20.7.1-8.16 926~972日目 オーストラリア シドニー⑤

7月から8月中旬の今までの話し。

規制緩和によって18人までなら店内にお客さんが入れるようになってから1ヶ月以上がたった。
ニューサウスウェルズ州の新規感染者は少し増えて1日15人前後で推移していた。
郊外の飲み屋でクラスターが起きたり、住んでいる街の隣のエリアのスーパーに感染者が寄っていたことが分かったりしたりで、状況はずっと横ばいだった。
これ以上の規制緩和はまだまだ先といった感じ。

それでも毎日ちゃんと仕事があって、ご飯がいただける。
収入も安定していて、貯金も出来続けていた。
ファーム時代は食費もガソリン代もかかっていたので、今はそれが無い分、貯金に回せるお金はほぼ同じぐらい。




規制緩和後の仕事は蕎麦屋側のキッチンで揚げ場担当だった。


3つのフライヤーと、トースター。


左が1番新しい油で右が1番汚い。


1番左のフライヤーが天ぷら。
天ぷら蕎麦の天ぷらと、単品の海老天と野菜天、蟹天。

真ん中で、揚げ蕎麦と揚げ出し豆腐。

1番右で、唐揚げ、コロッケ、トンカツ。

上のトースターで、西京焼き、ビーフタン、塩鮭。

あとコンロで味噌汁。

これが担当だった。
毎日揚げ続けた。

天ぷらの盛り合わせ。






パンクした2週間後の月曜日。
オーナーの奥さんが知り合いの車修理屋に連絡してくれて、安いタイヤを探してくれた。
一緒にお店まで来ていただいた。

これで3本は新しめのタイヤで、1本だけツルツルの状態...。
車屋さんからも左右差が凄いけどいいの...?と言われるが仕方ない...。
何度見るのだろうかこういう光景...。
というか何で旅行に出て車のタイヤ買っているのだろうか...。








7月下旬の月曜日。
グレイズビルの家の大家さんにお勧めされたシークリフブリッジに行ってみる。
今ニューサウスウェルズで州内旅行に行こうというCMが流れてて、そのCMにも出てくる場所。
CM見たときに、こんな場所あるんだと思ったし。

シドニーから南西に70kmの場所。
途中のハイウェイの休憩所からの景色。
遠くにウーロンゴンの街が見える。




出発して1時間半ぐらい。
海沿いの綺麗な道を走って、シークリフブリッジに到着。
海に突き出す形の道。海沿いの橋。


車を停めて歩いて渡る。



下は海。



全長2kmぐらい。
有名な場所らしく、ドライブがてらの人も多かった。
崖の上から橋を眺めるのが綺麗っぽいけど、道の無い急な雑木林を抜けなければ辿り着かないから行かない。


下に降りる。




帰りに近くのビーチに寄る。
郊外だから人も少ない。




まぁ、良い休日...。
もう普通の観光地は全部行ったし...。
こういう場所しか残ってない...。

というか、せっかく高い車両税払っているんだから車乗らないと損だし。
貯金もこの状況で焦ってないから、休日はある程度遊んでいこうと最近思う。





ある夜、ニュートラルベイで1番有名で大きな飲み屋、オークスに行く。
どの街にも、その街の1番賑わっている交差点の角に、こういう飲み屋がある。
入り口で名前と連絡先を記入する。
ビール1杯9ドル、650円ぐらい。高い。


蕎麦屋の横の路地。
この場所で出勤前と後に煙草を吸う。
1日4回。






ニューサウスウェルズでの新規感染者は横ばいだった。
時々クラスターは起きるが、ロックダウン強化には至っていない。
いくつか制限はあるが、みんな以前に近い生活だった。

ただ、隣の州、ビクトリア州のメルボルンで新規感染者が急増加した。
毎日400人を超えた。
メルボルンは再びロックダウンになった。
しかも前よりも1段間厳しいロックダウン。
家から半径5km圏内しか出歩けず、それも買い物等の必要最低限。

メルボルンから他州に出た人が原因による感染もいくつかあった。
罰金刑や逮捕者も出ていた。

シドニーも再びロックダウンかなんて言われていたが、どうにか感染者数も横ばいで規制は現状維持だった。
ただ州間の移動はより厳しくなった。
特に感染者の少ないクイーンズランドや他の州では、他州からの入州を完全に禁止にした。








8月の初めの月曜日。
何か面白い事は無いか考えた結果、冬はクジラが見られることを思い出す。
こんな状況でもやっていた。
クーポンを使って44ドル、3300円。
もしクジラが見られなかった場合は、また他の便に無料で乗れるらしい。

朝9時と13時半発があって、13時半にした。
バスで中心街に向かう。
昼からビールを呑んでみる。


中心街のダーリングハーバーから船が出る。
お客さんなんて少ないのかと思っていたらけっこういた。
他の便は満席もあったらしい。


ダーリングハーバーを出発。


ハーバーブリッチをくぐる。
船はけっこうなスピードで寒い。


30分ほどで外海へ。


外海を30分ぐらい北上した時に隣の乗客が声をあげた。
遠くをよく見るとクジラの潮吹きが見える。


そこから10分ぐらい走った場所で船は減速した。
近くにいるらしい。
レーダーかなんかで追っているっぽい。

しばらくしたら背中が見えた。
デカい。


船は陸からそこまで離れている場所でもない。
地図を見ると、マンリーの沖合にいる。


クジラは登ってくると1分間ぐらい海面にいて、再び潜っていく。


尾びれも見える。


他の船も来た。
こっちはボートタイプ。


ザトウクジラらしい。
夏は南極にいて、冬のこの時期にオーストラリア沖合まで登ってくる。
7~9月がシーズンらしい。

船が2隻になってからは、クジラはあきらかに遊びだした。
好奇心が強いらしく、音に反応するらしい。
スタッフが乗客に手すりとかを叩いて音を鳴らしてとアナウンスをする。


2隻の間を行ったり来たりして、手や尾をパタパタする。



最終的に2匹のクジラが見れた。
小一時間ぐらいクジラを見せてくれた。
最後は船のすぐ隣まで来てくれたし、十分にクジラが見れた。

クジラが遠くに行ってしまったところで終わり。
シドニーに戻る。
大満足。
クジラなんて一生に1回見れるかどうかだし。
シドニーに住んでいるから見れた。


外海からシドニーに入るエリアは長い岩の崖になっていて国立公園。


船に乗っているだけども楽しい。


海沿いの高級住宅街を凝視する。


夕焼けのハーバーブリッチ。


湾の中にある小島。
昔の刑務所らしい。




全部で3時間ぐらいだった。
大満足。
休日はある程度お金を使っていこうと再び思う。

半年ぶりに来た中心街で買い物をして帰る。
中心街も人通りはいつも通りだった。







今年も誕生日が来た。
一昨年はアルメニアでタカとトモといた。
彼らにソーセージとビールをもらった。

去年はマンダベラでマミコにケーキをもらった。

30歳までに日本に帰りたいから、27歳の時に日本を出た。
帰ったら29歳で、なんだかんだ就職活動したりしていたら30歳だから、逆算して27歳の時に出た。

それがこのざまで、しかも前よりもずっと先のことが分からない。
来月すら分からない。
だいたいこれが終われるのかどうかすら、この状況では分からない。
というか、一生に一回の世界旅行中に、世界中の国境が閉まるとは思わないし。


20代最後の日は変な気持ちで。
日本で迎えていたら、もっと感慨深いというか、名残惜しい気持ちになったかもしれないけど、この状況では何も思えない。
30歳の抱負も30代へのイメージも、そんなもの考えられない。
全てが分からない。
来年の誕生日にどこにいるかなんて想像も出来ない。

20代は、後悔も間違いもあったけど、とてもとても色々なことがあったわけだし。
十二分に楽しかったし。色々なことをしてきたし。

30代ですね、そろそろしっかり出来ますかと言われた所で、状況が訳分からないので何も思わない。
変な気持ちだった。



誕生日は木曜日で仕事はディナーからだから昼間は休みだった。
グレイズビルでケーキをもらう。
嬉しかった。


毎晩仕事が終わると、全員ビールがもらえる。
毎晩持ち帰って、休みの日に呑んでいた。
この日も持ち帰ろうとしたら、オーナーから今日ぐらい呑めと言われ、お店の商品のキリンビールをもらう。
30代初めてのお酒は、キリンの1番絞りだった。
久しぶりの日本のビールはめちゃくちゃ美味しかった。


帰りぎわ、オーナーから袋を渡される。
誕生日プレゼントをいただく。
1ヶ月前ぐらいのスタッフの送別会で呑んで、とても美味しかった焼酎だった。
こっちで焼酎っていくらするのか...。しかもこんな良い銘柄...。


帰って久しぶりに実家と電話しながら呑んだ。
めちゃくちゃ美味しかった。
世界中で色々なお酒を呑んできたけど、産まれた国のお酒は全然違う物だと改めて思う。染みる。



久しぶりの日記を、数ヶ月間に分けて書いたけど、ずっとシドニーにいたけど、色々なことがあった。
世界中の全員がそうだけど。

毎朝起きてニュースを見る度に凄い暗い気持ちになる。

次の日記を書くとき、何がどうなっているのだろう....。
頼むからもう少し好転してほしい。





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20.4.1-6.30 835~925日目 オーストラリア シドニー④

ロックダウンが始まった後の4月から6月末までの3ヶ月間の事。

3月24日から始まったロックダウンは4月に入っても続いた。
4月は丸々1ヶ月間テイクアウトのみの営業だった。
仕事は週の半分が休みで、仕事に行っても短い時間だった。

求人情報を見てもまったく出ていなかったし、どこも厳しい状況だった。
蕎麦屋もウーバーやデリバルーなどのデリバリーサービスを導入した。
ただ、そこまでオーダーは増えなかった。
元々レストランとして高級店に属するお店だし。

寝たり、漫画を読んだり、グダグダと過ごす毎日が続いた。
週60ドルの赤字が続いたが、まったくこの先のことは分からなかった。

毎日、街は人も車も少なかった。
スーパーも入店人数の制限が出来た。
酒などでも購入数が1人2点までとなった。
日用品の品薄状態も続いた。

まったく先も見えず、やる気も起こらず、やることも無く、ただグダグダと毎日を過ごした。
毎晩気晴らしに散歩に行くぐらいだった。
日本人の帰国ラッシュは終わり、残っているのは居続けることを決意した人だけだった。
飛行機も全日空が週3便の羽田線を残し、残りは欠航した。
日本航空は全便欠航。
シドニー以外の都市からの便は全便欠航になった。



何度も何度も考えた。
流石にここが限界ではないかと。
この状況で、周りの人がほとんど帰国した中、俺も帰国を何度も考えた。
この先、いつ海外旅行が出来るか分からない。
このままの状況で、貯蓄を崩していては、いつになったら貯金が貯まるのかも分からない。

流石にここが限界なのでは無いかと。
帰国した方が賢明なのでは無いかと。

ただ日本に帰っても2週間の自己隔離。
その先日本で仕事がある保証も無い。

俺はかろうじてシドニーで生活が出来ている。
そして何より、今のオーナーがこの状況でもスタッフ達を切らずに働かせて、ご飯をくれている。

何度も考えたが、今はまだオーストラリアに居続けることにする。
今、日本に帰りたくは無い。
今、日本の景色はどうしても見たくない。
今じゃ無い。

そしてシドニーのこの状況で働き続けたい。
この先を見たいし。

世界中の人が大変で、全員がずっと一生覚えているであろうこの状況を、俺はシドニーで過ごし、蕎麦屋で働きながら、最後まで見続ける。
今はまだ限界では無いと、判断した。

もし、今すぐに営業が通常再開しても、スタッフがいなさすぎてお店が回らない。
シドニーのほとんどの日本人は帰国して、当面新しい人も入国出来ないので、求人を出しても応募が来ないし。
この状況で助けていただいたお店で働き、いくら暇でもシドニーにいることにした。






5月に入る頃には、新規感染者は落ち着いてきた。
新規感染者が一桁で推移する日が続いた。

外出規制も緩和された。
5月上旬、車で久しぶりに海を見に行った。
ロックダウン直後よりもだいぶ人が出始めてきて、ビーチでも体を動かす人や散歩する人が多くいた。
3ヶ月ぶりのマンリービーチ。


この頃、家賃が週200ドルから120ドルに下がった。
大家さんのこの状況へのご配慮だった。
これは本当に助かった。ありがたい。
これで赤字が解消された。
政府からの補助政策もあり、シドニーのほとんどの家が家賃が下がった。
うちの大家さんも、状況が落ち着くまで、当面はこの金額でいいと言っていただいた。


そして蕎麦屋の時給が2ドル上がった。
普段お店に来ないオーナーの奥さんが、デリバリーのため毎晩お店に来るようになって、スタッフ達の働く姿を見て、時給を上げることにしたと聞いた。
この状況で1番厳しいのはオーナー夫妻なのに。
この状況の中、時給を上げるというのは、本当に半端ない...。
ありがたいどころじゃなかった。


オーストラリア政府は本当に速い判断でロックダウンを行った。
その後も次々に補助金の政策を発表した。
オーストラリア国民への賃金、家賃、補助金などの政策。
その中で、年金の早期引き出しが可能になった。
年金は、働いている雇用主が、給料とは別に支払っている。
それは俺らワーキングホリデービザでも一緒だった。
しかし、俺らの場合、オーストラリアから出国したあとに申請しても全額のうちの1割程度しか返ってこない。
それが特例措置で、今なら全額引き落とし可能になった。
俺がここまで1年3ヶ月働いて貯まっていた年金は2500ドル。19万円。
本来なら1割程度しか戻らないのに。
すぐに全額申請した。


この3つのことで、ロックダウンに入ってからの収入減、赤字は全て解消された。
この2ヶ月間近いロックダウンの日々も予定通りの貯金が出来た。
これは本当にありがたかった。
ほぼ被害が無いということだった。




そして5月中旬、ロックダウンは緩和された。
新規感染者が一桁の日がずっと続いたからだった。
飲食店の店内営業が許可され、店内面積で4平方メートルで1人までなら入店可能、同時に10人までなら店内での飲食が許可された。
蕎麦屋も10人までの制限をかけて店内営業が再開した。
みんな嬉しかった。
テイクアウトも継続して、両方のお客さんがきた。
勤務時間もほぼ完全に元通りになり、収入も安定した。
お店のスタッフの一人が、奥さんの出産のため帰国することになり、ポジションも鉄板から揚げ場へと戻った。

ただラーメン屋は店内が狭いのと、家族経営でもあり、俺の仕事が再開することは無かった。


お休みが月曜日、木曜日曜のランチタイムだけになった。
あるお休みの日、シドニーオリンピックパークへ。
2000年のシドニー五輪メイン会場。
施設は広いが、人もいなくてゴーストタウンだった。


近くの入り江。



地図を見ていたら、ビューポイントが近くにあったので行ってみる。

そしたらビックリした。
昔、図書館で借りた何かの本で見た光景が目の前にあった。

置き去りにされた廃船がマングローブに浸食された珍しい光景。
たしか世界のそういう不思議な光景の写真集で見た気がする。
これがシドニーだったのは完全に忘れたいた。
まぁ本で見たときもここにわざわざ行く気は起こら無かったけど....。








ある日、マンダベラから「郵便物が届いてるから転送する。さっさと住所変更しろ。」とメールが届く。
数日後郵便物が転送されてきて、なんだろうと中を開けたら、交通違反の支払い命令書だった...。
日時、場所から見ると、グレイズビルからニュートラルベイに帰る途中で完全に通った記憶がある場所。

内容は信号無視だった....。
覚えがある...。黄色から赤に変わるときに、行ってしまえとアクセル踏み込んだ記憶がある...。

罰金額は458ドル....。35000円....。
マジで海外の違反金高い...。
完全に俺が悪いけど...。
いったいいくら車関係で支払うことになるのか...。

オンラインで支払う。


長年使っているiPhoneのバッテリーの寿命が来ていた。
ずっと前から感じてはいたが、最近は酷すぎる。
ニュートラルベイに良いお店があったので交換をお願いする。
5分で終わったし、5000円ぐらい。
その後は絶好調。


新規感染者はずっと落ち着いていた。
一桁で推移し続け、途中0人の日もあった。


求人も出始めていた。
どこのお店もロックダウンの時にほとんどのスタッフが辞めてしまっていたので、規制緩和後は人手不足みたいだった。
ラーメン屋の仕事再開が見通せないので、あちこちに履歴書を送ったり電話したりするが、俺の空いている時間だけでの採用は厳しかった。
ニュートラルベイの他のお店は全滅だった。
隣町クロウズネストもダメだった。

まぁ週3回の仕事ために、バスに乗って中心街まで出勤するのも嫌だし、バス代も時間も無駄なので、そこまで貪欲に仕事探しはしなかった。
今のこの状況では気長に働くしか無いし。
週に1度のお休みも良いものだし。






6月上旬、規制がさらに緩和された。
飲食店は店内に1度に入れられるお客さんの上限が50人になった。
ただ4平方メートルに1人というソーシャルディスタンスはそのままなので、蕎麦屋の1度に入れられる人数の上限は18人になった。
これを1回の営業で2回転させる。
18時~19時半で18人。
19時半~21時で18人。
お客さんのほとんどは予約なので、ほぼ毎晩予約で満席になった。
それに加えてテイクアウトとデリバリーがあった。
夜が満席なのもあって、昼間のお客さんも多かった。
週末は昼間も満席なんてこともあった。
先月よりもテイクアウトが少しずつ減り始めた。
みんな出歩き始めた感じだった。

この規制緩和によって蕎麦屋での仕事は完全に元に戻った。
ロックダウン以前と同じ労働時間になった。
もちろんお客さんの数は以前より少ないけど、スタッフの数が少ないから毎日忙しかった。

他のお店も規制緩和で少しだけ元に戻った。
パブは営業再開し賑わっていた。
アパレル系や雑貨屋もどこも営業再開した。
街中の車や人の数も元に戻った。
オーストラリア政府の当初の判断の速さで、他の国よりも早く回復に向かっているように感じられた。







相変わらず州間での移動は規制されたままだった。
ただ今回の規制緩和で州内での旅行が許可された。
政府も州内の旅行を推進していた。

ある月曜日、旅行も許可されたのでシドニーから西に100kmの郊外のブルーマウンテン国立公園の中にある、スリーシスターズに車で遊びに行く。
シドニーでは有名な観光名所。
昼過ぎに出て1時間半ぐらい。
着いたら夕方だった。

3つの岩スリーシスターズ。
3姉妹が岩になったとかいう伝説がある。



本当に久しぶりにこういう景色を見た。
そういえばオーストラリアってこんな感じだったわと。


隣にいたオーストラリア人の小さな男の子二人が英語で、この景色を見ながら「木めっちゃある!!何本かな?3千本ぐらいかな?」みたいな会話してて。
いくら英語でもどこの子供もこんな話ししているんだな。


今は国外、州外からの観光客はいないから、全員が俺と同じNSWの住人。
それでも月曜なのに賑わっていて、本当に多国籍。
世界中の人種がいる。


スリーシスターズの裏まで歩いて行ける。
20分ぐらい。


近くで見たからといって何も無いけど。




夕焼け。
久しぶりにこういう景色見て楽しかった。





6月末の休日。
ドッグトリマーの元ルームメイトが、シドニー郊外にあるハサミ屋さんに行きたいというので車で行く。
40分ぐらい西にあるエリア。
倉庫街の問屋。


さっぱり分からない。
これはこれで良い休日だった。


帰り道に買い物による。
休日はよくトップライドという街にあるウエストフィールドというショッピングモールに行っていた。
ここならアジアンスーパーも入っていて何でも揃う。

1週間分の物を買って車に戻ると、車がなんか傾いている...。
嫌な予感がする。


近づいてみると、パンクしていた....。
1年ぶり2度目のパンク...。


ひとまず自分で交換出来るかやってみるが、去年と一緒でナットの1本がどうしても工具と噛み合わない...。
仕方がないのでロードサービスを呼ぶ...。
シドニーに来た翌日にギアシャフトが折れて呼んだ時以来7ヶ月ぶり...。

20分ぐらいで来てくれた。
ロードサービスの方もソーシャルディスタンスだと言って2m以内に近づかないように言われる。


無事交換してくれた。
ペチャンコ....。
まぁパンクは仕方ない...。
というか、走行中とかじゃなくて本当に良かった...。
この車はそういう所だけは本当に毎回気を遣ってくれる...。


ロードサービスの方が、なぜナットが1本噛み合わないのかを教えてくれた。
1本は盗難防止のセキュリティ用で、ランドローバー専用の変換が無いと交換が出来ないらしい。
ただ車の中を探してもそれらしき物が無い....。

ランドローバー店頭か、WEBで買えるらしい...。
長距離運転するなら買った方がいいと言われる。

現金を持っていなかったので、買ったばかりのナッツをお礼に渡した。




シドニーはどんどん冬になっていった。
夜はコートを着るようになり、部屋ではヒーターをつけた。
1年半前のウクライナ以来の冬だった。



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22.6.22-7.21 1647~1676日目 イギリス ロンドン⑦

6月下旬から最近までのこと。 クイーンのライブを見た後にWeezerのライブがあるか調べて。 Green dayとFall Out Boyと3マンがあることを知り。 ただ一人で行くのもなんだかなぁと思い。 スタジアムで3マンとか一人だと飽きそうだなと思い。 また掲示板で誰か行きま...