22.2.12-3.14 1517~1547日目 イギリス ロンドン②

イギリスに来てロンドンに住み始めて3週間が経った頃。
慣れてきた部分も増え始めたけど、まだまだ物価の感覚も掴め切れていないし、土地勘も地名も馴染んではいない。

免許証は着いてすぐに申請したが未だに手元には届いていなかった。
日本大使館が言うには6週間前後かかるらしい。
ただ調べると人によっては4週間で来た人もいるし、それ以上かかる人もいるみたいだった。
免許証が無い限り仕事で運転することは出来ない。
早く来ないかなと毎日ポストをチェックする反面、運転しなくてもいいし、早く帰れるのでまだこのままでいいかなと思う部分もあった。

仕事は単純なトレーニングは終わり、逆に新人をトレーニングするような日々が始まった。
ドライバー達はすぐ辞めてしまう人も多かった。
それは毎朝各自ピックアップしなくてはならないルールと、なじみの無い日本食とアジア系のお店への配達がすぐに辞めてしまう理由にも思えた。
なので毎週のように新人が入ってきていた。

俺はもうピックアップから配達まで1日の流れは覚えていたし、ただ運転だけが出来なかった。
なので新人に仕事を教えつつ、運転はしてもらうという変な毎日になった。
ルートは日によって違い、市内中心部に行く日もあれば、だいぶ南の郊外に行く日もあった。
遅くなる日もあったけど、配達後に直接家に送ってくれたのもあってだいたい2時過ぎには帰れた。

毎日色々な人の助手席に乗った。
ただやっぱ最大の問題は英語力だった。
マネージャーからも他のドライバーからの言われている内容や意味はかろうじて理解が出来た。
仕事を教えることも出来た。
だから仕事上の問題は無かった。
ただやっぱ車内で二人きりなので、たわいも無い会話になると理解出来ないことも多く、苦笑いすることも多かった。
その場で理解出来ない英単語をメモし、翌朝辞書で調べる毎日だった。

相変わらず、ミートアップやランゲージエクスチェンジに行ったり、色々な人に会い、色々な人と話し、色々な場所に行った。
休日はだいたい予定が入り、平日の仕事終わりも週3日は夜は外に出かけた。
毎週のように会い出かける人もいれば、逆に1回限りの人もいた。






ある週末。
カムデンマーケットへ。
ロンドンで1番有名な常設のマーケット。


たくさんの人で賑わっていた。
お土産屋さんも多く、マーケットと観光地的な場所だった。


ポーランドスタイルホットドッグ。
£11、1700円くらい。


カムデンマーケットから市内中心部へ移動。
ロンドンの1番の真ん中と言われるピカデリーサーカスをフラフラする。


バッキンガム宮殿前のセント・ジェームズパークにはたくさんリスがいる。


帰り道、ホース・ガーズ・パレード。


アドミラルティ・アーチ。


トラガルファー広場。
3年前に来たときは日本の催しをやっていて、初めて本来の感じが見れた。





翌週の平日。
ハードロックカフェ本店へ。
市内でも何店舗か見たけど、ここが本店らしい。
世界中で見たけど入るのは初めて。


隣がお土産屋さん。


オニオンリング。



B.B king。


John Bonham。


ジミヘン。




その翌週の平日の夜。
初めて郊外のデカいショッピングモール、ウエストフィールドへ。
ウエストフィールドはオーストラリアにも山ほどあった。
ロンドンには東西2つあって、東は配達でいったことがあった。
この日は西側へ。
仕事用のジーパンを買う。
タイレストランに入りめちゃくちゃ久しぶりにパッタイとシンハを呑む。







ロンドンの公共交通機関は本当によく止まった。
ある日の朝、いつも通り出勤しようとしたら10時まで電車が動かないと言われる。
仕方なくバスを乗り継ぎ、いつもの倍以上の時間をかけて通勤する。


これ以外にも、ある日はいきなりいつも乗る電車がキャンセルになって30分後の次の列車を待ったり、帰ろうと思ったら電車が全て止まっていて、1時間以上待ったり。
ストライキも多くて、最寄りの地下鉄が数日間止まっていて、出かけるのにも遠回りで行くしかなかったり。
そんな時は市内の道も渋滞していて仕事にも影響が出た。




ある週末。
アレクサンドラ・パーク。
ロンドンを一望出来る。
ロックダウンの時はたくさんの人がここにいたらしい。




3年前にも行ったハリー・ポッターの9と3/4番線があるキングスクロス駅。
あの時は観光でこの場所を見るためにこの駅に来た。
キングスクロス駅は主要な乗り換え駅なので週に1回ぐらいは来るようになり、この場所の横をしょっちゅう通るようになった。






本来の望み通り、本当に毎日ロンドンの色々な場所に配達に行った。
市内中心部にも行ったし郊外にも行った。
色々な街とお店を見ることが出来た。
中心部の超高級店も、アジアンレストランも、創作日本料理店も、西洋レストランも、色々な種類のレストランとお店が見れた。
ロンドンは本当に大都市で、本当に色々なお店があることを毎日知れた。
工場にも、他の問屋にも配達に行った。

それと大手スーパーマーケットのセインズブリーは、各店舗に寿司コーナーがあって全店舗に配達がある。
スーパーマーケットなので郊外の店舗も多く、普段生活していたら絶対行かないような色々な郊外の街にも行った。



ロンドンでの配達の道路事情は大きく2つあって、テムズ川をどう渡るかと、M25という環状線をどう走るかで時間が変わった。
テムズ川を挟んで北ロンドンと南ロンドンに別れた。
市内中心部だとテムズ川を渡るのにはいくつかの橋とトンネルしか無い。
どこも1車線だし、そのうち1つのトンネルは大きなバンでは渡れなかった。
毎回どこも渋滞が酷い。
ルートを考えるときに、橋とトンネルのことを考えながらルートを作った。

M25は世界最大の環状線で、ロンドンを一周している。
M25の内側がロンドンと呼ばれていて、外側はロンドンでは無い。
外側に配達に行くことは現状無かった。
郊外に行くときはM25にまず乗って、左回りか右回りかで毎回南に下り、そこから内側に入っていく。
これもルートを考えるときに、M25をどっちに走り、どこから入って帰ってくるかを考えた。
M25も東西にあるテムズ川を渡るポイントが毎回混んだ。


それと毎日1番大事で全ドライバーが言っていたのが、いかに2時までに配達を終わらせるかが重要だった。
2時を過ぎると市内もM25も渋滞が始まる。
毎日2時までに配達を終わらせ、少しでも早く帰り始める。
2時以前と以後だと帰る時間が倍変わるぐらい違かった。






配達で色々な場所に行けるので気になる街やお店はたくさん出来た。
他のドライバーからもオススメの場所とかを色々教わった。

ある平日の夜、配達中に気になったBrixtonという街に行く。
雰囲気がロンドンっぽく無く、下町感というか中東感もあった。
明らかに市内よりも黒人や中東系が多かった。
そういう街はBrixton以外にもいくつかあった。
あとから聞いたらBrixtonは治安が良くないで有名な街だった。


Brixtonをフラフラした後、いくつかのレストランが入ったフードコート的な所に入る。


パンプキンピザ。
これにビールが4本ついて£12と破格だった。





その翌週の仕事終わり。
3年前にも来た楽器屋街に行く。
このお店は3年前にも来た。
あまり変わって無くて懐かしかった。


ES-335TD。
自分の以外で初めて見た。


楽器屋街を見た後、そのまま南に歩いてコベントガーデンのマーケットへ。



この日の日中、配達中にロンドンにも安い飲み屋は無いのだろうかと思い調べて、安いと評判のお店をいくつかマークしてあった。
そのうちの1個が近かったので行ってみる。

確かに市内ど真ん中の割には£1ぐらい安かったけど、そこまで変わるわけでもなかった。


ただここで食べたソーセージ&マッシュポテトはめっちゃ美味しかった。
あとから調べたらイギリスの代表的なパブフードらしい。





その週の週末、Oxford Circus駅前。
この週末から規制はもう一段回緩和された。
ほぼ全ての規制が無くなり、もし陽性になっても日数は定めず、各自が自己判断で自宅療養するということになった。
濃厚接触という考えも無くなった。
ほぼ風邪と一緒みたいになった。
入国者に関しても全ての手続きが無くなり自由に出入国が可能になった。
周りでも海外旅行に行く人が増え始めた。
他のヨーロッパ諸国の多くも、追跡システムの登録が必要なぐらいで、自由に旅行が出来る国が増え始めた。


街中を歩いていても、電車の中とかもマスクをしている人はもっと減ったように感じた。
お店も街の賑わいもほぼ戻っていた。
もうロックダウンとかは心配する必要は無いと思えた。


この日の夜、ベトナムレストランで久しぶりにフォーを食べる。




家の窓から。
朝起きてタバコ吸おうと窓を開けたら虹が出ていた。





翌日、ランゲージエクスチェンジで知りあったロシア人のおじさんの家でロシア料理をいただく。
美味しかった。



翌週の週末。
1ヶ月くらい前に知り合った、日本語を学んでるアフリカ系の人が、通っている日本語学校の人達を紹介したいと言われ行ってみたら、黒人の方が4人だった。
みんな簡単な日本語が喋れた。
日本食レストランに行こうというのでみんなでラーメン屋に行った。
何度もホントに食べられる?大丈夫?と確認した。
何人かは箸が使えなかったが、みんな美味しそうに食べていた。

俺はロンドンに来て2ヶ月、初めて日本食とご飯を食べた。
ラーメンは微妙だった。
ただ黒人の方4人と俺で、スタッフが日本人のラーメン屋で日本語で会話しながらラーメン食べるのは中々のアレだった。


そのあとみんなでカフェに行った。
そのうち2人は秋から日本の上智大とICUに留学するらしく、日本で生活することへの質問を夕方までずっと英語と日本語で答えた。
終わった時はなかなかスタミナが無くなっていた。




そのあと夜からはトシさんとトシさんが働いているパブで呑んで、髪を切ってもらった。
イギリスのパブが日曜日だけ作るメニュー、サンデーローストをもらった。
美味しかった。




翌週の平日の夜。
古着屋やレコード店が多くあるショワディッチに行く。
ここは他のドライバーにオススメされた街。
お洒落なお店が多かった。

レコード店のフライヤー。
ライブハウスのスケジュールもいくつか調べたけど、まったく知らないからあまりピンと来ない。



なんとなく入ったパブの、なんとなく選んだメニュー。
美味しかった。



帰り道。
ロンドン、リバプールストリート駅。
地下鉄では無く、電車で帰る場合はここから1本で帰れる。


毎日通勤の時に乗る電車の新型と旧型。






そんなことをしていた2ヶ月目。
免許が届かない以外は順調だった。
相変わらず色々な人と、色々な場所に行っていた。

毎日ロンドンの町並みや景色に綺麗だなと感動してた。
毎日見てるのに、どっかずっとワクワクしてた。
お店に入っても、地下鉄に乗っていても思った。
週に何回かは、おおーと思えるようなものが見られた。
もっとすぐに飽きるかな、嫌になるかなと思っていたけど、全く現状無かった。
毎日ちゃんと楽しかった。
タバコを巻く時間も無く、日本のバラエティ番組見るのも追いつかないぐらいフラフラしていた。
これがいつまで続くかは分からないけど、飽きるまでこういう毎日を続けようと思っていた。

ロシアがウクライナに侵攻してから3週間が経っていた。
配達中の車内のラジオはずっとこのニュースだった。
お店で目にする新聞も、パブのテレビもみんなこれだった。
地理的な近さも、イギリスの影響力もあるからだろうけど。
配達中に見たロシア大使館前の抗議活動も、街中のウクライナ国旗も日に日に増えた。

3月中旬なのに、春になる気配も無く、ずっと1日中寒い日ばかりだった。
ある日は日中に雪が吹雪く日もあった。
最後に雪を見たのは3年前のウクライナのキエフ。
それ以来に雪を見た。そんな日が2日ぐらいあった。




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