21.10.17-11.24 1399~1437日目 シドニー⑬ 日本に一時帰国することにした話し

10月中旬、シドニーの規制は大幅に緩和された。
職場でのマスク着用などは強制ではなくなり、公共施設や交通機関だけになった。

レストランの営業はほぼ元通りに戻り、仕事は完全に元の物量に戻った。
なんなら、レストランも一気に忙しくなり、商店の注文も多かったので、ロックダウン前より忙しかった。

ただ日本人を含めた外国人のほとんどがビザが切れて帰国し、新たな人間も入国してこないので、どこも深刻な人手不足だった。
レストランはウェーターが見つからず、フロアの全てが使えないお店も多かった。
働いている会社も含め、どこもドライバー不足で、営業の人達まで配達に行っていた。

コロナ前は日本食レストランの求人は時給15ドル前後だったのが、人手不足から25ドル前後で募集しても、集まらないような状況だった。
金土曜のディナーの皿洗いに時給90ドル出すレストランまであった。




ロックダウンがあけて、週末は少し離れた場所にも遊びに行けるようになった。
10月下旬の日曜日、シドニー東部のシドニーハーバー国立公園。




この週末、日本から久しぶりに小包が届いた。
お願いしたのが1年以上前。
元職場からTシャツとパーカーが届いた。
この状況で空輸便が無く、諦めて船便にしてもらって、それでも3ヶ月以上かかった。




次の週末は、元住んでいた家のオーナーに誘っていただき鉄板焼きをご馳走してもらう。



日曜日はワトソンズベイへ。
ロックダウンが明けたからといって行く場所は特にない。




帰り道にシドニーで1番の高級住宅街、ダブルベイに寄る。
雰囲気だけでも他のエリアと全然違う。
高級車ばっか。








シドニー生活も終わりが近いので、試しに宝くじを買う。
色々な種類がある中、一番配当金が高いやつ。
当たりが出ないと翌週に繰り越される仕組みで、今週はだいぶ貯まっていて、5000万ドル。
1等が40億円。

60ドル分買ったが、10ドルしか当たらなかった。


10月中は久しぶりに友人達とも会えた。
ジェフと4ヶ月ぶりに二人で呑みに行く。
昼から4件飲み屋をハシゴしたが、まったく内容の無いくだらない会話をずっとした。

翌週には、ナナちゃんとスティーブの家にジェフとBBQをしに行く。

そのまた翌週は、ジェフ夫妻と前に働いていたお蕎麦屋さんに食事に行く。
ロックダウン中何度かテイクアウェイに行ったが、店内でいただくのは久しぶりだった。





11月中旬の日曜日。
グリーブ・フォアシュアパーク。
アンザックブリッジの真下。


その後久しぶりにビーチに行きたくて、マラバービーチに行く。






この時までは、このまま1月中旬までシドニーでこの生活を続け、直接イギリスに行こうと思っていた。
イギリスもオーストラリアも感染状況も落ち着き、ワクチン接種率も上がっていたので、問題無く行けると思っていた。
会社にも1月上旬で辞めさせてもらいたいと伝えた。
家の大家にも伝えた。



この翌週、11月20日の土曜日、朝起きると実家から連絡が来ていた。
祖母の体調が悪く、検査入院しているとのことだった。
早期発見なので状況は深刻では無いらしい。

この日の夜に実家と電話をする。
この状況もあって入院中の祖母とは直接は会えないらしいが、最近の状況を聞く。

俺はこのままイギリスに行き、その後残りの半周をするとすれば、もう3~4年はかかることになる。
祖母は今すぐどうこうなる訳では無いが、数年後は分からない。
今回の入院もあった。
でも電話では、やはり俺は帰りたくない、このままイギリスに行こうと思っていると伝える。
現段階で深刻で無いのなら、出来れば帰国はしたくない。



とにかくここまで、意地でも帰りたくなかった。
何度も考えては、何度も同じ答えになった。
当初日本を出たときに決めたように、1周してから帰りたかった。
その後に、日本を見たかった。
イギリスに行って、1~2年過ごし、この状況が終わり次第、残りの半周をする。
そのことしか考えてこなかった。
ただ実家とこの電話をして、ひとまず少し考えると言って電話を切った。


祖母は去年シドニーまで遊びに来てくれた。
83歳で一人で来た。
あの4日間は楽しかった。
もともと、めちゃくちゃお婆ちゃん子だった。
子供の頃からめちゃくちゃ可愛がられた。

今帰ったら喜んでくれるかもしれない。
少しは元気になってくれるかもしれない。

ただやっぱりどうしても帰りたくない。
この夜はそんな感じで寝た。




翌日曜日。
朝からめちゃくちゃ考えて、考えは少しずつ変わっていった。
やはり理由のほとんどは祖母のこと。
ここで帰らないのはどうかしているし、後悔しそうな気がした。
このままだと、本当に4年後とかになるかもしれない。
その時生きていても、元気かどうかは分からない。

その次に、今回初めて一時帰国するかどうかを本気で考えたのかもしれない。
そうなった時に初めて、トータル8年間も帰らないって普通にヤバくね?
という感情になった。

友人、家族、先輩、後輩、8年会わなければ普通は疎遠になる。
浦島太郎状態どころじゃない。
今はまだ俺のことを思い出してくれるかもしれないけど、この先4年後は流石に分からない。


日本を出てから丸4年。
この先は多分もう3~4年。
今がちょうど真ん中になるのかもしれない。
時期的にも、地理的にも今が1番いいかもしれない。

免許証もクレジットカードも切れているのを更新できる。
今帰れば、手持ちのオーストラリアでの荷物を持って帰れる。
古くなったものを新調出来る。
年末年始を日本で過ごせる。
隔離期間があっても、3週間は自由に出来る。

そこまで考えた時に、1度帰国しようと思った。




休み明けの月曜日に、実家に帰ることにすると伝える。
夜には日本の友人や先輩に連絡する。
ジェフやナナちゃんにも連絡する。

火曜日、職場に事情を説明し、辞める時期を大幅に早めてもらう。
家のオーナーにも連絡する。




絶対に終わるまでは帰らない。
そう4年間思ってきた。
ファーム時代もシドニーに来てからも。
コロナが始まって、最初にロックダウンしたときも、毎日思った。

真っ直ぐそのことだけを考えて、それ以外は何も考えなくていいと思ってきた。
ただ本当は、それ以外のことを考えれていなかっただけな気がする。
そう思ったときに、だいぶ考え方が変わった。

電話が来てから決めるまで2日もかからなかった。

決めてからは、めちゃくちゃ帰国が楽しみになった。
会いたかった人も、行きたかったラーメン屋も。

完全帰国では無く、一時帰国なのも良いのかもしれない。
また次の始まりがあるから、存分にやりたいことだけをやる。


ここまで4年。
たぶんちょうど真ん中。
ここまでが前半。
当初はモンサンミッシェルが真ん中のはずだった。


11月24日の水曜日。
東京行きのチケットを買った。
850ドル、74000円だった。

出発は12月13日。
残りがいきなり3週間になった。









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