動になった。
新しい部屋は、連結タイプのキャンピングカーを改造したものだった。
部屋は一回り小さくなった。
本来2人で使う部屋らしいけど、それを3人で使う事になった。
キャンピングカーなのでガスが使えないらしく、コンロは外にある。
4つベッドがあって、そのうち一つはダブルベッドだった。
部屋は狭くなったけど、なんか雰囲気あるし。
コンロは外で、不便ではあるけど、冷蔵庫と冷凍庫は大きくなった。
外の灯りが白熱灯からオレンジ灯になったのもあってお洒落になった。
キャンピングカーで生活することなんて無いし、俺らは部屋が小さくなることを不安に思っていたけど、住んでみたら気に入っていた。
壊れてしまった車は正確な見積もりを出してもらっていた。
やはり修理が簡単ではないらしく、パーツを揃えるのも高いらしい。
しばらく待つしか無かった。
ユウキとゲンちゃんがオーストラリアを出る日が迫っていた。
ユウキは2週間で帰ってくるらしいけど。
二人が出て行ったその先の部屋に悩む。
今のキャンピングカーに住み続けるにはルームメイトが必要らしい。
シングルルームに移動するか、他の宿に移動するかが悩みどころだった。
シングルに移動すれば高い。週50ドル以上は高くなる。
街にはいくつか宿はあった。
1番有名なのは中心街にある、バックパッカー宿だった。
そこは設備も良い。外国人も多いから楽しそうでもある。
ただ騒がしいのと、そこも週30ドルは高くなる。
そしてそこも現状満室らしい。
なにより車が直っていないので、引っ越しするのが難しい。
今は荷物が多すぎる。
というか、引っ越すのが面倒臭い。
今のところに慣れたし、住みやすい。
管理人にシングルは空いているか、俺のような一人で来ている人で相部屋希望の人がいないか状況を聞きに言ったら、ひとまずしばらくはキャンピングカーで一人で住んでいていていいよと言ってくれた。
ただなるべく早くルームメイトは見つけてねと。
うーん...。
この町でルームメイトを自分で探すのは難しい...。
インターネット上に募集記事を出すか...。
それなら見つかりそうだけど、それはそれで面倒臭い...。
ユウキが2週間前に連れてきた日本人が、中心のバックパッカー宿に住んでいた。
彼女もまだ仕事が見つからずにいた。
来たときの俺と同じ状況。
その宿は、そこに泊まっていれば仕事を紹介してもらえる宿だった。
ただそこも今すぐの仕事が無いらしく、彼女はずっと待っている状況らしい。
彼女に電話して、俺と同じような状況の人、相部屋希望で、出来るだけ安い部屋を探している人がいたら、国籍性別問わないから紹介してほしいとお願いする。
そこから1週間が過ぎたら、彼女から連絡が来た。
まだ同居人探していますか?私が引っ越してもいいですか?と。
なんでも、バックパッカー宿が人が多すぎて疲れたらしい。
相変わらず仕事も無いし。
だったらこっちに引っ越してきて、俺のボスのところか、他で仕事を探すと。
俺にとってはありがたい話しだった。
これで引っ越さなくていい。
彼女はサキコちゃん。
ゲンちゃんが出て行った後、3日後にこっちに引っ越してくることが決まった。
イースターの休日で、突然の4連休があった。
することも無いので、同じ敷地の3人組、バックパッカー宿の2人の日本人を呼んで、毎日大富豪しながら昼から呑み続けたりした。
イースターが終わったあとも天気が安定せず、ファームまで行ってみたら土砂降りで休みになったり、朝から雨で休みになったりで2連休もあったりした。
この週は本当に働けなくて、8日間で6日間休みだった。
休みの間にバリカンを借りて日本出てから2度目の坊主にした。
ファームで涼しくなるし。色々楽だし。
今はメリットしかない。
イースターが終わると、ユウキとゲンちゃんはマンダベラから出て行った。
ゲンちゃん最後の仕事の日。
ユウキが水曜日に、ゲンちゃんが金曜日に出て行った。
ユウキが出発する日の朝。
3人で2週間ぐらい生活した。
また2週間後にユウキは帰ってくるらしいけど。
ゲンちゃん出国前夜。送別会。
同じ敷地に住む、沖縄3人組と、サキコちゃんと。
車を修理に出していた工場から、見積もりが出た。
4000ドル、32万円だった....。
最低2000ドルとは聞いていたけど、ここまで高くなるとは思わなかった。
ランドローバー、しかも古いので、とにかくパーツが無いらしい。
大都市ならまだどうにかなるんだろうけど、こんな田舎町なのでパーツを取り寄せるのもお金がかかると...。
4000ドル....。
しかもこの先修理していくうえで、もっと不具合が見つかるかもしれない。
その場合、追加料金が発生するらしい...。
まぁ5000ドルと見積もっても40万円...。
これは辛すぎる...。
見積もりをもらったうえでもう一度考える。
この車を廃車にした場合100ドルで売れるらしい。
車屋のおばちゃんにも、廃車にして新しい車を買った方がいいと言われた。
そっちの方が安くすむと。
ただ新しい車を買う場合、仕事を休んでゴールドコーストやブリスベンに行く必要がある。
入るはずだった給料、そこまでの交通費もある。
また新しい車を探す手間もある。
もう払ってしまった、登録手数料、保険代、ロードサービス代もある。
それと、ランドローバーを俺は2400ドルで買った。
もう一度調べても、同じタイプの車は最低でも5000ドルはする車。
あくまで前のオーナーが出国が近いから早く手放したくて安く売っていただけ。
ちゃんと乗り続ければ、その金額で売れるはず。
そこまで考えると、新しい車を買うのも、修理するのも金額はほとんど変わらない....。
修理して再び壊れる可能性も、新しい車を買って壊れる可能性も一緒だと思う...。
気に入っていた車だし...。直すことにした...。
前金で2000ドル、16万円払う。
この時点で、手元にあるお金を整理する。
こっちに来て働いて入っていた給料。
まだ日本にある貯金。
全部整理すると、足らなかった...。
思った以上に、オーストラリアに来てお金を使っていた...。
こんなことになるなんて思ってもいなかったし、この先稼げると思っていたから、だいぶ生活品を買い込んでしまっていた...。
どう考えても20万円ぐらい足らない...。
ゲンちゃんから、貸そうか?とも言ってもらえたけど、分割、もしくはリボで対応することにした...。
2ヶ月働けば回収出来る...。
というか、日本を出て1年4ヶ月、ついに予算はマイナスに突入した。
ウケる。
まったく想像していなかった。
まぁなんとかなる。
こんなこともある。
今までこれほどの損害が無かっただけ幸運かもしれない。
ただ、オーストラリアでの最初の4ヶ月間で出来るはずだった貯金は全て吹っ飛んだ....。
何のためにオーストラリアに来ているのか...。
何のために毎日汗だくで働いているのか...。
ウケる...。
二人が出て行ってすぐにサキコちゃんが引っ越してきた。
その2日後には、俺のボスの所で働くことが決まった。
同じファームに行くことになった。
天候不良で休みも多かった分、果実の実は大きくなっていたし、仕事はたくさんあるみたいだった。
毎日の収穫量は今までで一番安定して、1日200ドル稼げる日も出てきた。
俺は毎日朝3時半過ぎに起きて、色々して、6時半頃沖縄3人組の車でファームに向かった。
サキコちゃんも日に日に仕事に慣れていった。
夕方17時半までだったのが、日が短くなって17時までになった。
19時前に帰ってきて、風呂入って、飯食って、酒呑んで、21時半に寝た。
毎日その繰り返しだった。
新しい元号が発表された日も、平成最後の日もファームにいた。
あまりピンと来なかった。
車が直ったという連絡を待っていた。
にほんブログ村
にほんブログ村
住んでいるツーリストパークはシーズンが来て満室になり、俺たちの住んでいた部屋は他の人が使うので、同じ敷地内にある別の部屋へ移動になった。
新しい部屋は、連結タイプのキャンピングカーを改造したものだった。
部屋は一回り小さくなった。
本来2人で使う部屋らしいけど、それを3人で使う事になった。
キャンピングカーなのでガスが使えないらしく、コンロは外にある。
4つベッドがあって、そのうち一つはダブルベッドだった。
部屋は狭くなったけど、なんか雰囲気あるし。
コンロは外で、不便ではあるけど、冷蔵庫と冷凍庫は大きくなった。
外の灯りが白熱灯からオレンジ灯になったのもあってお洒落になった。
キャンピングカーで生活することなんて無いし、俺らは部屋が小さくなることを不安に思っていたけど、住んでみたら気に入っていた。
壊れてしまった車は正確な見積もりを出してもらっていた。
やはり修理が簡単ではないらしく、パーツを揃えるのも高いらしい。
しばらく待つしか無かった。
ユウキとゲンちゃんがオーストラリアを出る日が迫っていた。
ユウキは2週間で帰ってくるらしいけど。
二人が出て行ったその先の部屋に悩む。
今のキャンピングカーに住み続けるにはルームメイトが必要らしい。
シングルルームに移動するか、他の宿に移動するかが悩みどころだった。
シングルに移動すれば高い。週50ドル以上は高くなる。
街にはいくつか宿はあった。
1番有名なのは中心街にある、バックパッカー宿だった。
そこは設備も良い。外国人も多いから楽しそうでもある。
ただ騒がしいのと、そこも週30ドルは高くなる。
そしてそこも現状満室らしい。
なにより車が直っていないので、引っ越しするのが難しい。
今は荷物が多すぎる。
というか、引っ越すのが面倒臭い。
今のところに慣れたし、住みやすい。
管理人にシングルは空いているか、俺のような一人で来ている人で相部屋希望の人がいないか状況を聞きに言ったら、ひとまずしばらくはキャンピングカーで一人で住んでいていていいよと言ってくれた。
ただなるべく早くルームメイトは見つけてねと。
うーん...。
この町でルームメイトを自分で探すのは難しい...。
インターネット上に募集記事を出すか...。
それなら見つかりそうだけど、それはそれで面倒臭い...。
ユウキが2週間前に連れてきた日本人が、中心のバックパッカー宿に住んでいた。
彼女もまだ仕事が見つからずにいた。
来たときの俺と同じ状況。
その宿は、そこに泊まっていれば仕事を紹介してもらえる宿だった。
ただそこも今すぐの仕事が無いらしく、彼女はずっと待っている状況らしい。
彼女に電話して、俺と同じような状況の人、相部屋希望で、出来るだけ安い部屋を探している人がいたら、国籍性別問わないから紹介してほしいとお願いする。
そこから1週間が過ぎたら、彼女から連絡が来た。
まだ同居人探していますか?私が引っ越してもいいですか?と。
なんでも、バックパッカー宿が人が多すぎて疲れたらしい。
相変わらず仕事も無いし。
だったらこっちに引っ越してきて、俺のボスのところか、他で仕事を探すと。
俺にとってはありがたい話しだった。
これで引っ越さなくていい。
彼女はサキコちゃん。
ゲンちゃんが出て行った後、3日後にこっちに引っ越してくることが決まった。
イースターの休日で、突然の4連休があった。
することも無いので、同じ敷地の3人組、バックパッカー宿の2人の日本人を呼んで、毎日大富豪しながら昼から呑み続けたりした。
イースターが終わったあとも天気が安定せず、ファームまで行ってみたら土砂降りで休みになったり、朝から雨で休みになったりで2連休もあったりした。
この週は本当に働けなくて、8日間で6日間休みだった。
休みの間にバリカンを借りて日本出てから2度目の坊主にした。
ファームで涼しくなるし。色々楽だし。
今はメリットしかない。
イースターが終わると、ユウキとゲンちゃんはマンダベラから出て行った。
ゲンちゃん最後の仕事の日。
ユウキが水曜日に、ゲンちゃんが金曜日に出て行った。
ユウキが出発する日の朝。
3人で2週間ぐらい生活した。
また2週間後にユウキは帰ってくるらしいけど。
ゲンちゃん出国前夜。送別会。
同じ敷地に住む、沖縄3人組と、サキコちゃんと。
4月26日の金曜の朝、ゲンちゃんはマンダベラを出て行った。
ゲンちゃんは半年間この街に住んでいた。
俺とは2ヶ月ちょっと一緒に暮らした。
今から1年2ヶ月ぐらい前、ラオスの首都ビエンチャンで宿が一緒だった。
あの時は3日間ぐらい一緒にいた。
まさかこんなオーストラリアのクソ田舎で一緒に住むとは思わなかった。
同い年だし、話しはよく合うし、一緒にいて気が楽な人だった。
ゲンちゃんのおかげでこの街で暮らせている。
仕事もある。
本当にもの凄い数の事を教えてもらい、助けてもらった。
感謝しかない。
ゲンちゃんは朝7時発のバスで出ていった。
ゴールドコーストに向かい、バンコクに1週間いたあと、インドに行くそう。
次に会う時は日本か。
もしくは、お互い色々なことがあったら、どこかの国か。
また絶対に必ずどこかで会うであろう人。
散々一緒に呑んで、話した話しの、お互いどうなるか分からない話の、そしてその後どうなったのかの話しを、いつかどこか話せたらいいなと。
それはとても面白そうだけど、きっとずっと先のことなんだなと。
車を修理に出していた工場から、見積もりが出た。
4000ドル、32万円だった....。
最低2000ドルとは聞いていたけど、ここまで高くなるとは思わなかった。
ランドローバー、しかも古いので、とにかくパーツが無いらしい。
大都市ならまだどうにかなるんだろうけど、こんな田舎町なのでパーツを取り寄せるのもお金がかかると...。
4000ドル....。
しかもこの先修理していくうえで、もっと不具合が見つかるかもしれない。
その場合、追加料金が発生するらしい...。
まぁ5000ドルと見積もっても40万円...。
これは辛すぎる...。
見積もりをもらったうえでもう一度考える。
この車を廃車にした場合100ドルで売れるらしい。
車屋のおばちゃんにも、廃車にして新しい車を買った方がいいと言われた。
そっちの方が安くすむと。
ただ新しい車を買う場合、仕事を休んでゴールドコーストやブリスベンに行く必要がある。
入るはずだった給料、そこまでの交通費もある。
また新しい車を探す手間もある。
もう払ってしまった、登録手数料、保険代、ロードサービス代もある。
それと、ランドローバーを俺は2400ドルで買った。
もう一度調べても、同じタイプの車は最低でも5000ドルはする車。
あくまで前のオーナーが出国が近いから早く手放したくて安く売っていただけ。
ちゃんと乗り続ければ、その金額で売れるはず。
そこまで考えると、新しい車を買うのも、修理するのも金額はほとんど変わらない....。
修理して再び壊れる可能性も、新しい車を買って壊れる可能性も一緒だと思う...。
気に入っていた車だし...。直すことにした...。
前金で2000ドル、16万円払う。
この時点で、手元にあるお金を整理する。
こっちに来て働いて入っていた給料。
まだ日本にある貯金。
全部整理すると、足らなかった...。
思った以上に、オーストラリアに来てお金を使っていた...。
こんなことになるなんて思ってもいなかったし、この先稼げると思っていたから、だいぶ生活品を買い込んでしまっていた...。
どう考えても20万円ぐらい足らない...。
ゲンちゃんから、貸そうか?とも言ってもらえたけど、分割、もしくはリボで対応することにした...。
2ヶ月働けば回収出来る...。
というか、日本を出て1年4ヶ月、ついに予算はマイナスに突入した。
ウケる。
まったく想像していなかった。
まぁなんとかなる。
こんなこともある。
今までこれほどの損害が無かっただけ幸運かもしれない。
ただ、オーストラリアでの最初の4ヶ月間で出来るはずだった貯金は全て吹っ飛んだ....。
何のためにオーストラリアに来ているのか...。
何のために毎日汗だくで働いているのか...。
ウケる...。
二人が出て行ってすぐにサキコちゃんが引っ越してきた。
その2日後には、俺のボスの所で働くことが決まった。
同じファームに行くことになった。
天候不良で休みも多かった分、果実の実は大きくなっていたし、仕事はたくさんあるみたいだった。
毎日の収穫量は今までで一番安定して、1日200ドル稼げる日も出てきた。
俺は毎日朝3時半過ぎに起きて、色々して、6時半頃沖縄3人組の車でファームに向かった。
サキコちゃんも日に日に仕事に慣れていった。
夕方17時半までだったのが、日が短くなって17時までになった。
19時前に帰ってきて、風呂入って、飯食って、酒呑んで、21時半に寝た。
毎日その繰り返しだった。
新しい元号が発表された日も、平成最後の日もファームにいた。
あまりピンと来なかった。
車が直ったという連絡を待っていた。
にほんブログ村
にほんブログ村
0 件のコメント:
コメントを投稿