一時帰国を決めてからは、やることがたくさんあった。
現状日本に帰ると、実家で14日間の自己隔離をしなくてはならない。
10日目に自主的にPCR検査をして陰性だったら隔離を終われるらしいが、保健所に申請して認可されるまで少し時間もかかるみたいで、結局は12日間前後は自主隔離することになる。
空港から実家までも公共交通機関は使えない。
色々な方法を調べる。
オーストラリア出国前のPCR検査も必要だった。
どこでどうやって出来るのか、値段も調べる。
家の中の物も片っ端から処分し、最低限の生活必需品だけにする。
決めた週の土曜日、職場のドライバー達と市内のクラブに遊びに行く。
2年も住んでてこんな遊びは初めて。
1晩で3軒ハシゴして200ドル近く使う。
翌土曜日はジェフの家でナナちゃんとスティーブと鉄板焼きをやる。
ジェフはロックダウン中にバスの運転手に復職していた。
時給は27ドルで、土曜が1.7倍、日曜祝日は2倍だかになる。
長期連休は4倍だかになるし、年間5週間のホリデー有給がある。
完全にリッチマンだった。
制服を着させてもらう。
夜はシドニー最大のカジノ、The Starに行く。
軽装禁止なので、ジェフに靴を借りる。
50ドルをスロットに賭けるが、一瞬でスった。
この日、南アフリカでコロナの変異種、オミクロン株が発見されたというニュース出た。
翌日曜日の夜には事態が急変した。
各国はアフリカ南部からの渡航者の受け入れを停止し、日本は全ての外国人の入国禁止を発表した。
いきなり状況が変わり日本への一時帰国、イギリスへの移動が怪しくなる。
ここから1週間日々状況は変化した。
毎日ニュースを片っ端から見た。
シドニー領事館、ロンドン大使館のHPも、海外の英語ニュースもチェックした。
本当にどうなるか分からない日々が続いた。
日本政府は、日本人帰国者の一日の上限を5000人から3500人にすると決めた。
日本行きの飛行機の新規予約を停止するというニュースが流れたときは、俺だけでは無く、多くの在外日本人に衝撃的だったと思う。
俺はもう航空券を予約してあったから良かったが、事態はどんどん悪い方向へ向かっていた。
翌日にはミスからの誤報だったと報じられたが、これのせいでだいぶ世論が変わってしまった。
外国イコール危険、全ての国境を封鎖するべき、こんな時に帰国するのは控えるべき、そんな風潮が広がった。
ここまで厳しい対応は日本とイスラエルだけだった。
イギリスは入国後のPCR検査を義務づけただけだった。
新政権の人気取りにしか見えなかった。
ただ世間の外国への雰囲気は変わってしまった。
帰国してから、万が一にも陽性だった場合の状況が全然変わってしまった。
実家は田舎、新種を運んでしまったらを考えると怖すぎる。
人生で初めてヤフーニュースのコメント欄なんかを眺めた。
一部ではあるにしろ、厳しい内容が並んだ。
中にはまったく事実とは違うような事を言っている人もいた。
ただ気持ちは分かる。
俺も日本国内にいれば同じ気持ちだったと思う。
数日後にはシドニー空港の検疫でも新種が見つかった。
オーストラリアから日本へのの帰国者も政府指定施設への隔離が決まった。
最初は3日間だったが、数日後NSW州からの帰国者は6日間へと延長された。
6日間のホテル生活の後、8日間の実家隔離になる。
計14日間。
本当に数日で状況が一変した。
最悪のタイミングだった。
調べなければならないことも、やらなきゃいけないことも倍増した。
本当に毎日ニュースを片っ端から見た。
空いている時間は全て調べごとに使った。
新種がそうとうの驚異で、再び世界が深刻な状況になるかもしれない。
ロンドンが再びロックダウンに入れば、来月イギリスに入国出来ない。
そうならばオーストラリアに居続けた方がいい。
日本に帰るよりはマシだと思う。
最終判断は帰国予定日の5日前にすることにした。
幸いなことに予約していた全日空は、全てのキャンセルと変更を無料で行うという神対応をしてくれた。
ギリギリで判断する。
実家にも会社にもそういう話しをした。
どうなるかは分からないにしても、シドニー最終日は日に日に近づいた。
毎日のように送別会的なことをした。
ずっと前から約束していた、ジェフの運転するバスに乗りに行く。
シドニーの中心QVBからバルメインの船着き場まで行き、帰ってくるという一往復を乗りに行った。
会社唯一のオーストラリア人のマシューと仕事終わりに二人で呑みに行き、今後の話しをして、いつかの約束をした。
前に働いていたレストランのオーナーにどうしても最後に呑みに行ってもらいたいとお願いして、焼き肉屋に連れて行ってもらい、たくさんの質問と、最後のお願いをした。
学校のエージェントでずっとお世話になっていた方に初めて会い、タイレストランに呑みに行った。
ずっとロックダウンで会えてなかった言語交換の友人と久しぶりに呑みに行った。
領事館に仕事中に行き、在留証明を発行してもらった。
税理士に会い、今後の年金の解約、税金の払い戻しの書類を提出した。
それ以外にも山ほどの書類仕事と、調べごとだった。
ただえさえ3年住んだオーストラリアからの撤退作業だけでもたくさんあるのに、この状況で倍増した。
そんなことを続けていたら最終出勤日になった。
12月9日、2年9ヶ月ぶりに無職になった。
このトラックで13ヶ月で5万km走った。
倉庫チームのジャック。
俺のルートを作ってくれるのは彼だった。
色々と助けてもらった。
同じ商店チームのアニーとミエ、受け付けのチズエさん。
アニーが直属のマネージャーで、仕事で問題が起こると毎回電話した。
この3人には山ほど配達先で電話した。
俺の積荷を作ってくれるジュン。
2度目のロックダウンはこの会社にいたから乗り切れた。
本当によくしてもらった。
ニュースを見続け、色々な事を調べ続け、最終的な判断は、予定通り一時帰国することにした。
イギリスはブースター摂取を加速させ、1月までに希望者には終わらせると発表した。
変異種も現段階では感染力は強いが重症化の率は低いと言われていた。
イギリスは毎日90万人検査しているし、ほとんどが無症状だった。
イギリスの首相はクリスマスパーティーはキャンセルせずにやるべきだと声明を出した。
誰と話しても、色々調べてもロンドンもシドニーもおそらくもうロックダウンはしない。
ひとまず来月にはしないと思う。
ロックダウンさえしなければ入国出来る。
現状は入国前と、入国後のPCR検査だけで入国出来る。
多少イギリスの状況が悪化して2週間隔離が必要になってもそれは受け入れる。
ならば予定通り一時帰国することにした。
日本の2週間隔離もしんどそうだけど仕方ない。
強制隔離施設も喫煙室を希望すれば煙草が吸えるというのも決め手になった。
無難策としてシドニーに残るかも何度も考えたが、心が一度変わってしまった以上、もう今の仕事をしたくなかった。
中国人や他のドライバーと言い合う毎日がもううんざりだった。
ここまで毎日色々なことをしてきて、考えてきたから、もう日本に帰りたかった。
退職した翌日、会社に給料を取りに行ったあと、ミサさんに誘っていただいて中心部に呑みに行った。
その翌日。
出国72時間前のPCR検査を受けに行く。
検査場はドライブスルー方式で、ジェフにお願いして連れて行ってもらった。
検査したのち、俺の家に寄って余った食材や家電をジェフにもらってもらう。
その後、ジェフの家の近くのカフェに行き、ジャック夫妻とお茶をする。
韓国は帰国してもワクチンを打っていれば隔離は無いらしい。
その後はナナちゃんとスティーブと合流してオリンピックパークでBBQをした。
ジェフ夫妻の愛犬、シャイビ。
夜は、最後に海が見たいとお願いして、ボンダイビーチのオーシャンビューのレストランに行く。
ジェフは最後にカラオケに行きたいと言い始めるが、もう遅いから次会った時にしようとなだめる。
夫妻は最後にアイスを食べていた。
ジェフに最後は送ってもらった。
車中ちょっと泣きそうになった。
別れ際、奥さんと長い話をする。
長くなったので1回切る。
次は出国前日からのこと。
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