これを書いている1月30日現在、ロンドンに着いてそろそろ2週間経つかぐらいの状況。
数日前からそろそろここ最近のことでも日記に書くかなんて数日前から思っていた。
日記を書く前に写真のバックアップを取ろうと数日前から何回かトライしたが、携帯が重いのかなんなのか、バックアップに毎晩失敗していた。
そんななか。
一昨日ロンドン市内に呑みに行って、呑みすぎて、帰りの地下鉄の中で爆睡してしまった。
そしたら、寝ている間にスマホをスラれた....。
なので日本とロンドンに着いてからのここ2ヶ月間の写真が消えてしまった...。
最悪すぎる。
この日記で使う写真はSNSであげたものを使う。
というかこれしか残っていない。
スラれた話しは後々書く。
2021年12月20日
神奈川県厚木市のホテル、隔離施設から出られる日。
7日間の隔離生活は、最初の3日間はやることがあった。
各種クレジットカードの申請。
オーストラリア時代の年金等の税理士さんへの申請。
Amazonやヤフオク、メルカリなどでの買い物。
荷物の整理、やることの整理。
イギリス到着時のことも調べる。
とにかく4年ぶりの日本。
各種更新と、この4年間の整理。
荷物の補充と、買い換え。
2年間のイギリス生活とその先の世界半周を見据えて日本でやりたいことはたくさんあった。
ただそれもホテル生活3日目までだった。
ビジネスホテルの個室から出られない中、4日目くらいからやることは尽きた。
朝起きてお弁当を食べて。
昼前に部屋の中で出来る運動をして。
夕方浴槽を溜めてお風呂に入って。
夜はテレビを見て酒呑んで寝た。
4年ぶりの日本だけど、今は窓から見える厚木駅前の景色しか見られず。
窓から入ってくる日本の冬の寒さが懐かしく。
外を歩く幼稚園児を眺めながら、久しぶりの日本の幼稚園児だなぁなんて思っていた。
最後の3日間はすることの無くて、ディズニープラスを契約して、この4年間見れなかったスターウォーズを見て過ごした。
そんな生活がついに終わる7日目。
朝6時に検査キッドが配られ、7時に提出する。
結果が出るのは昼過ぎ。
ここで陽性なら隔離延長だけど、ひとまず荷造りをして部屋で待つ。
14時前に電話がかかってきて、陰性で退所出来ると伝えられる。
入所者は全員バスで羽田空港に戻ることになる。
16時、この日退所の人達がバスに乗り羽田空港へ送ってもらった。
羽田に着いてバスからおりると係員の方々にエレベーターに誘導してもらう。
別に仕方が無いことなのは十分分かるけど、エレベーターに4人ずつ乗せられる。
全員がここ1週間誰にも会わず隔離された人達。
そしてこの先もう1週間自己隔離する人達。
十分分かってはいるけど、やっぱりこの4人をエレベーターに一瞬でも一緒に入れるのは違和感があった。
感染が怖いとかじゃなくて、じゃあこの1週間は何だったの...? この先の1週間は何なの...?
とどうしても思ってしまう...。
今ここまで帰国者に隔離期間を設けているのは日本だけで。
この形式だけのこれが、どうしてもしっくりこない。
羽田からは乗り合いリムジンタクシーを予約してあった。
この乗り合いリムジンタクシーは公共交通機関にあたらずに使用が出来る。
23区内までのサービスで、迎えに来てくれる母親が首都高は運転したくないと言われたので、羽田から高井戸までお願いしてあった。
乗り合いではあったけど乗客は俺だけだった。
高井戸まで4000円ちょっとだった。
高井戸のすき家の駐車場で降ろしてもらって、迎えに来てくれた母親と合流した。
4年ぶりだったけど、しょっちゅう電話していたからそこまで懐かしくは無かった。
中央道に乗って地元に帰る。
笹子トンネルを抜けて甲府盆地の夜景が見えたときは不思議な気持ちだった。
この4年間何百回も想像してきた。
この世界一周旅行が全て終わって、日本に着いたら空港から甲府まで高速バスで帰るのかな?
その時は昼かな?夜かな?
そのバス移動が何千回もやってきた移動の最後になるな。
甲府盆地が見えたら泣くかな?
その時何を思うかな?
この日記の中でも何回も書いてきたこと。
何百回も想像してきたけど、全く想像していなかった形で甲府盆地を眺めることになった。
まだ世界一周は終わっていない。
来月にはまた再出発する。
しかもこのご時世で公共交通機関は使えないので母親の車。
母親の車を自分で運転しながら見ることになった。
死ぬほど懐かしかったけど、泣くような感情では無かった。
それはやっぱり、終わっていないから。
また来月再出発するから。
イギリスと、その先があるから。
久しぶりだなぁと、帰って来ちゃったなぁがあるから。
やっと終わったがあれば泣くかもしれないけど、本当に帰って来ちゃったなぁみたいな気持ちだった。
でもこの景色の中にみんないるんだなぁと思うと不思議だった。
この盆地に俺はたくさんの知り合いがいる。
今までSNSで見ていただけで、ずっと遠かった。
甲府昭和のインターを降りて、アルプス通りに入ったら、もっと変な気持ちになった。
4年前と何も変わらない景色の中に、俺の知らないことがたくさん混ざっていた。
何だこの新しい店はと、ここは無くなったんだなと、ここまだやってるんだなと。
道幅とか、建物の大きさとか、街灯や看板の光の加減とか、そういうものも含めて本当に懐かしかった。
実家に着いたのは23時近かった。
実家の2匹の猫達は完全に俺を忘れていて警戒して出てこなかった。
25歳頃まで住んだ実家の部屋で、ここからまた残りの7日間の隔離生活をする。
一歩外に出れば長年本当に待ち望んだ地元なのに、この状況は辛すぎる。
母親に最初の食事は何がいいかと聞かれ、馬刺しと粗挽きソーセージがいいと答えた。
日本食はあまり恋しいわけでも無かったけど、馬刺しと粗挽きソーセージは海外では食べられなかったから。
ずっと食べれなかったブリのお刺身も本当に美味しかった。
日本の発泡酒も本当に美味しかった。
この薄いビールは日本でしか飲めない。
濃い生ビールより、俺はグリーンラベルの方が好きだ。
本当に色々なことが懐かしくて久しぶりで。
深夜、6年ぶりぐらいに実家の部屋で寝た。
ここからの7日間もホテル生活と一緒だった。
やっと住所がある場所に帰ってきたので、各種申請と買い物の毎日。
ずっと帰国したら欲しかった物を買ったりする。
クレジットカードを何枚か新たに申請したり更新したり。
免許証や保険証の取得方法を調べたり。
イギリスに着いてからの宿を決めたり。
イギリス到着後の自主検査の方法や検査キッドを買ったり。
航空券を調べたり。
ネットで買ったのは、壊れていて新たに欲しかったiPod。
メルカリでワイヤレスイヤホン付きの物を買う。
もうクタクタになっていた洗面用品を入れとく防水バッグ。
充電式電動カミソリ。
熱湯で作れるマウスピース。
iPadの電池交換の予約。
折りたたみ式の枕。
etc.
あと1番の大きな買い物はドローン。
ずっと欲しかった。
色々調べて、ここは奮発して8万円する良いやつを買った。
その後は実家に長年放置させてもらっていた荷物の整理。
もともとは1年半ぐらいで帰ってくる予定だったから、当時の家電や持ち物はほとんど段ボールに入れて実家に置いてきていた。
しかし4年ぶりの帰国になって、今度帰ってくる時もおそらく数年後になる。
ここで1度全部整理する。
本当に取っておきたい物だけ残して、衣類や家具など片っ端から捨てるか売る準備をした。
荷物は半分以下になった。
作っていただいたある日の夕食。
馬モツ、しらす、煮牡蠣。
全部日本でしか食べられない。
毎日本当に美味しかったし、嬉しかった。
あとはイギリスでの職探しを始める。
最初に住むのはロンドン。
他にもイギリスには大都市はあるけど、まずは首都ロンドン。
3年前に行ったときは物価が高すぎて3日間しかいられなかった。
あの時見られなかった場所、行けなかった場所もたくさんある。
本当に毎日ワクワクしたあの街に住んでみたい。
まずは半年ほど住んでみて、イギリス英語や生活の仕方を身につけたい。
その後はその時の状況にもよるけど、できるだけ田舎にも住んでみたい。
なのでひとまずロンドン。
仕事が決まらないと家が探せない。
ロンドンといっても広い。
毎日の交通費も高い。通勤時間も短い方が良い。
仕事は出来ればシドニーと同じ仕事がしたかった。
海外で仕事をするならドライバーは性に合っていた。
1番の理由は何も知らないロンドンを、仕事で色々と見ることが出来る。
レストランで働いても休みの日しか外に行けない。
ロンドン郊外や色々なお店、生活の仕方が知れる。
それと基本一人だから気が楽なのもある。
ラジオか音楽を聴いていればいい。
イギリスの地元の求人サイトでドライバーの仕事を探す。
ニュースで見ていたようにやはりドライバーは人手不足らしく多くの求人があった。
ただ眺めているうちに地元企業で働くのは不安になってきた。
イギリスのことをほとんど知らない。
イギリス英語がどのぐらい理解出来るのかも分からない。
ロンドンの道も知らないし、交通ルールも知らない。
ならまずは日系の会社、シドニーで働いていたような、日本食品の卸売りの会社を探すことにした。
ロンドンにだって100%ある。
シドニー時代の会社の社長にメールを送り、もしイギリスの同業の会社を知っていたら教えて欲しいですとお願いしたら、1社紹介していただいた。
それと日系の求人サイトに出ていた神戸牛の卸業者。
今は求人は出していないが、かつて求人を出していた2社。
この計4社のHPの問い合わせフォームから直接メールを送ってみた。
来月にロンドンに行くこと、シドニーで経験があること。
日本語と英語でメールを送ってみる。
数日後、その中の2社から返信があった。
1社とは来週オンラインで面接。
1社とはロンドンに到着後すぐに面接となった。
2社の場所は市内でも正反対の場所なので、到着後家を探すことになった。
まぁこれで仕事はなんとかなりそうだった。
着いたらすぐに働きたかったからありがたかった。
ある日の昼食、モスバーガー。
世界のどこで食べたハンバーガーよりもモスバーガーが1番美味しかった。
あとは隔離が終わったあとの自由になれる3週間。
その間に会いたい人達に連絡をする。
東京にいる同級生。
もう家族も家もある同級生。
地元の先輩後輩。
もうみんな生活があるし、なかなか時間も作れないと思う。
あとはこの状況。
多少は落ち着いてきてはいる状況であれ、家族や仕事の関係で外に出れない人も多い。
いくら隔離生活をしたからといっても俺は海外帰国者。
勝手に帰ってきて、久しぶりだから会いたいですと言ったところで迷惑な人もいるのは十分に分かっている。
だからずっとこの状況では帰りたくなかったし。
ただ、連絡してみるとみんな時間を作ってくれた。
年末年始の予定が埋まっていった。
ありがたかった。
ホテルでの隔離生活と同じで、4日目ぐらいまではやることがあったが、後半は退屈だった。
久しぶりにプレイステーションを出して、久しぶりに野球ゲームをやったりして時間を潰した。
そんなことをしていたら、2週間の隔離生活が終わった。
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