12月12日、日曜日。
出発前日。
出発前日。
荷造りをする。
今回は全日空なので預け荷物が2つまで預けられる。
詰めれるだけだけ詰める。
どうせここで捨ててもロンドンでまた買うことになるので、生活用品も全て入れる。
久しぶりにバックパックがいっぱいになった。
これともらったスーツケースに詰め込んだ。
夕方までに部屋も掃除し、大家に来て貰い部屋の引き渡しをする。
シドニーの中心のバーで1杯ビールを呑んだ後、バスでニュートラルベイに向かう。
1週間前の月曜日の仕事後、1年前まで働いていたニュートラルベイの蕎麦屋さん、新ばしのオーナーに焼き肉屋に呑みに連れてっていただいた。
辞めるときにいつか時間が出来たら呑みに連れて行って欲しいとお願いしていた。
その後もお店に寄る度に、近況報告と呑みに連れてって欲しいとお願いしていた。
帰国することが決まり、直前に連れてっていただけた。
昔の地元での話しや実家での話し、シドニーに来てからの話しとか色々な事を質問して話していただいた。
帰り際、最後に1つお願いをした。
1年前の辞めるときに話したこと。
働いていたときからずっと思っていたこと。
辞めたスタッフは最後にお店にお客さんとして来て、好きな物が無料で食べられるというルールがあった。
俺はこれを辞めたときに使わず、いつかシドニーから離れる最後の夜に行かせてもらいたいとお願いしていた。
シドニーから出る。
それがずっと長い間の夢だった。
そして最後の夜に新ばしでご馳走になる。
それがいつになるのか、働いていた時からの夢だった。
そんな日がいきなり来た。
それと働いていた時にふと思ったこと。
いつかそんな時が来たらお願いしようと思っていたこと。
4年間、いつか日本に帰ったら1番最初に食べたい物があった。
中学、高校、20代とずっと週に何度も食べてきた実家の蕎麦屋の肉蕎麦。
肉蕎麦が1番ずっと食べたかった。
しかし俺が日本を出た後、数年前に実家はメニューから蕎麦を無くしてしまった。
日本に帰って肉蕎麦を食べるという夢は叶わなくなった。
新ばしで働いている時にふと思ったこと。
いつかお願いしてみようと思っていたこと。
オーナーと最後に呑みに行った時にお願いしてみた。
オーナーももちろん実家の肉蕎麦は知っている。
まったく一緒は無理だよと笑いながら言ってくれて、承知してくれた。
シドニーの、オーストラリア生活の最後の夕食。
流石に何度も何度も色々いただき過ぎてて申し訳無いのでビールを2箱買っていった。
7時半にお店に伺った。
唐揚げと揚げ蕎麦。
お刺身と牛串。
お願いしていた肉蕎麦。
新ばしのメニューには無い。
本当にめちゃくちゃ美味しかった。
お肉とお蕎麦とネギとワカメを一緒に食べた時のそれが、本当に久しぶりだった。
泣きそうになった。
4年間ずっと思っていた、日本に帰ったら1番最初に食べたかった物が、帰る前に食べられた。
食べられたとか、そういうことじゃなくて、こんな特別な形で、凄い思い出になった。
最後に写真を撮っていただいて。
次にお会いするのは、俺がまたシドニーに来たときか、それとも地元に帰省されたときか。
ただ絶対またお会い出来る。
帰り道に思ったのは、2年数ヶ月前のあの時、タカとマユちゃんがシドニーに行きたいと言わなければ、俺はシドニーには来なかった。
新ばしで働かせてもらうことが決まってなければ、他の街を選んでたかもしれない。
新ばしで働かなければ、1度目のロックダウンは乗り越えられなかった。
帰国しなければならなかったかもしれないし、オーストラリアにいたとしてもここまで順調に貯金はできなかった。
新ばしにいたから今の会社を知ったし、あの時辞めさせていただけたから今がある。
オーストラリアにここまでいれたのも、この状況の中生きてこれたのも、イギリスという次があるのも、全部ここで働かせてもらったからかもしれない。
本当に感謝しかない。
前日ジェフやナナちゃん達と遊んでいたときからだけど、気持ちがいよいよ追いつかない。
本当に人生で初めての感覚。
日本を出たときとも全然違う。
先週マシューと呑みに行ったとき、もしかしたら日本に帰ったら居心地が良くてイギリスに行きたくなくなるかもしれないと言ったら
「それは絶対に無視した方がいい。だって次の場所と気持ちがあるから。」
という言葉を言われた。
それを言われたときに、ずっとあったモヤモヤしたものが全部無くなった。
日本に一時帰国することがとても自分の中でクリアになった。
無視した方がいい、次がある。
3年住んだオーストラリアに心残りもある。
ここまで来たら寂しい気持ちもたくさんある。
本当にやっと終わるんだって気持ちもある。
日本もイギリスも楽しみなのもある。
この状況で本当に行けるのかという不安もある。
人生で初めての感情だった。
市内まで戻ると、大きなクリスマスツリーとイルミネーションがあった。
夏のクリスマスは3度目だけど全然慣れない。
でも今年のクリスマスはここでは無く、日本で迎える。
何を見ても本当にずっと変な気持ち。
12月13日。
オーストラリア出国日。
シドニーはここ3週間ずっと雨だった。
本当に最後の最後、ここ3日間だけ晴れてくれた。
先週まで毎日冬かよってぐらい寒かったけど、やっと気温も夏日になった。
昼過ぎにビーチに最後の海水浴に行く。
明日からは日本の冬だし、2週間隔離だし。
イギリスに行っても南の海沿いの街にでも住まない限り、海水浴は出来ない。
オーストラリアで1番有名なビーチ、ボンダイビーチへ。
海は荒れていて波は高かったけど、最後に泳げた。
何度もビーチには行ったけど、これが本当に最後。
QLDのマンダベラという小さい田舎町から始まった3年間のオーストラリア生活の最後は1番有名なビーチで終わった。
フライトは21時半。
19時前にシドニー空港へ。
祖母やチヒロさん、拓郎を見送りに来た空港。
やっと自分が使うとき。
21時35分発、全日空の羽田行き。
預け荷物は案の定重量超過で、整理したり少し捨てたりして、なんとか預ける。
ジェフが仕事終わりに駆けつけてくれた。
何百回も一緒に煙草吸ってきたけど、ひとまず最後の一服をして。
人を見送りに来る度に写真を撮った場所で、最後の写真を撮ってもらう。
1時間前にゲートをくぐる。
手荷物をパンパンに詰め込んだせいで、保安検査場で何度もチェックを受けたぐらいで、出国はあっけなかった。
てっきり空港はこんな状況だからガラガラだと思っていた。
拓郎の時も15人だかしか乗客がいなかった。
それが空港は思っていた以上のたくさんの人でビックリした。
聞いたら、欧米諸国は国境も開いてるし、隔離も無いので、クリスマス休暇で久しぶりに帰省したり観光に行ったりする人達で賑わってた。
たぶんみんなも数年ぶりだし。
オーストラリアも国境が開いているから、帰ってもこれるし。
本当に日本だけが極端なやり方をしてるんだなと改めて思う。
俺が乗る飛行機も100人近く搭乗客がいるらしい。
ただ日本人は15人ぐらいで、ほとんどが羽田で乗り継ぎをして第三国に行く人らしい。
久しぶりの長時間移動だけど、今回はまったく不安では無い。
日本語が使えるから何とでもなるし、到着地東京だし。
飛行機は定刻より10分早く出発した。
音楽を聴きながら、ただただ外を眺めた。
火水木と毎週トラックから眺めていた空港の内側にいる。
街中で空を飛ぶ飛行機を見る度に、俺はいつになったら飛行機に乗れるんだろうと思った。
イギリスのビザが当たった日、やっと出れると何度もつぶやきながら座り込んだ。
絶対終わるまで帰らないと思っていた日本に今から帰る。
飛行機が飛び立つと、空は少し曇っていて、それでも雲の切れ間から街の灯りが見えた。
2年間住んだ街を上から眺めた。
本当になんとも言えない気持ちだった。
少なからず、俺はこの街を知っていて、友人も知り合いもいる。
3年間。
ファーム時代、レストラン時代、ドライバー時代。
毎日ひたすらオレンジを取っていたことも。
ゲンちゃんや、タカとマユちゃんとナナちゃんや、マンダベラの友達と色々したことも。
車がぶっ壊れたことも。
シドニーに来たときのことも。
毎日お好み焼きを焼いて、天ぷらを揚げてたことも。
ニュートラルベイを毎日歩いて通ったことも。
車の事故にあった時のことも。
レストランを辞めてドライバーになったときのことも。
休日にシドニー周辺の色々な場所に行ったことも。
ニューキャッスルやセントラルコーストに毎週配達に行ったことも。
早朝に起きては英語の勉強をしてたことも。
毎日大量の荷物を配達したことも。
たくさんの人達と知り合ってきたことも。
この国とこの街にはきっといつか絶対に帰ってくる。
ジェフをはじめ友達もいるし。
それがいつになるか。
4年ぐらい先、完全に日本に1度帰る前なのか。
それとももっと先なのか。
シドニーはたぶんずっと俺にとって第二のホームタウンになるのかもしれない。
地元以外でこんなに長く住んだ街は無いし。
道や地区の名前もよく知ってるし。
いつか帰ってくる時は懐かしいって思うのか。
3年間。
あっという間だったような、凄い長かったような、思い返せば一瞬だったような。
文句ばっか言って、もう嫌だと思った時も山ほどあったけど。
でも、ざっくり言えば、めちゃくちゃ楽しかった。
本当に楽しかった。
今日ボンダイで泳いだ時と、飛行機から外を眺めていた時は、何度も思った。
機内食は日本食を楽しみにしていたら、オーストラリアの工場で作ったものらしく、何の新鮮みも無かった。
そりゃそうかと。
ビール3本呑んだ。
健康報告書が日本人には配られる。
これを記入して空港検疫で提出する。
機内はご時世で1列3席使い放題だったから、横になって2時間ぐらい寝た。
ただ着いたら日本と思うと、変にソワソワした。
早朝5時、窓の外に日本の街が見えた。
4年ぶりの日本。
10時間飛行機に乗るだけで、あんなに遠いと思っていた場所に着いてしまうのが変な感じだった。
窓から見える景色が日本のそれで、本当に帰ってきたんだと思った。
5時半に羽田に着陸。
4年前にここから出国した。
あの日のことと気持ちはよく覚えている。
あの時漠然と予定していたこととは、かなり違う状況だけど。
あの時から4年経ったけど俺の根底は何も変わって無くて何も成長してないと思うけど。
ただ全然違う。あの日と今日では何かは分からないけど全然違う。
飛行機を降りると、本当に久しぶりの日本の寒さだった。
今日はここからが長い。
事前に色々調べてはいたが、空港を出るまで順調にいっても3時間はかかるらしい。
今多くの国が強制隔離施設の対象になったので、ホテルの空室が少ないらしい。
前日に見たニュースでは、成田に着いた人が成田近くのホテルに入れず、チャーター機で福岡に回されたというのも見た。
人によっては、名古屋、大阪、仙台もあるらしい。
俺がどこになるのかは最後まで分からない。
到着ゲートから10分ぐらい歩いたところから検疫が始める。
いくつかのセクションに分かれていて、最初に健康報告書とパスポートを出す。
オーストラリアのNSW州から来たことを伝える。
全部で5セクションぐらいあって、専用アプリが入っているかも確認されたり、事前のネットでの健康診断も確認される。
どこでも同じようなことばかり聞かれて日本らしいなと思う。
セクションごとに少し離れていて、数分歩く。
どこかのセクションでホテル隔離になると言われ、承知の上だったので承諾する。
ホテルは全面禁煙ですと言われたので、喫煙室も希望すればあると聞いていたのですがと聞くと、喫煙室を希望と伝えますがホテルの状況次第で現段階では分からないと言われる。
ホテルの空きが少ないと聞いてたので、ここで言わないと自動的に禁煙室になるのかもしれない。
1番思ったのは、対応してくれている方々が大学生ぐらいの女の子ばかりで、久しぶりに日本人の若い女の子をこんなにたくさん見たなと思った。
あとホントにみんなちゃんとマスクをしっかりしてる。
オーストラリアはみんな適当だし。
最後のセクションで唾液による検査をうける。
唾が出やすいようにレモンの張り紙があった。
それが終わると待機スペースで待たされる。
シドニー便が1番朝早いみたいで他には誰もいなかった。
ここで何時間待つことになるのか。
とにかく煙草が吸いたかった。
30分もすると検査結果が分かった人から番号が呼ばれていく。
俺はだいぶ早い番号だったがまだ呼ばれない。
その間にもロサンゼルス便やベトナム便が到着してきて待機場所は混み合っていく。
到着から1時間たって、この便の人達の番号が呼ばれ初めても俺の番号は呼ばれない。
だんだん陽性だったんじゃないかと焦ってくる。
ここで陽性だとホテルじゃなくて、変異種かどうか分かるまで病院送りになるらしいので本当に怖い。
というか、待機場所は混み合っていて、近くにはアメリカや他国からの帰国者もいる。
ここでずっと待ってるのも普通に怖い。
機内にもたくさん乗客がいた。
普通に機内食を食べる時はみんなマスク外してるし、飲み物のサービスも何回かあった。
乗客はほとんど白人達で、ちゃんとマスクをしてない人もいる。
隔離は承知の上だけど、少し腑に落ちない...。
俺も食べたけどせめて機内食も中止にしとくとか、難しいのかもしれないけど待機場所は便ごとに分けるとか、これで日本だけこれから2週間隔離なんだから、コロナになるのが怖いとかいうより、腑に落ちない...。
こんな状況の中の帰国だから何の文句も言ってはいけないけども。
結局1時間半待って番号が呼ばれる。
陰性で良かった。
どうも俺が呼ばれたグループの人達を見ていると、喫煙室を希望した人達が集められたっぽい。
そういう会話をしていた人達と一緒だった。
この段階でどこのホテルかも決めるから俺は時間がかかったっぽい。
俺のせいかもしれない。
1つ20人ぐらいのグループにまとまられて一列になって出口に向かう。
入国検査を受ける。
4年ぶりの入国スタンプを押してもらう。
荷物をピックアップして関税を通ってやっと出口へ。
そのままみんな一列になって空港の外に出て、駐車場で観光バスに乗る。
煙草を吸えるかと期待したが流石に無理だった。
バスにみんな乗ると初めて行き先を告げられる。
行き先は神奈川の厚木のホテルらしい。
事前に調べていたなかで聞いていたのは、浅草、潮見、横浜のホテルだったから厚木?となる。
あとで調べたら、去年から神奈川県指定の施設だったみたいで、最近から帰国者も受け入れているのかもしれない。
バスはすぐに出発した。
バスでもずっと外を眺めていた。
窓から見える車やトラック、建物を見て本当に日本に帰ってきたんだと思う。
コンビニを見て、日本のコンビニの駐車場は広いなって思ったり。
みんな運転が荒くないなと思ったり。
看板が全部日本語だなと思ったり。
懐かしいという感情とは違うような。
当たり前に知っていること、見た事があるものだからなのか。
ずっと長いこと見てなかったような、つい最近だったような。
生まれて初めての変な感情だった。
1時間ちょっとで厚木のホテルに到着した。
普通の駅前のビジネスホテル。
ただ空港からそうだけど、ホテルの入り口の雰囲気は厳戒態勢で。
当然だけど今の俺は危険な対象であることは十分伝わってくる。
昨日まで普通に生活してたから、変な気持ちになる。
バスの中で施設の人から説明を受ける。
調べていた内容とほとんど一緒だった。
入り口で荷物を受け取り、受付で体温計とお弁当をもらう。
スタッフの方に部屋まで連れてってもらう。
4階の一人部屋だった。
荷物をおろして、ひとまず煙草を3本吸った。
めっちゃクラクラした。17時間ぶり。
ひとまず風呂に入った。
3年数ヶ月ぶりの浴槽がとても嬉しかった。
渡されたお弁当はオムライス。
美味しかった。
食べて夕方まで寝た。
お弁当は1日3回、8時過ぎ、12時、18時に部屋のドアノブにかけてくれる。
配り終わると館内放送で案内が流れる。
次の日の朝食。
ひとまずここで7日間の隔離生活が始まる。
それが終わったら地元に戻って自宅でもう1週間。
ホテルでは当然部屋から1歩も出ることが出来ない。
誰にも会わない、誰とも話さない1週間。
ひとまずやることはたくさんあるから、数日は大丈夫そうだけど、いつ心が折れて気が狂うか。
ひとまず喫煙室で本当に良かった。
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