シドニーに来て4ヶ月が経った。
着いてからすぐに仕事を始めて、ここ最近の2ヶ月はほぼ休み無く働いた。
この日記の存在も、旅行のこともほぼ忘れかけていたけど、このウイルス騒ぎで仕事が暇になってしまったので、やることが無い毎日になってしまった。
この4ヶ月も本当にたくさんのことがあった。
思い出しながら3つに分けて書く。
まずは着いて2週間後の12月の上旬から、1月の中旬まで。
シドニーに着いて2週間が経った頃。
働き始めたお蕎麦屋さんでの仕事にも少し慣れてきて、家も決まって生活が安定した。
ただ、収入はファームの頃に比べれば7割ぐらいに落ちてしまった。
これは想定はしていたことだけど。
お店は月曜日が定休日で、木曜と日曜のランチも休みだった。
けっこう暇がある。
なのでその時間で2つめの仕事がしたかった。
シドニーでは日本食レストランでの仕事がしたかったから、それに絞ってネットで求人を出している店に片っ端から履歴書を送る。
ほとんど返信は帰ってこない。
シドニーは労働人口多いし。
決まった時間の希望だから見つかりづらい。
1件チャッツウッドの居酒屋から返信が来たから行ってみるも、月曜が定休日なのでやめた。
出来ればお蕎麦屋さんがあるニュートラルベイで探したい。
そうすれば移動も楽だし。
ランチの仕事が終わったあとの中休みを使って、履歴書を持ってニュートラルベイの店に飛び込んでみる。
近くの回転寿司屋と面接したが、やはり働ける日数で無理だった。
次の日、またフラフラ探している時に、近くのラーメン屋の店先に「スタッフ募集。随時面接します。」と書かれた張り紙を見つけたので、飛び込んでみる。
今の状況と希望を話すと、空いている時間を全て埋めてくれると言っていただいた。
次の週から働けることになった。
オーナーは日本人で、その方とそのご両親がメインで回しているお店だった。
毎日それにバイトが一人みたいな。
だから俺が入る日は俺以外はご家族だった。
テーブルは全部で8つ。
テイクアウトもやっていて、Uber、デリバルーのデリバリーもやっていた。
お客さんはイートイン5割の、デリバリー5割だった。
英語が喋れないからと話して厨房で働くことにしてもらった。
豚骨ラーメン。
スパイシー味噌。
つけ麺。
ラーメン以外はうどん、丼物、カレー。
本格的な日本食レストランのお蕎麦屋とは違い、こっちは至って簡単な調理だった。
ラーメンスープも他店から取り寄せ。
街角にある小さなラーメン屋。お客さんもそんな感じだし。
味も、まぁそんな感じの。
日本で近所にあったら、年に1回行くかなぁぐらいの。
ただ2年ぶりに食べた本格的な日本のラーメンはとても美味しかった。
これが毎回賄いで食べられるのは嬉しい。
初日こそ厨房で働いたが、次の出勤日にオーナーから「フロアをやってみよう。」と言われフロアにされる。
英語が分からないと言ったのに、レジとUberの使い方だけ教わって。
その日からは、俺の適当な英語での接客でのフロアになった。
やってみれば、まぁなんとかなったり。
何を言われてるかはギリギリ分かったり、マジで分からない時もあるし。
レストランで使う単語と食材の単語だけ覚えて。
フロアになって思ったのが、とにかくリクエストが多い。
何々を抜いてくれとか、何々アレルギーだとか、これを何々に変更出来ないかとか。
ラーメンを注文されて、麺をもやしに替えてくれとか。
丼物注文されて、ご飯をうどんに替えてくれとか。
無理な物は無理だと言って。
若い女の人にダイエット中だと言われ、ラーメンの麺無しを注文されて、スープとトッピングだけ食べて満足そうに帰ったりとか。
あとは食べ残す物、逆にそれを欲しがる人とかも面白かった。
メンマ、キクラゲを残す人が多いが、逆にそれを欲しがる人も多くて。
それは国籍も、見た目も年齢もあまり関係無くて。
毎回来ては、全員煮卵を残す女子高生グループとか。
ラーメン屋は、たまにめちゃくちゃ忙しい日があったり。
木曜のランチとかは暇だし。
Uberばっかりの日があったり。
休みの日。
タカに薦められた飛行機が見えるビーチへ、ルームメイトと遊びに行く。
そこからちゃんとしたビーチへ。
シドニーに来て初めて海に来た。
夏だけど水温は低い。海もクイーンズランドに比べると汚い。
浮いている海藻が多い。
夕日が見える丘へ。
そういえば海沿いの街に住むのは人生初めてで。
シドニーで普段生活してて海を見ることは無いけど。
12月25.26日はクリスマスでお店が休みだった。
12月26日はボクシングデーという、どこの店もめちゃくちゃセールする日。
何もかもが安くなるらしい、お買い物の日だった。
アメリカにあるのは知ってたけど、オーストラリアにもあった。
ルームメイトと出かける。
ノースシドニーのマンリービーチへ。
シドニーで2番目に有名なビーチ。
相変わらず水温は低い。波も高い。
海藻が多い。小一時間泳ぐ。
ラーメン屋で正月の飾り付けをする。
オーストラリアはマジで日本の物は何でも売っているとは思っていたけど、こんなものもあるんだ...。
なぜオーストラリアでこれを作っているんだとは思ったけど。
大晦日の蕎麦屋はめちゃくちゃに忙しかった。
普段のお客さんは98%外国人だけど、この日だけはほとんど日本人。
年越し蕎麦を食べに来ていた。
閉店時間はいつもより1時間早くて。
ルームメイトと、その同僚と合流して3人で新年の花火を見に行く。
これを見にシドニーに来たわけだし。
新年のお祭りの規模としてはニューヨークに次いで世界で2番目の大きさらしい。
ほとんどの人は対岸のオペラハウス近くや中心地で朝から場所取りして見るらしい。
観光客もめちゃくちゃシドニーに来ている。
ルームメイトの友達のオススメの場所がニュートラルベイの職場近くにあるらしく、歩いて向かう。
そこなら人も少ないらしいし、場所取りしなくても、この時間から見れるらしい。
歩いて20分。
ちょうどオペラハウスの対岸。
ハーバーブリッチも見れる。
観光客よりも、地元民が集まっていた。
0時になったら花火が上がる。
めちゃくちゃ上がる。
オペラハウスのどこから上げているのだろう...。
ハーバーブリッチのあちこちから花火が上がる...。
ほぼハーバーブリッチ燃えている...。
この状況でも電車はハーバーブリッチを走っているらしい...。
20分ぐらいで終了。
たしかに中心で朝から場所取りして見る価値があるような...。
ここで十分なような...。
この日だけは22時ぐらいから深夜2時まではバスや列車の南シドニーに向かうやつが運休。
バスで大回りで帰ることになった。
ノースシドニーの途中まではバスがあったけど、その先の乗り継ぎは無かった。
家まであと5kmぐらい、タクシーで帰ることになった。
運転手は乗ったときからハンズフリーで電話してて。
俺は毎日通勤で使う道だから道を知っていて、明らかに途中で運転手が道を間違えた。
「ここ左だよ?」と言っても聞く耳持たず。
さすがに途中で路肩で停めて運転手と言い合いになる。
どうやら俺たちが言った行き先を、聞き間違えたらしい。
この料金で家まで送るならいいよとメーターを指さすが、運転手は俺たちのミスだと言う。
じゃあここから俺たち歩いて帰るから金は払わんよと言うと、じゃあ警察を呼ぶという。
車内カメラがあるから、お前らのミスは映ってると。
別に構わないから呼んでみろ、お前最初から電話してて聞いてないし、途中の道が違うってのも聞いてなかったろと、口論になり。
警察を呼ばれる。
いや別にいいよ俺たち暇だし。
ただ警察は今夜は忙しいから中々来ないぞ?
お前この時間でめちゃくちゃ稼げる夜だぞ?
どう考えたってお前のミスなんだから、どっちが良い?
と言うと、渋々メーターの料金で家まで送ってくれた。
別れ際、お前ところで何人?と聞いたらインド人だった。
久しぶりにダンデバートとお礼を言って。
2020年最初の出来事は、相も変わらずインド人と値段で口論になる、だった。
久しぶりに英語でめちゃくちゃ言った...。
ルームメイトの友達は完全に引いていて申し訳無い。
日本を出て、最初の新年はタイのプーケットだった。
去年はインドのバラナシ。
今年はシドニー。
今年の大晦日どこにいるかなんて想像も出来ない。
今年の最初の出来事は相変わらずこんなことで。
たぶん今年も山ほどのトラブルがある。
朝方寝た。
元旦。
起きたのは昼頃だった。
外に出て、煙草吸っていたら、デカい爬虫類の何かが出てきた...。
最初はデカい蛇だと思ったけど、よく見たら短い...。
あと小さい手足がある...。
住宅街だし、こんな生き物見たこと無いし。
縁起の良い物だといいなと...。
元旦休みが明けてからは、ただひたすらに休み無く働いた。
朝8時半ぐらいに起きて、22時過ぎに帰って酒呑んで寝る毎日だった。
マンダベラの人達は年末年始に合わせてシドニーに入ってきていた。
連絡は取っていたけど、会えずじまいだった。
コヤンさんとエミコさんの車が壊れたらしく、お世話になっている修理工場に車を出したらしい。
通勤途中に前を通ったら、車が道端に止まっていたのでメモを挟んでみたり。
オーストラリアの山火事は深刻さを増しているらしく、日本でもニュースで取り上げられているらしく、ちょこちょこ日本から連絡をいただいたり。
煙が凄い日がたまにあるぐらいで、シドニーで生活する分にはあまり影響は無かった。
本当に煙が凄い日が、お店が暇になるぐらいで。
友人に心配されたり。
タカとはちょこちょこ連絡は取っていて、2週間に1回ぐらいマユちゃんと3人で中心地で酒を呑んでいた。
その度に行っていた、彼らの家の近くのコリアンレストラン。
安くて美味しい。
仕事終わりに行くから、終わる頃には深夜3時とかで。
その時間帯はバスが1時間に1本とかしかなくて。
ある夜、呑み終わったあと、次のバスが1時間後の4時過ぎということがあって。
さすがにそれだと次の日仕事に行ける自信が無くて。
バス停の近くで暇そうにしていたタクシー運転手に、10ドル札を見せて、「マジ金無いんだけど、10ドルで送っていただけませんか...。」と言ってみたら、運転手はメーター回さずに送ってくれて、10ドルをポケットに入れていたり。
1月中旬。
タカとマユちゃんが帰国する日が決まった。
出発前夜に呑みに出かけた。
知り合ったのは一昨年、キルギスの南旅館。
2ヶ月一緒にいて、別れたのがトルコ。
マンダベラで再会して、今回は5ヶ月一緒にいた。
一緒に住んで、一緒に働いて、あちこちに行って、めちゃくちゃ話し、めちゃくちゃ酒を呑んだ。
彼は就職するから、次こそ会うのは日本なような、また外国の僻地なような...。
何年後かなような、またすぐなような。
寂しいような、寂しくないような。
ただ、必ず次に会うときは、マンダベラで再会したあの夜以上に、たぶん一晩で話し終わらないぐらい、お互い話すことがある。
彼らは次の日の朝、フィリピン経由で日本に帰った。
ただ途中のマニラ乗り換えで、近くの火山が噴火したせいで、日本行きの飛行機が欠航になりかけていた。
フィリピンに長期滞在かと思ったらしいけど、なんとか遅れて飛んでくれたらしい。
相変わらずだなぁと思った。
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着いてからすぐに仕事を始めて、ここ最近の2ヶ月はほぼ休み無く働いた。
この日記の存在も、旅行のこともほぼ忘れかけていたけど、このウイルス騒ぎで仕事が暇になってしまったので、やることが無い毎日になってしまった。
この4ヶ月も本当にたくさんのことがあった。
思い出しながら3つに分けて書く。
まずは着いて2週間後の12月の上旬から、1月の中旬まで。
シドニーに着いて2週間が経った頃。
働き始めたお蕎麦屋さんでの仕事にも少し慣れてきて、家も決まって生活が安定した。
ただ、収入はファームの頃に比べれば7割ぐらいに落ちてしまった。
これは想定はしていたことだけど。
お店は月曜日が定休日で、木曜と日曜のランチも休みだった。
けっこう暇がある。
なのでその時間で2つめの仕事がしたかった。
シドニーでは日本食レストランでの仕事がしたかったから、それに絞ってネットで求人を出している店に片っ端から履歴書を送る。
ほとんど返信は帰ってこない。
シドニーは労働人口多いし。
決まった時間の希望だから見つかりづらい。
1件チャッツウッドの居酒屋から返信が来たから行ってみるも、月曜が定休日なのでやめた。
出来ればお蕎麦屋さんがあるニュートラルベイで探したい。
そうすれば移動も楽だし。
ランチの仕事が終わったあとの中休みを使って、履歴書を持ってニュートラルベイの店に飛び込んでみる。
近くの回転寿司屋と面接したが、やはり働ける日数で無理だった。
次の日、またフラフラ探している時に、近くのラーメン屋の店先に「スタッフ募集。随時面接します。」と書かれた張り紙を見つけたので、飛び込んでみる。
今の状況と希望を話すと、空いている時間を全て埋めてくれると言っていただいた。
次の週から働けることになった。
オーナーは日本人で、その方とそのご両親がメインで回しているお店だった。
毎日それにバイトが一人みたいな。
だから俺が入る日は俺以外はご家族だった。
テーブルは全部で8つ。
テイクアウトもやっていて、Uber、デリバルーのデリバリーもやっていた。
お客さんはイートイン5割の、デリバリー5割だった。
英語が喋れないからと話して厨房で働くことにしてもらった。
豚骨ラーメン。
スパイシー味噌。
つけ麺。
ラーメン以外はうどん、丼物、カレー。
本格的な日本食レストランのお蕎麦屋とは違い、こっちは至って簡単な調理だった。
ラーメンスープも他店から取り寄せ。
街角にある小さなラーメン屋。お客さんもそんな感じだし。
味も、まぁそんな感じの。
日本で近所にあったら、年に1回行くかなぁぐらいの。
ただ2年ぶりに食べた本格的な日本のラーメンはとても美味しかった。
これが毎回賄いで食べられるのは嬉しい。
初日こそ厨房で働いたが、次の出勤日にオーナーから「フロアをやってみよう。」と言われフロアにされる。
英語が分からないと言ったのに、レジとUberの使い方だけ教わって。
その日からは、俺の適当な英語での接客でのフロアになった。
やってみれば、まぁなんとかなったり。
何を言われてるかはギリギリ分かったり、マジで分からない時もあるし。
レストランで使う単語と食材の単語だけ覚えて。
フロアになって思ったのが、とにかくリクエストが多い。
何々を抜いてくれとか、何々アレルギーだとか、これを何々に変更出来ないかとか。
ラーメンを注文されて、麺をもやしに替えてくれとか。
丼物注文されて、ご飯をうどんに替えてくれとか。
無理な物は無理だと言って。
若い女の人にダイエット中だと言われ、ラーメンの麺無しを注文されて、スープとトッピングだけ食べて満足そうに帰ったりとか。
あとは食べ残す物、逆にそれを欲しがる人とかも面白かった。
メンマ、キクラゲを残す人が多いが、逆にそれを欲しがる人も多くて。
それは国籍も、見た目も年齢もあまり関係無くて。
毎回来ては、全員煮卵を残す女子高生グループとか。
ラーメン屋は、たまにめちゃくちゃ忙しい日があったり。
木曜のランチとかは暇だし。
Uberばっかりの日があったり。
休みの日。
タカに薦められた飛行機が見えるビーチへ、ルームメイトと遊びに行く。
そこからちゃんとしたビーチへ。
シドニーに来て初めて海に来た。
夏だけど水温は低い。海もクイーンズランドに比べると汚い。
浮いている海藻が多い。
夕日が見える丘へ。
そういえば海沿いの街に住むのは人生初めてで。
シドニーで普段生活してて海を見ることは無いけど。
12月25.26日はクリスマスでお店が休みだった。
12月26日はボクシングデーという、どこの店もめちゃくちゃセールする日。
何もかもが安くなるらしい、お買い物の日だった。
アメリカにあるのは知ってたけど、オーストラリアにもあった。
ルームメイトと出かける。
ノースシドニーのマンリービーチへ。
シドニーで2番目に有名なビーチ。
相変わらず水温は低い。波も高い。
海藻が多い。小一時間泳ぐ。
帰りに近くの大きなショッピングモールに寄る。
たいして安くなってなかった。
ワイヤレスイヤホンの片耳が壊れたので新しいやつを買う。
次の日。大家からクリスマスプレゼントが届く。
ビールと、新しい掃除機。
毎回超良い人。
ラーメン屋で正月の飾り付けをする。
オーストラリアはマジで日本の物は何でも売っているとは思っていたけど、こんなものもあるんだ...。
なぜオーストラリアでこれを作っているんだとは思ったけど。
大晦日の蕎麦屋はめちゃくちゃに忙しかった。
普段のお客さんは98%外国人だけど、この日だけはほとんど日本人。
年越し蕎麦を食べに来ていた。
閉店時間はいつもより1時間早くて。
ルームメイトと、その同僚と合流して3人で新年の花火を見に行く。
これを見にシドニーに来たわけだし。
新年のお祭りの規模としてはニューヨークに次いで世界で2番目の大きさらしい。
ほとんどの人は対岸のオペラハウス近くや中心地で朝から場所取りして見るらしい。
観光客もめちゃくちゃシドニーに来ている。
ルームメイトの友達のオススメの場所がニュートラルベイの職場近くにあるらしく、歩いて向かう。
そこなら人も少ないらしいし、場所取りしなくても、この時間から見れるらしい。
歩いて20分。
ちょうどオペラハウスの対岸。
ハーバーブリッチも見れる。
観光客よりも、地元民が集まっていた。
0時になったら花火が上がる。
めちゃくちゃ上がる。
オペラハウスのどこから上げているのだろう...。
ハーバーブリッチのあちこちから花火が上がる...。
ほぼハーバーブリッチ燃えている...。
この状況でも電車はハーバーブリッチを走っているらしい...。
凄い...。
20分ぐらいで終了。
たしかに中心で朝から場所取りして見る価値があるような...。
ここで十分なような...。
この日だけは22時ぐらいから深夜2時まではバスや列車の南シドニーに向かうやつが運休。
バスで大回りで帰ることになった。
ノースシドニーの途中まではバスがあったけど、その先の乗り継ぎは無かった。
家まであと5kmぐらい、タクシーで帰ることになった。
運転手は乗ったときからハンズフリーで電話してて。
俺は毎日通勤で使う道だから道を知っていて、明らかに途中で運転手が道を間違えた。
「ここ左だよ?」と言っても聞く耳持たず。
さすがに途中で路肩で停めて運転手と言い合いになる。
どうやら俺たちが言った行き先を、聞き間違えたらしい。
この料金で家まで送るならいいよとメーターを指さすが、運転手は俺たちのミスだと言う。
じゃあここから俺たち歩いて帰るから金は払わんよと言うと、じゃあ警察を呼ぶという。
車内カメラがあるから、お前らのミスは映ってると。
別に構わないから呼んでみろ、お前最初から電話してて聞いてないし、途中の道が違うってのも聞いてなかったろと、口論になり。
警察を呼ばれる。
いや別にいいよ俺たち暇だし。
ただ警察は今夜は忙しいから中々来ないぞ?
お前この時間でめちゃくちゃ稼げる夜だぞ?
どう考えたってお前のミスなんだから、どっちが良い?
と言うと、渋々メーターの料金で家まで送ってくれた。
別れ際、お前ところで何人?と聞いたらインド人だった。
久しぶりにダンデバートとお礼を言って。
2020年最初の出来事は、相も変わらずインド人と値段で口論になる、だった。
久しぶりに英語でめちゃくちゃ言った...。
ルームメイトの友達は完全に引いていて申し訳無い。
日本を出て、最初の新年はタイのプーケットだった。
去年はインドのバラナシ。
今年はシドニー。
今年の大晦日どこにいるかなんて想像も出来ない。
今年の最初の出来事は相変わらずこんなことで。
たぶん今年も山ほどのトラブルがある。
朝方寝た。
元旦。
起きたのは昼頃だった。
外に出て、煙草吸っていたら、デカい爬虫類の何かが出てきた...。
最初はデカい蛇だと思ったけど、よく見たら短い...。
あと小さい手足がある...。
住宅街だし、こんな生き物見たこと無いし。
縁起の良い物だといいなと...。
元旦休みが明けてからは、ただひたすらに休み無く働いた。
朝8時半ぐらいに起きて、22時過ぎに帰って酒呑んで寝る毎日だった。
マンダベラの人達は年末年始に合わせてシドニーに入ってきていた。
連絡は取っていたけど、会えずじまいだった。
コヤンさんとエミコさんの車が壊れたらしく、お世話になっている修理工場に車を出したらしい。
通勤途中に前を通ったら、車が道端に止まっていたのでメモを挟んでみたり。
オーストラリアの山火事は深刻さを増しているらしく、日本でもニュースで取り上げられているらしく、ちょこちょこ日本から連絡をいただいたり。
煙が凄い日がたまにあるぐらいで、シドニーで生活する分にはあまり影響は無かった。
本当に煙が凄い日が、お店が暇になるぐらいで。
友人に心配されたり。
タカとはちょこちょこ連絡は取っていて、2週間に1回ぐらいマユちゃんと3人で中心地で酒を呑んでいた。
その度に行っていた、彼らの家の近くのコリアンレストラン。
安くて美味しい。
仕事終わりに行くから、終わる頃には深夜3時とかで。
その時間帯はバスが1時間に1本とかしかなくて。
ある夜、呑み終わったあと、次のバスが1時間後の4時過ぎということがあって。
さすがにそれだと次の日仕事に行ける自信が無くて。
バス停の近くで暇そうにしていたタクシー運転手に、10ドル札を見せて、「マジ金無いんだけど、10ドルで送っていただけませんか...。」と言ってみたら、運転手はメーター回さずに送ってくれて、10ドルをポケットに入れていたり。
1月中旬。
タカとマユちゃんが帰国する日が決まった。
出発前夜に呑みに出かけた。
知り合ったのは一昨年、キルギスの南旅館。
2ヶ月一緒にいて、別れたのがトルコ。
マンダベラで再会して、今回は5ヶ月一緒にいた。
一緒に住んで、一緒に働いて、あちこちに行って、めちゃくちゃ話し、めちゃくちゃ酒を呑んだ。
彼は就職するから、次こそ会うのは日本なような、また外国の僻地なような...。
何年後かなような、またすぐなような。
寂しいような、寂しくないような。
ただ、必ず次に会うときは、マンダベラで再会したあの夜以上に、たぶん一晩で話し終わらないぐらい、お互い話すことがある。
彼らは次の日の朝、フィリピン経由で日本に帰った。
ただ途中のマニラ乗り換えで、近くの火山が噴火したせいで、日本行きの飛行機が欠航になりかけていた。
フィリピンに長期滞在かと思ったらしいけど、なんとか遅れて飛んでくれたらしい。
相変わらずだなぁと思った。
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