ロックダウンが始まった後の4月から6月末までの3ヶ月間の事。
3月24日から始まったロックダウンは4月に入っても続いた。
4月は丸々1ヶ月間テイクアウトのみの営業だった。
仕事は週の半分が休みで、仕事に行っても短い時間だった。
求人情報を見てもまったく出ていなかったし、どこも厳しい状況だった。
蕎麦屋もウーバーやデリバルーなどのデリバリーサービスを導入した。
ただ、そこまでオーダーは増えなかった。
元々レストランとして高級店に属するお店だし。
寝たり、漫画を読んだり、グダグダと過ごす毎日が続いた。
週60ドルの赤字が続いたが、まったくこの先のことは分からなかった。
毎日、街は人も車も少なかった。
スーパーも入店人数の制限が出来た。
酒などでも購入数が1人2点までとなった。
日用品の品薄状態も続いた。
まったく先も見えず、やる気も起こらず、やることも無く、ただグダグダと毎日を過ごした。
毎晩気晴らしに散歩に行くぐらいだった。
日本人の帰国ラッシュは終わり、残っているのは居続けることを決意した人だけだった。
飛行機も全日空が週3便の羽田線を残し、残りは欠航した。
日本航空は全便欠航。
シドニー以外の都市からの便は全便欠航になった。
何度も何度も考えた。
流石にここが限界ではないかと。
この状況で、周りの人がほとんど帰国した中、俺も帰国を何度も考えた。
この先、いつ海外旅行が出来るか分からない。
このままの状況で、貯蓄を崩していては、いつになったら貯金が貯まるのかも分からない。
流石にここが限界なのでは無いかと。
帰国した方が賢明なのでは無いかと。
ただ日本に帰っても2週間の自己隔離。
その先日本で仕事がある保証も無い。
俺はかろうじてシドニーで生活が出来ている。
そして何より、今のオーナーがこの状況でもスタッフ達を切らずに働かせて、ご飯をくれている。
何度も考えたが、今はまだオーストラリアに居続けることにする。
今、日本に帰りたくは無い。
今、日本の景色はどうしても見たくない。
今じゃ無い。
そしてシドニーのこの状況で働き続けたい。
この先を見たいし。
世界中の人が大変で、全員がずっと一生覚えているであろうこの状況を、俺はシドニーで過ごし、蕎麦屋で働きながら、最後まで見続ける。
今はまだ限界では無いと、判断した。
もし、今すぐに営業が通常再開しても、スタッフがいなさすぎてお店が回らない。
シドニーのほとんどの日本人は帰国して、当面新しい人も入国出来ないので、求人を出しても応募が来ないし。
この状況で助けていただいたお店で働き、いくら暇でもシドニーにいることにした。
5月に入る頃には、新規感染者は落ち着いてきた。
新規感染者が一桁で推移する日が続いた。
外出規制も緩和された。
5月上旬、車で久しぶりに海を見に行った。
ロックダウン直後よりもだいぶ人が出始めてきて、ビーチでも体を動かす人や散歩する人が多くいた。
3ヶ月ぶりのマンリービーチ。
この頃、家賃が週200ドルから120ドルに下がった。
大家さんのこの状況へのご配慮だった。
これは本当に助かった。ありがたい。
これで赤字が解消された。
政府からの補助政策もあり、シドニーのほとんどの家が家賃が下がった。
うちの大家さんも、状況が落ち着くまで、当面はこの金額でいいと言っていただいた。
そして蕎麦屋の時給が2ドル上がった。
普段お店に来ないオーナーの奥さんが、デリバリーのため毎晩お店に来るようになって、スタッフ達の働く姿を見て、時給を上げることにしたと聞いた。
この状況で1番厳しいのはオーナー夫妻なのに。
この状況の中、時給を上げるというのは、本当に半端ない...。
ありがたいどころじゃなかった。
オーストラリア政府は本当に速い判断でロックダウンを行った。
その後も次々に補助金の政策を発表した。
オーストラリア国民への賃金、家賃、補助金などの政策。
その中で、年金の早期引き出しが可能になった。
年金は、働いている雇用主が、給料とは別に支払っている。
それは俺らワーキングホリデービザでも一緒だった。
しかし、俺らの場合、オーストラリアから出国したあとに申請しても全額のうちの1割程度しか返ってこない。
それが特例措置で、今なら全額引き落とし可能になった。
俺がここまで1年3ヶ月働いて貯まっていた年金は2500ドル。19万円。
本来なら1割程度しか戻らないのに。
すぐに全額申請した。
この3つのことで、ロックダウンに入ってからの収入減、赤字は全て解消された。
この2ヶ月間近いロックダウンの日々も予定通りの貯金が出来た。
これは本当にありがたかった。
ほぼ被害が無いということだった。
そして5月中旬、ロックダウンは緩和された。
新規感染者が一桁の日がずっと続いたからだった。
飲食店の店内営業が許可され、店内面積で4平方メートルで1人までなら入店可能、同時に10人までなら店内での飲食が許可された。
蕎麦屋も10人までの制限をかけて店内営業が再開した。
みんな嬉しかった。
テイクアウトも継続して、両方のお客さんがきた。
勤務時間もほぼ完全に元通りになり、収入も安定した。
お店のスタッフの一人が、奥さんの出産のため帰国することになり、ポジションも鉄板から揚げ場へと戻った。
ただラーメン屋は店内が狭いのと、家族経営でもあり、俺の仕事が再開することは無かった。
お休みが月曜日、木曜日曜のランチタイムだけになった。
あるお休みの日、シドニーオリンピックパークへ。
2000年のシドニー五輪メイン会場。
施設は広いが、人もいなくてゴーストタウンだった。
近くの入り江。
地図を見ていたら、ビューポイントが近くにあったので行ってみる。
そしたらビックリした。
昔、図書館で借りた何かの本で見た光景が目の前にあった。
置き去りにされた廃船がマングローブに浸食された珍しい光景。
たしか世界のそういう不思議な光景の写真集で見た気がする。
これがシドニーだったのは完全に忘れたいた。
まぁ本で見たときもここにわざわざ行く気は起こら無かったけど....。
ある日、マンダベラから「郵便物が届いてるから転送する。さっさと住所変更しろ。」とメールが届く。
数日後郵便物が転送されてきて、なんだろうと中を開けたら、交通違反の支払い命令書だった...。
日時、場所から見ると、グレイズビルからニュートラルベイに帰る途中で完全に通った記憶がある場所。
内容は信号無視だった....。
覚えがある...。黄色から赤に変わるときに、行ってしまえとアクセル踏み込んだ記憶がある...。
罰金額は458ドル....。35000円....。
マジで海外の違反金高い...。
完全に俺が悪いけど...。
いったいいくら車関係で支払うことになるのか...。
オンラインで支払う。
長年使っているiPhoneのバッテリーの寿命が来ていた。
ずっと前から感じてはいたが、最近は酷すぎる。
ニュートラルベイに良いお店があったので交換をお願いする。
5分で終わったし、5000円ぐらい。
その後は絶好調。
新規感染者はずっと落ち着いていた。
一桁で推移し続け、途中0人の日もあった。
求人も出始めていた。
どこのお店もロックダウンの時にほとんどのスタッフが辞めてしまっていたので、規制緩和後は人手不足みたいだった。
ラーメン屋の仕事再開が見通せないので、あちこちに履歴書を送ったり電話したりするが、俺の空いている時間だけでの採用は厳しかった。
ニュートラルベイの他のお店は全滅だった。
隣町クロウズネストもダメだった。
まぁ週3回の仕事ために、バスに乗って中心街まで出勤するのも嫌だし、バス代も時間も無駄なので、そこまで貪欲に仕事探しはしなかった。
今のこの状況では気長に働くしか無いし。
週に1度のお休みも良いものだし。
6月上旬、規制がさらに緩和された。
飲食店は店内に1度に入れられるお客さんの上限が50人になった。
ただ4平方メートルに1人というソーシャルディスタンスはそのままなので、蕎麦屋の1度に入れられる人数の上限は18人になった。
これを1回の営業で2回転させる。
18時~19時半で18人。
19時半~21時で18人。
お客さんのほとんどは予約なので、ほぼ毎晩予約で満席になった。
それに加えてテイクアウトとデリバリーがあった。
夜が満席なのもあって、昼間のお客さんも多かった。
週末は昼間も満席なんてこともあった。
先月よりもテイクアウトが少しずつ減り始めた。
みんな出歩き始めた感じだった。
この規制緩和によって蕎麦屋での仕事は完全に元に戻った。
ロックダウン以前と同じ労働時間になった。
もちろんお客さんの数は以前より少ないけど、スタッフの数が少ないから毎日忙しかった。
他のお店も規制緩和で少しだけ元に戻った。
パブは営業再開し賑わっていた。
アパレル系や雑貨屋もどこも営業再開した。
街中の車や人の数も元に戻った。
オーストラリア政府の当初の判断の速さで、他の国よりも早く回復に向かっているように感じられた。
相変わらず州間での移動は規制されたままだった。
ただ今回の規制緩和で州内での旅行が許可された。
政府も州内の旅行を推進していた。
ある月曜日、旅行も許可されたのでシドニーから西に100kmの郊外のブルーマウンテン国立公園の中にある、スリーシスターズに車で遊びに行く。
シドニーでは有名な観光名所。
昼過ぎに出て1時間半ぐらい。
着いたら夕方だった。
3つの岩スリーシスターズ。
3姉妹が岩になったとかいう伝説がある。
本当に久しぶりにこういう景色を見た。
そういえばオーストラリアってこんな感じだったわと。
隣にいたオーストラリア人の小さな男の子二人が英語で、この景色を見ながら「木めっちゃある!!何本かな?3千本ぐらいかな?」みたいな会話してて。
いくら英語でもどこの子供もこんな話ししているんだな。
今は国外、州外からの観光客はいないから、全員が俺と同じNSWの住人。
それでも月曜なのに賑わっていて、本当に多国籍。
世界中の人種がいる。
スリーシスターズの裏まで歩いて行ける。
20分ぐらい。
近くで見たからといって何も無いけど。
夕焼け。
久しぶりにこういう景色見て楽しかった。
6月末の休日。
ドッグトリマーの元ルームメイトが、シドニー郊外にあるハサミ屋さんに行きたいというので車で行く。
40分ぐらい西にあるエリア。
倉庫街の問屋。
さっぱり分からない。
これはこれで良い休日だった。
帰り道に買い物による。
休日はよくトップライドという街にあるウエストフィールドというショッピングモールに行っていた。
ここならアジアンスーパーも入っていて何でも揃う。
1週間分の物を買って車に戻ると、車がなんか傾いている...。
嫌な予感がする。
近づいてみると、パンクしていた....。
1年ぶり2度目のパンク...。
ひとまず自分で交換出来るかやってみるが、去年と一緒でナットの1本がどうしても工具と噛み合わない...。
仕方がないのでロードサービスを呼ぶ...。
シドニーに来た翌日にギアシャフトが折れて呼んだ時以来7ヶ月ぶり...。
20分ぐらいで来てくれた。
ロードサービスの方もソーシャルディスタンスだと言って2m以内に近づかないように言われる。
無事交換してくれた。
ペチャンコ....。
まぁパンクは仕方ない...。
というか、走行中とかじゃなくて本当に良かった...。
この車はそういう所だけは本当に毎回気を遣ってくれる...。
ロードサービスの方が、なぜナットが1本噛み合わないのかを教えてくれた。
1本は盗難防止のセキュリティ用で、ランドローバー専用の変換が無いと交換が出来ないらしい。
ただ車の中を探してもそれらしき物が無い....。
ランドローバー店頭か、WEBで買えるらしい...。
長距離運転するなら買った方がいいと言われる。
現金を持っていなかったので、買ったばかりのナッツをお礼に渡した。
シドニーはどんどん冬になっていった。
夜はコートを着るようになり、部屋ではヒーターをつけた。
1年半前のウクライナ以来の冬だった。
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