21.7.16-10.16 1306~1398日目 シドニー⑫ ここ3ヶ月のこと

前回の日記を書いてから3ヶ月。
ずっとシドニーはロックダウンをしていたので、どこにも行けなかったが。そんななかであった出来事。



イギリスのビザセンターに行った2週間後、無事にパスポートが郵送されてきた。
中にはビザが貼ってあった。
半年前にシドニーでパスポートを更新したから、スタンプすら押されてないパスポートに初めてビザが貼られた。


書類審査も問題は無かったみたいで、これで正式にビザを取得出来た。
この状況もあって本来は申請した入国日から1ヶ月以内に入国しなければならないが、現在は3ヶ月の猶予がある。
申請入国日が来年の1月17日なので、その日から4月17日までに入国すればいい。

その頃無事に入国出来そうな状況だったら、予定通り1月17日に入国するつもりで今はいる。
しっかり準備していかないと、すぐにその日は来る。

ひとまずギリギリまで働いて、貯金はなるべく増やす。
そして英語の勉強も、もっとしていかないと。



7月下旬。
この状況でシドニーに日本人も少ないし、ワーホリ、留学生もいない。
その状況は半年先もそうだろうから、早めに物を売りに出すことにした。
半年間かけて売れればいいし、1つでも多くの物を売りたい。

まずはトシさんから譲り受けた電動自転車。
トシさんも数ヶ月間売りに出して、最後は破格の値引きをしても売れなかった。

日系のサイトに出品したら、翌日に問い合わせがあった。
近所に住む日本人の女性だった。
通勤に使うとのことで、希望額の790ドルで売ることが出来た。
63000円。これはめちゃくちゃデカい。


その翌週には売れそうな物を全て出品した。
クーラーボックス×2、寝袋×2、賞味期限切れプロテイン×2、日本語の本×8、DVD、筋トレグッズ、小物類。
各2ドル~15ドルで出品した。
このうち半分ぐらいは、日本に帰国していった人から譲り受けた物。
ガラクタばかりだから売れるとはたいして思ってなかった。

そしたらこれも翌日に連絡が来た。
全てまとめて100ドルで買うとのことだった。
ビックリした。
翌週取りに来てくれたので、お売りした。

これで、ひとまず生活に必要の無い物は全て売れた。
これはめちゃくちゃラッキーだった。

生活で使っている物は出国前に売る。
半年後にはバックパック1つで出ることになる。

日本から持ってきて、長いこと使ってきた寝袋も売れた。
今回はバックパックのスペースが欲しいし、また必要なときになったら買う。






話しは前後して、イギリスのビザが届いた日の夕方、タカからアメリカでの駐在が決まったと連絡がくる。
来年からロサンゼルスらしい。
今は大阪でマユちゃんと同棲中なので、プロポーズするらしい。
1週間後にホテルのレストランでするらしい。

それまでに、マンダベラの共通の友人達に連絡してお祝い動画を撮ってもらう。
編集してまとめてプロポーズ前日に送る。

無事に成功したらしい。
動画も終わってから見たらしい。
マンダベラの最初の日から知っているのでウケる。
こんなに早くとは思っていなかった。
まさかの次に会うのは順調にいけばロサンゼルスになる。
何年後かは分からないけど。






ロックダウンになって1月半が過ぎていた。
休日は近所の公園を散歩するぐらいで、他の時間は家にいた。





8月中旬、ロックダウンの規制は強化された。
感染者が日に日に増えて、毎日の新規感染者が1000人を超えるようになったからだった。
自宅から半径10km以内の外出許可が5km圏内になった。
色々な規制が強化された。

この頃から、テイクアウトのみの営業をしていたのを、閉めることにしたお店が増えてきた。
こういう影響もあって、仕事が減った。
ここまでなんとか毎日働けたのが、月曜のニューキャッスル便が無くなり、金曜のセントラルコースト便も隔週になった。
週の労働時間がロックダウン前に比べて20時間以上減ったので、災害援助金を申請することにした。

ロックダウンに対する援助金は個人にも、お店にも、企業にも、政府は多額に出していた。
週の労働時間が8時間以上減った人には、一律週450ドル。
20時間以上減った人は一律週750ドル。

20時間以上減ることが確定した8月中旬、通訳の方をつけて貰って電話で申請した。
特に確認書類を提出するわけでもなく、個人情報を申請していくだけだった。
その翌日には750ドルが入金された。

減ったといっても仕事はあるので、その給料と援助金を合わせると週1300ドル以上になった。
月42万円ぐらい。
ロックダウンですることも無いので、オーストラリア生活で1番貯金が出来る日々だった。




ロックダウンの規制の内容は、毎週のように更新、変更された。
9月からトラック運転手は1回目のワクチン接種が義務化された。
それが発表されたのは実施される1週間前だった。
俺はすでにファイザーで10月中旬の摂取で予約していた。

会社からはアストラゼネカならすぐに打てるから週内に打つよう言われた。
この先国境を越えていくのに、アストラゼネカでは不安があるので、会社のオーストラリア人スタッフに事情を話したら、探してくれると言ってもらえた。
その日の昼頃、週末にファイザーで予約が出来たと連絡が来た。
マジでありがたかった。

週末、オリンピックパークに摂取しに行く。
オリンピックパークに大規模摂取センターがあって、パーク内にいくつも会場があった。
俺は、バスケットボールの会場、クダスバンクアリーナだった。




1時間ぐらいで全行程が終わった。
1回目も2回目も副反応はまったく無かった。
翌週からも引き続き働けた。




週末は、とにかく公園巡りだった。



グレイズビル橋。


カラスに襲われていたポッサムの子供を助ける。





9月中旬のある日、右足のアキレス腱が痛くなる。
翌日、痛くて起きる。
ちゃんと歩けないぐらい痛い。
その日は連絡して仕事を休む。
翌日、家からバスで15分の日本人医師のいる病院に行く。
アキレス腱の炎症と診断される。
薬を飲んで湿布したら、翌日には治った。
日本を出てから病院に行くのは初めてだった。
マジで原因が分からなくて、久しぶりにドキドキした。
強制的に加入している学生保険で、半額の支払いで済んだ。
5000円ぐらいだった。





10月上旬。
一気に夏になり、気温は28度まで上がったので海水浴に行く。
ただ、まだ泳ぐには冷たかった。



海水浴とか、ビーチとかもイギリスに行ったら無いだろうから、今のうちに。





2回目のワクチン接種率がNSW州の人口の70%を越えた翌週の10月11日の月曜日、ロックダウンは大幅に規制緩和された。
2回の摂取者は行動制限が撤廃されて、シドニー圏内では移動が出来るようになった。
レストランはお客さんが入れられるようになった。
今まで営業が許可されなかったお店も営業が再開した。
床屋や、量販店、バーは凄い人だった。
摂取率が80%を越える来週からは規制がもう一段階緩和されて、職場などではマスクをしなくてもよくなる。
今週末は久しぶりに遊びに行ける。
来週末は4ヶ月ぶりにジェフと呑みに行く。

新規感染者も日に日に減ってきた。
仕事は来週から通常の状態に完全に戻る。


オーストラリアからイギリスに行く場合は、2週間の隔離が無くなった。
来月からはカンタス航空がロンドン便を再開する予定らしい。
オーストラリアも年内には複数の国と国境を開ける予定らしい。


少しずつ良いニュースは増えてきた。
とにかく1月まで状況の悪化は避けて欲しい。


順調にいけばシドニー生活もあと3ヶ月。
もう絶対にあっという間。
出来ればそれまでに州境が開いてほしい。
それで最後にエアーズロックに行きたい。




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