前回日記を書いてから3ヶ月以上がたった。
オーストラリアというか、マンダベラの生活に慣れすぎて、自分が旅行の途中で出稼ぎに来ていることとか、いつかは日本に帰ることとか、もはや日本に家があったこととかを忘れているというか、あまり考えたり思い出すことが正直減ってきた。
オーストラリアに来てまもなく半年。
半年も経った事にビックリするし。
ただ毎日働いて、帰って、寝て、休日は家事をするだけの毎日になっていた。
それでも前回日記を書いてからの3ヶ月間は色々な事があった。
トラブルや面倒が起きては解決しての毎日だった。
やることは常に溜まっていたし。
本当に良いことが無い、空回りの毎日だった。
5月の下旬、ずっと一緒に働いて、よく酒呑んだり、遊んでいた沖縄の三人組がマンダベラから出て行った。
リョウくん、レイくん、マサキくん。
一人は日本へ。二人は都市で働くつもりだったけど、結局その後帰ったらしい。
最後の日、お別れをしに行って。
三人の車に乗せてもらって毎日通勤していたし。
ホントに良い人達だった。
その頃にシトラスと呼ばれるオレンジの収穫が終わった。
その後からはマルコットの収穫になった。
マルコットもオレンジの一種。
マルコットの方がシトラスより実が大きい。
その分、レートが下がった。
シトラスは1ビン、100ドル~130ドルあったけど、マルコットは60ドル~90ドル。
収穫に使うクリッパーも歯が長いタイプのを使う。
シトラスは日本に輸出されないらしい。
下の写真のはハニーマルコット。
これは日本に輸出されるとボスが言っていた。
一口食べたけど、シトラスよりめちゃくちゃ甘い。
この頃は、収穫に制限がかかっていた。
一日にチーム全体で50ビン収穫したら終わりとかの毎日が続いた。
だから一日一人2ビン作って終わりとか。
6時間ぐらい働いて終わりの日が続いて稼げない。
マルコットの農場はカンガルーをよく見かけた。
走り回っていた。
足を怪我したカンガルー。普段はすぐ逃げるからあれだけど、この時はジッとしていた。
マルコットを収穫している頃、地元の先輩達から新譜のデータを送っていただいた。
SNSを見ているから新譜が出るのは知っていたけど、聞けるとは思ってなかった。
日本を出て1年半も経つのに。本当に嬉しかった。
毎日流しながら収穫した。
6月。
サキコちゃんの彼氏がマンダベラに来た。
ジュンペイくん。
同じキャラバンの違う部屋で二人で住み始めた。
その数日後ユーキが帰ってきたので、ユーキとの二人暮らしが始まった。
一緒にずっと働いていたトモさんが日本に帰国した。
最後の日の朝、チームで集合写真。
俺たち3人以外は全員ネパール人。
夜は送別会に行った。
ネパール人、韓国人、オーストラリア人、日本人。
料理を持ち寄ってお酒を呑んだ。
今までどこの国でもよく見かけた、欧米人がよくやっている、コップにピンポン球を入れる遊びを教わった。
相手のコップに入れれば、相手がそれを呑むというゲーム。
ジュンペイくんは仕事が見つけられずにいた。
定員がいっぱいで、マルコットが本格的に収穫シーズンにならないと入れられないと言われていた。
そんな時に、うちのチームのスーパーバイザーのスレスが、仕事からの帰り道にカンガルーをひいた。
車のバンパーが壊れたらしい。
その影響で、仕事に行くのに車が足りなくなった。
スレスは、俺とサキコちゃんが仕事に行くのに使っていた、ジュンペイくんの車を貸してくれと言ってきた。
貸してくれればサキコちゃんはそのまま毎日仕事に通って良いと。
貸す代わりに、スレスの車が直ったら、ジュンペイくんをチームに入れることを条件に二人は貸した。
それでも座席は足りない。
2~3日おきにローテーションで休みにするから、ひとまずお前は休めと言われた...。
ホントだな?交代制だな?とスレスに何度も確認するが、ひとまず3日休めと言われる。
次の日からジュンペイくんの車をスレスが運転して、サキコちゃんとネパール人を乗せてスレスが運転して仕事に行った。
3日休んで、スレスに明日から行けるか?と確認するが、まだ無理だ、休めと言われる...。
席が無いからか?と言うと、そうだと...。
やっぱりこうなった...。
話しと違うと抗議したがダメだった。
結局スレスの車が直るまで、一週間休みだった。
こういうことはちょこちょこあった。
ボスも、俺たち以外も、全員ネパール人で、ネパール人びいきされることがあった。
本拠地にしているファームが休みの時、日本人と韓国人だけ休みで、他のネパール人は他の農場で働けるなんて日もあった。
まぁ逆の立場になって、ボスが日本人なら日本人びいきするしなぁ...とも思うし...。
たくさん出稼ぎのネパール人抱えているから仕方ないとも思いつつ。
こういうこともあってオーストラリア人達からはうちのボスは嫌われていた。
うちのボス、仕事紹介人、コントラクターの名前はバス。
元々、何十年も前、俺らと同じ収穫するだけのピッカーだったらしい。
ただのピッカーだったバスは、マンダベラで働きながら、オーストラリア人のお婆さんと結婚したらしい。
その後、お婆さんと生活しながら色々な農場に人脈を作り、英語を習得したと。
結婚して5年、永住権を取得してすぐにお婆さんと離婚したらしい。
今はネパールから家族やたくさんの人を呼んでコントラクターとして働いていると。
各チームのスーパーバイザーはバスの親戚らしい。
新しい若いネパール人の奥さんは、会社の経理をやっている。
ネパールの地元には数億の豪邸を持っていると。
この成り上がりの話はオーストラリアでは有名で、オーストラリア人が彼を嫌っている理由の一つだった。
どこまで本当かは知らないし、昔もっと色々な事があったんだろうけど、凄い話し。
バスのもうけは、俺らの収穫したビンから、1ビン10ドルほどのマージンが入っているらしい。
凄い額になる。
ネパールならとんでもない額。
それと、いつも収穫の時にコンビを組むことが多かったネパール人のデーブから聞いた話だと、彼らの労働ビザは2年間で250万円するらしい。
仲介業者を通して、それ以外にも試験があって、中々簡単には取れないらしい。
ネパールでの250万円っていったら、たぶん1000万円以上の価値がある。
デーブは、両親がデーブの子供の頃、デーブを祖母の家に預けて韓国に出稼ぎに行っていたらしい。
そこで稼いだお金をデーブのビザ代にあてたと。
他のネパール人達ともそういう話しはよくした。
ほとんどが夫婦で来ていて、みんな子供がいて、子供は祖父祖母の家に預けてきていると。
2~3年働いて稼いだら、帰ると言っていた。
みんな日本人のビザ代、俺がこの先どうするか、日本での給料事情を聞いてきた。
話すと、なぜお前は結婚しない?結婚出来なくなるぞ?子供はいらないのか?なぜ実家に仕送りをしない?と毎回聞かれた。
長い旅行中で出稼ぎに来てると話しても、いいねとは言うけど、不可解な顔をされることが多かった。
俺のビザ代は1年で4万円。日本の給料はオーストラリアの8割ぐらいと正直に話しても、そりゃ彼らからしたら、なんで一人でわざわざオーストラリアに?という顔をされるし、やっぱりネパール人の方が条件がアレだから、会話が良い雰囲気になることは無い。
それでもみんな優しいけど。
彼らは俺らの2倍は収穫する。女の子でも俺の1.5倍は取る。
そりゃ、収穫量が違いすぎるわけで。
ハングリーさも、覚悟も違うわけで。
逆にデーブは俺とほとんどスピードが一緒だからよくコンビを組んでたけど、もっと取らないとビザ代回収出来ないのでは...?と。
バスや親戚達はポカラ出身が多かった。
他の人達もポカラが多かった。
ルンビニやカトマンズ出身も何人かいた。
1週間たって、スレスの車が直って俺は再び仕事に復帰した。
ただ車を貸し出す条件であったジュンペイくんをチームに入れるという条件は、バスにうやむやにされた。
マジで腹立たしい...。
朝、霧が出ている時や、夜のうちに雨が降った日などは、開始時間が遅れた。
着いてから2時間後にスタートなんて日も多くて、そういう日は開始まで暇だった。
シトラスとハニーマルコットが終わって、本格的にマルコットが始まるまでは、レモンやグレープフルーツを取った。
レモンは1ビン90ドルぐらい。
グレープフルーツは大きくてすぐいっぱいになるから1ビン40ドルぐらい。
グレープフルーツは割が良かった。
レモンは枝にトゲが多くて腕が傷だらけになった。
枝も入り組んでいるし、木の高さも高いから、面倒くさかった。
ネパール人達もレモンを嫌っていた。
ビンがそろそろいっぱいになりそうになると、スレスが新しいビンを持ってきてくれる。
ビンには番号が付いていて、どれを誰が取ったのかを管理される。
スレスはブロックの隅にビンを並べて、農場主がトラクターで倉庫に運ぶ。
ジュンペイくんの車を借りて、俺が運転して毎日仕事に通っていた。
ある日、朝農場に着くとエンジンから煙が上がった...。
走行は可能だったけど、若干オーバーヒート気味だった...。
調べたらオイルが足りなかった。
スレスに貸していた時も1回オーバーヒートしていて、その時もオイルは足していた。
確認したら漏れていた...。
帰り道にオイルを買って帰った。
毎朝出勤前にオイルチェックをした。
それでも、走行時にエンジン温度が上がる。
オイルは十分でも、オイルが漏れているからエンジン温度が上がるのか。
毎朝30分走った場所にあるゲインダーのガソリンスタンドに車を止めて、エンジンを冷ましてから、もう20分走ってファームに向かった。
毎朝、ガソリンスタンドに着いてボンネットを開けると白煙が上がった...。
修理工場へ持って行くと、やはりオイルが漏れているみたいで、シールを貼って直すらしい。
ただ田舎なのでパーツが無く、取り寄せるのに数日かかるとのことだった。
ゲインダーでの休憩もあるので通勤時間は毎日片道1時間15分かかった。
マンダベラから今のファームがあまりにも遠すぎる。
毎日往復2時間以上はしんどかった。
なので休みの日にジュンペイくんとサキコちゃんと3人で、マンダベラとファームの途中にある街、ゲインダーに住める場所が無いか探しに行くことにした。
この先マルコットが終わってブルーベリーが始まれば、ファームはマンダベラの近くになるけど、マルコットが終わるまで2ヶ月はある。
その間だけでもゲインダーに住む方が良いと思った。
マンダベラにもゲインダーにも、キャランバンパークとモーテル、バッパーの3種類の宿がある。
キャランバンパークは今住んでいるような労働者が多く住む場所。
家はコンテナや古いキャンピングカーを改造したタイプが多い。
モーテルは、オーストラリア人が老後にキャンピングカーでロードトリップをするのに泊まるようなコテージタイプの場所。
バッパーはいわゆるドミトリータイプ。
ゲインダーで人から聞いていた場所に行ってみたらモーテルだった。
宿泊費はキャランバンパークの倍ぐらいしたので却下。
キャランバンパークを調べたら1カ所だけあったので行ってみる。
受付に人は不在だったが、そこに住んでいた日本人とたまたま会えて話しを聞けた。
値段はマンダベラと一緒。
ただ、食器、寝具が無い。
調理場、風呂トイレも狭い。
Wi-Fiも事務所周りしか無い。冷蔵庫も小さい。
部屋の空きはあったが、考えるまでも無くここは嫌だった。
食器と寝具揃えるだけで大変だし。
それなら通勤時間は長いけどマンダベラの方が良い。
というか今住んでいる場所はめちゃくちゃ良い所なんだと改めて思った。
バッパーにも行ってみたけど、人がいないというかひと気が無かった...。
キッチンとかも使えるレベルでは無かったのでここも無し。
というわけで、ゲインダー引っ越しは無し。
このままマンダベラに住むことが決定した。
ゲインダーの方がマンダベラよりも街は若干大きい。
スーパーもマンダベラより大きいし品揃えも多い。
なのに泊まれる場所がマンダベラに比べたら全然少ない...。
何故...。
だからバスもマンダベラ拠点にしているのか、なんなのか。
この日はゲインダーの商店街を散策して帰った。
6月下旬、家からユーキが出て行った。
日本に帰って、その後カナダに行くらしい。
なので同居人を新たに探す必要があった。
もう長いこと住んでいるので、1人だからと追い出されるとかは無い。
ただ、ハイシーズンで混み合っている。
高額な個人部屋に移動させられたり、3人部屋に移動とかも避けたい。
というか面倒だから今のところから移りたくない。
レセプションと話して、キャランバンパーク側も同居人を探してくれると言ってくれた。
俺も個人的に探してみると話した。
数日後に台湾人の男の子が入るとレセプションから言われたが、その後その人から連絡が返ってこなくなったみたいで、話しは流れた。
正直、シェアハウスとかで大人数で住むのなら何でもいいけど、2人部屋なら日本人が良かった...。
台湾人とかならいいけど、あまりに文化が違う系の国でも疲れそうな気がするし...。
めちゃデカい黒人と2人暮らしとかも疲れそうだし...。
なのでネットで同居人募集の記事を出した。
そしたら4~5人から問い合わせが来た。
みんなセカンドビザ目的のファームジョブ狙い。
ただ来たら俺が仕事を紹介出来るわけでは無い、コントラクターを紹介出来るだけで、同居人を探しているだけだと伝える。
あと車が無いと、仕事が見つかる可能性は低くなると話す。
そうするとほとんどの人は消極的になってしまった。
3回目の募集を出した所で、車を買ってくるという人が見つかった。
その人に、買ってきたほうが良い物、ここまでの来る方法、コントラクターリストなどを送る。
2週間後に来るらしい。
レセプションに伝える。
それ以外にもう1人、車は無いけど来たいと言った人がいたので、知り合いのシェアハウスを紹介して、色々な情報を送った。
ジュンペイくんの車が修理から返ってきたのと、連休が出来たので3人でバンダバーグに買い物に行った。
マンダベラから一番近い大きな街がバンダバーグ。
といっても、バンダバーグもスーパーとかがあるだけで、別に街じたいは大都市なわけでは無い...。
それでも片道3時間はかかる、220km離れた街...。
ジュンペイくんの車は途中までは調子が良かったが、途中からまたエンジン温度が上がり始める...。
バンダバーグに着いたらまた白煙を上げていた...。
直っていない...。
久しぶりの海。
冬で風も波もすごかった。
1番欲しかったのはサンダル。
オーストラリアに着いてすぐにその時のサンダルが壊れたので、新しく買ったやつ。
4ヶ月でまた壊れてしまった。
アジアンマーケットに行く。
たくさんの日本食に誘惑される...。
最初は高いし全然買う気は無かったけど、ついつい色々買ってしまった...。
納豆、味噌が400円ぐらい。ふりかけは200円ぐらい。
ザーサイと高菜は100円ぐらい。ザーサイはたくさん買った。
これ以外には竹の子の缶詰。
大きなスーパーも本当に久しぶりだった。
いつも同じものばかり食べていたので、味が変わりそうなものをたくさん買った。
チリソースとか、ステーキソース。
大手スーパーの自社ブランドが安いのでそれもたくさん買う。
卵はマンダベラと1パック200円も違うので8パック。
米が半額セールだったので30kg。
春巻き、ナゲット、ピザも買う。
十分往復のガソリン代は元が取れた。
帰り道、オイルを足しながら走るがそれでもエンジン温度が高い。
漏れているオイルの量がえげつなく、1時間で3リットルとか漏れていた...。
なんとかマンダベラに帰る。
次の日修理工場に持っていたらパーツの付け忘れがあったらしい...。
1年半ぶりに食べた納豆は凄まじかった....。
到着予定日も到着時間も遅れて、数日遅れの深夜1時に新しい同居人は来た。
マミコさん。1個上。
マミコさんはブルーベリーかマルコットの収穫の仕事を狙っていた。
多少は待つつもりだったが、次の日の朝、オレンジの箱詰め工場から連絡が来て即日仕事が見つかった。
次の日、マンダベラ観光に行った。
何も無いけど。
街の南側を流れる川。
昔走っていた汽車が展示されている公園。
半年住んで初めて来た。
初めて見た。
車を修理に出して3ヶ月以上。
一向に直らないので仕事が早く終わった日に修理屋に行ってみた。
修理はしていた。
エンジン内の多くのパーツがダメだったらしい。
その中のシリンダーヘッドを探して取り寄せるのに時間がかかっていた。
1回目の手段でやったらダメだったらしく、別の手段で直している途中らしい。
色々説明されたが、英語すぎて全部は理解できなかった。
まもなく直るらしい。
ジュンペイくんもうちのチームにやっと入れて3人で仕事に通っていた。
ジュンペイくんの車は直ったあと、今度はクーラント液が漏れるようになってしまっていた...。
なので同じチームのショーゴくんのカップルに乗せてもらって5人で通った。
片道は運転したりもした。
マミコさんの歓迎会ついでに、休みの日にみんなを呼んでキャランバンパークの共同キッチンで呑んだ。
そしたら通りかかった日本人が話しかけてきた。
話しをしたら、俺らが知らなかっただけで、たくさんの日本人がキャラバンパーク内に住んでいたことが分かった。
みんな最近マンダベラに来たらしい。
なんか最近日本人っぽい顔の人多い気がするなぁとは思っていたけど。
ちょうどキャランバンパークの逆サイドに住んでいて接点が無かった。
この日は結局その全員が集まった。15人ぐらいいた。
5ヶ月住んでるけど、こんなに多いのは初めてだった。
これでたぶんマンダベラの7割ぐらいの日本人が集まってるけど。
マミコさんがお好み焼きの粉を持っていて作ってくれた。
久しぶり。美味しかった。
長期の連休を食らったり、天候不良で休みがあったりしたが、働き始めて4ヶ月たった頃、2年目のビザが申請出来る、ファームで88日間就労の日数が溜まった。
必要書類も無事に手に入れた。
本当に長かった...。
車が直らないのもあるけど、この88日の縛りもマンダベラを離れられない理由だった。
バスの所はチーム稼働日数で日数が溜められた。
休日はカウントされないが、体調不良や自分の都合で休んだりサボったりした日は、チームは稼働しているので加算された。
1週間ぐらい個人的に休みを取っていたので、それは加算された。
ただ車が直らないのでマンダベラからは動けない。
次の仕事や、次の街を何となく考えたり調べたりはしていた。
そんな毎日を過ごしている時、ある日マルコットを収穫していたら、スーパーバイザーが来て、バスに電話しろと言われた。
作業を中断して電話したら、「明日からファームを移れ。ゲンヤが働いていたファームに行け。」と言われる。
ずっとこの時を待っていた。
ゲンちゃんが働いていたファームの仕事がやりたかった。
ずっとバスには空きが出来たら教えて欲しいとお願いしていた。
2ヶ月ぐらい前に一度空きが出来たから移動しろと言われたことがあった。
その時、車が直ってないから誰かピックアップを紹介してくれないか?とお願いしたら、最初は探すと言われたけど、その後バスから「もう他の人にしたから引き続きオレンジを取れ。」と言われてしまった。
食い下がったけどダメだった。
今も車は直ってはいない。
バスはそのことは知らない。
なので今回は車のことは言わず、分かったとだけ伝えた。
明日、どうにかして行って、その場で自分でピックアップを探すしかない。
見つからなかったらそれまで。運だし賭け。
俺の車もまもなく直る。
それまで歩いてでも行く。
このチャンスは逃したくなかった。
5ヶ月間やったオレンジの仕事の最後の日は突然だった。
よくコンビを組んだデーブ。
収穫スピードが俺とほぼ一緒だったから。
ただネパール人達の中では断トツに1番遅い...。
デーブはもう少し稼がないとビザ代回収出来ないのでは....。
ゲンちゃんのファームは1度だけ行ったことがあった。
仕事の内容は何となく聞いていたけど、詳しい事は分からない。
今回何の仕事かも知らないし、何時間かも、休日がいつかも分からない。
どこの国の人が何人働いているかも分からない。
地図で検索すると、マンダベラから10kmぐらい。
車なら10分。ただ歩くと2時間と出た...。
初日だけジュンペイくんの車を借りて行かせてもらえることになった。
言われた時間に行くと、オーストラリア人のファーマーが待っていた。
英語が流ちょうすぎて、ほぼ聞き取れない...。
今まではネパール人だったし、同じチームに日本人がいたから何とかなったけど...。
仕事の内容を説明される。
広い空き地に丸太が置いてある。
オーストラリア人のファーマーがトラクターで地面に穴を開けて、マレーシア人の相方がそこに丸太を刺す。
それを俺が後ろからついてって、前後、左右、斜めを見て真っ直ぐにする。
という仕事。
1列が30本ぐらい。1列をだいたい20分かけて立てる。1日だいたい20列ぐらい立てる。
トラクターは水を使って穴を開ける。
2時間半ぐらいで給水車が空になるので、給水中の15分ぐらいは休み時間になる。
それと昼休みが30分あった。
毎日朝7時~夕方17時まで。実働9.5時間。
休みはいつか聞くと、無いと言われた。
最高だった。
この仕事がしたかった。
オレンジの収穫はとにかく時間と休日にバラツキがあった。
翌日の開始時間も休日かも、前日の夜にならないと分からない。
1日フルで働いても、途中でブロックの移動とかあればその時間はお金にはならない。
速い人は時給以上に稼げるだろうけど、俺にはそれが出来なかった。
なにしろ農場が遠かった。往復2時間が往復20分になった。
例えば、大都市の日本食レストランとかも時給だと最低賃金よりも低い所もよくある。
それがファームなら満額の時給24ドルでフルタイム、休み無しというのはありがたい。
それと、ファームで時給で働くなら俺は屋外が良かった。
屋内の仕分けや梱包の仕事も時給だけど、屋外は気楽だった。
ここは仕事さえちゃんとやってれば、イヤホンで仕事中何を聴いててもいい。
いつ煙草を吸ってても良かった。
オレンジみたいに焦ることも何も無い。
体への負担もオレンジに比べたら全然無い。
完璧だった。
あとは長く続いてくれれば。
ピックアップを同僚のマレーシア人に聞いたら、1日5ドルで引き受けてくれた。
なんとかなった...。
どのぐらいこの仕事が続くか聞くと、ひとまず2ヶ月は続くと言われた。
その後は今は分からない的な感じだった。
ありがたい...。
ファーマーに読んで署名してこいと言われた書類。
全て日本語だった。
仕事中の安全に関すること、人種宗教で差別はしないこと、セクハラはしないこと、麻薬はしないことに対する署名。
こういうの本当にしっかりしてる。
オレンジの時はスーパーバイザーはネパール人で、文句も多いし手際が悪いことも多かった。
ただここでは3人しかいないし、オーストラリア人ファーマー達も優しかった。
マレーシア人達もご飯とかコーラとかをよくくれた。
最初の給料日。
1週間オレンジ、1週間丸太立ての給料で、今までのオレンジ2週間分の最高額の、1.5倍の給料になった...。
これなら車の修理費もすぐに回収出来る...。
2年目ビザ申請に必要な5000ドルの貯蓄証明もすぐに貯まる...。
完璧だった。
毎日ひたすらラジオを聞きながら丸太を立て続けた。
ただ人は無い物ねだりで、時給仕事はオレンジより時間が過ぎるのが遅かった。
とにかく退屈だった。
毎日10時間の休み無しというのも望んではいたけど辛かった。
休みが欲しいと毎日思ってしまうし、家事が溜まっていった。
日本ではもっと働いてたのに、1年8ヶ月もたつと体はなまっていた。
車は直りそうで直らなかった...。
部品は届いている、週末には直ると言われてからもう2週間が経っていた...。
どうなっているか聞くと、スタッフが3人病気になり、2週間休んでいる。
彼らが復帰すれば2日で直ると言われる...。
もう何なの...。そんなことあるの....。
マジ、オーストラリア。マジ、外国。マジ、田舎。
その間はマレーシア人達がファームまで乗せてってくれた。
8月上旬。
修理に出してほぼ4ヶ月近く経った頃、車が直ったと連絡が来る。
修理工場は隣町のゲインダーなので、仕事終わりにマミコさんにお願いして連れてってもらった。
4000ドル前後だと言われていた修理費は、追加でシリンダーヘッドが1200ドル、ラジエーターが500ドルで必要だったらしく、結局5840ドルになってしまった...。
修理の説明が英語過ぎて聞き取れなくて、マミコさんに通訳してもらった。
修理に4ヶ月かかったんだから安くしてくれと交渉したら、そういう時だけ英語喋りやがってと言われながらも、240ドルまけてもらって5600ドルになった。
バッテリー、オイル、クーラント、冷却パイプ、それ以外にもたくさんのパーツが交換されたらしい。
本当に全て交換が必要だったかは分からない...。
こんなに時間がかかったのも、確実になめられてる気もする...。
田舎だし、外国人相手だからぼられている気もするが、まぁ全てを考慮しても仕方ない...。
修理屋ご夫婦と。
マンダベラへの帰り道、運転席側のパワーウインドウが開かないことに気づく...。
急いで修理屋に引き返す。
事情を説明するが、そこは触っていないから分からないと言われる...。
修理前はそんなこと無かったと伝えても知らない、分からないの一点張り...。
マジ外国...。腹立つ...。
この日は遅いから、次の休日にまた来ると伝えて帰る...。
帰ってから車を停めて気づいたが、カギを開けると防犯アラームが鳴ってしまう設定になっていた...。
これも修理前には無かった。
前はカギを開けても何も起こらなかった。
開けるたびに毎回爆音のアラームが鳴る...。
これではカギがかけられない...。
すぐに修理屋に連絡をした。
マンダベラで車にカギをかける必要も特に無いけど、まぁこの先困る...。
なんで大金払って直したのに、関係ない場所が壊れて帰ってくるのか...。
落ち着かないし、腹立つ...。
次の日から、仕事には自分の車で通えるようになった。
数日乗っていたら、突然パワーウインドウが直った...。
カギのアラームは相変わらずだけど...。
この車を買った時も、エンジンが数日うまくかからなかったり、カギが開かないなんてことがあった。
数日したら両方直った。
なんかあの時みたいに、車に嫌われているというか、嫌がらせをされているような気もする...。
アジア人のクソガキが乗るんじゃねえみたいな...。
アラームも数日たてば直るような気もする...。
ある日の朝、マレーシア人のリッチーが野兎を素手で捕獲して喜んでいた。
家に持って帰る気でいたっぽいけど、その後逃げられていた。
普段は、地面に用意されて置いてある丸太を立てる。
ただ3日ぐらいやると丸太は終わってしまう。
なので週に1~2回ぐらい丸太を置く仕事がある。
シェードからトラクターに大量の丸太を積んできて、まだ設置されていないエリアにひたすら俺とリッチーで丸太を並べていく。
ゆっくり走るトラクターの左右に立って、決められたポイントに丸太を落としていく。
序盤は落とすだけだからそこまででは無いけど、最後の20本ぐらいは持ち上げて並べるからしんどい。
30分、6列並べると、トラクターの丸太は空になるので、またシェードに新しいのを補充しに行く。
また積んで帰ってくるのに20分ぐらいかかる。
その20分間はすることが無いので暇な時間になる。
30分丸太を設置して、20分休憩の繰り返し。
休憩中はすることも無いので、丸太を枕にして地べたで寝ていた。
いつもよりは力仕事でしんどいけど、休憩も長いし。
8月中旬。
働いていたファームのファーマー達とマレーシア人たちの本拠地はビクトリアにあった。
毎日一緒に働いていたファーマーが5連休を取るのと、聞き取れなかったけど何だかの理由で1週間ぐらいの休みになると言われた。
何か他の仕事をさせてくれとお願いしたら、1日だけならと別ブロックの仕事をくれた。
丸太を立てているブロックの隣のブロックは、ほぼ完成しているブロック。
今立てている丸太たちは、最終的にケーブルを支える電柱的なものになるっぽい。
このブロックで1日ケーブルを直す仕事をした。
退屈な仕事だった。
次の日から休みになった。
すぐにバスに電話をして他の仕事、オレンジかブルーベリーに回してくれないかと頼んだ。
そしてら3日後から元にいたオレンジに仕事に行かせてくれることになった。
2連休は久しぶりだった。
溜まっている家事をやり続けた。
オレンジ取りの時に通っていた道の、ゲインダーへの途中にある展望台に行った。
オーストラリアは山が無いから、マンダベラ周辺でこういう景色はここだけ。
回りは荒野かファーム。
2連休があけてオレンジ収穫に戻った。
久しぶりの収穫は、とにかくバテた...。
汗をかく量も、体力も全然違う....。
収穫スピードはめちゃくちゃ落ちてしまった。
来週には29歳の誕生日だった。
去年の誕生日はアルメニアにいた。
あれから一年も経った。
色々なことがありつつ、色々な人に出会っては別れてを繰り返して、小さな田舎街マンダベラで出稼ぎ中。
この先のことはずっと分からない。
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