20.8.17-12.13 973~1091日目 オーストラリア シドニー ⑧

話しは前後して10月初旬から11月初旬までのこと。



去年の11月末にマンダベラからシドニーに来た。
着いた2日後から、今のお店で働かせてもらってきた。
気がつけば11ヶ月が経っていて、ファーム生活より長くなっていた。
でも、そんなことも考えないくらい、ただただ毎日が過ぎていた。


10月初旬のある朝、いつものように10時半に出勤して、仕込みをしていた。
親子丼に使うタマネギを切っていたときに、手が止まってしまって、そこからしばらく考えた。
そこから3日3晩考えた。
言葉通り、3日間、3晩ずっと考えた。
3日過ぎた週末の夜、転職と引っ越しをすることを決めた。


タマネギを切っていた手が止まってしまって、そこから考えてしまったのには、たくさんの理由があった。
そこから本当に3日間たくさんの事を考えた。
この状況もある。
この先の見え無さもある。
肯定も否定も直感も、今までもこの先も、色々な事と理由がある。
考え続けた結果、決めた。





たぶん1番は、お金が貯まってしまったこと。
事故の保険金により、目標金額に到達したこと。
ただこの状況で再出発が出来ない、いつになるのか分からない。
今まではとにかく毎日働き、節約し、貯金してきた。
ただ、到達したことで前が見えなくなってしまった。
ただただ毎日何も考えずに働き続けることが、現状よく分からなくなってしまった。
そうなった時に、どうにかして前を見たくなった。

お店と、オーナー夫妻には恩と感謝しかない。
そもそも実家で30年近く前に働いていた方がオーナーで、そのツテだったりご縁だったり、実家のことがあったから、シドニーに来たし、着いてすぐから、ずっと働かせていただいた。
色々なことで優遇だってしてもらった。
ファームでの生活とは違い順調に貯金することが出来たし、ずっと食べられなかった日本食を毎日食べさせていただいた。

何より、3月のロックダウンの時に、たくさんの人が仕事を失い、先行きの見えない状況で、みんな帰国していった。
全体の7割近い外国人が帰国した。
そんな中、お店に残してくれて、食事と仕事をいただいた。
あの状況で時給を上げてくれたり色々対応してもらったおかげで、俺はまったく損失も出すこと無く、帰国することもなく、今まだオーストラリアにいられる。
なんて言っていいか分からないくらい、色々なことがある。

ビザが切れる2月までシドニーに滞在して、お店で働かせてもらおうとずっと決めていた。
それ以降もビザ次第ではとも、ずっと思っていた。


ただあの日の朝、何かが完全に切れてしまった。
お金が貯まったことだけでは無くて、たくさんのことを考えた結果だった。


3日後の日曜日の営業後、オーナーに話しをした。
この状況で俺が辞めて、お店に支障が出ることもたくさんある。
今この状況で求人を出してもシドニーには人がいない。
オーストラリア中の日本食レストランが深刻的な人手不足になっている。
俺が辞めたらスタッフ全員が定休日以外休めなくなる。
オーナーからは少し考えさせて欲しいと言われ、1週間後に承諾してもらった。
辞めるのは1ヶ月後の11月の1週目になった。






そこから改めて、今の状況と、この先のことを考えた。

まず、再び国境が開いて、再出発出来る時が来るのは、個人的にはそこまで遠い未来では無い気がしていた。
来年中かどうかは知らないけど、なんかいきなりそんな日が突然来て、急いで決めて、急いで荷造りするような日が来るんじゃないかと漠然と思っていた。

そんな時に備えて、色々と準備というか、少し色々戻したかった。
オーストラリアに来て1年9ヶ月。
特にシドニーに来てからは、本当に普通に生活をしていた。
この街に普通に住んでいた。
自分が世界一周旅行中であることを忘れてはいないけれど、日常生活の中ではほぼ感じることが無かった。

でも何度考えても、俺は現在バックパッカーで、その生活には戻れないけど、もう少し色々戻した感じにしたかった。
色々なことを。



この11ヶ月間、シドニーに普通に住んでいた。
お店と家があるニュートラルベイで週のほとんどを過ごしていた。
家とお店の間を歩くだけの毎日だった。

言葉は、たまに買い物に行ったときにレジで英語を使うぐらいで、日常のほとんどが日本語だった。
耳に入る言葉も。
食事も、ありがたいことに毎日日本食だった。
ほとんど買い物にも行かないし、バスや電車に乗ることも無かった。
家も1人部屋だし、同居人も全員日本人だから、新しい人に出会うことも無かった。

まずそういうことの全てを変えたかった。


次に、もう少し自由な時間が欲しかった。
今まで月曜日以外は仕事で、飲食店だから朝10時半から夜21時半まで。
中休みはあっても昼寝するのがほとんどだし。

もうお金はある。
仕事は続けるし、貯金は続けるけど、もう少し色々する時間が欲しくなった。



それと、もっと外の世界が見たかった。
色々なものが見たかった。
だいたいそのために日本を出たわけだし。
もうオーストラリア生活も長くないかもしれない。
ここも大事だった。






そこまで考えた時に、次にやりたい仕事はすぐに決まった。
問屋のデリバリードライバー。
お店で働いている時に、よく受け取りのチェックをしていたから、どんな感じかは知っていた。
配達車もよく見かけたし。

求人を探したら、お店に週に2回配達に来ていた、よく知っている会社の求人が出ていた。
辞める話しをした次の週に面接に行く。
結果は採用で、お店を辞める次の日から働くことになった。




次に家探し。
次の職場はシドニー北部の中心地、チャッツウッド。
買い物で2回くらい行ったことがある。
ただ職場は倉庫なので、だいぶ郊外にある。
中心部まで歩いたら1時間ぐらいかかるような場所。

出来れば職場まで歩いて行ける場所が良い。
毎日のバス代もけっこうかかる。

各サイトで家を探す。
条件は職場から徒歩圏なのと、日本人が少ない家。
今まであまり見てこなかった、オーストラリアの物件サイトも使う。

2日に分けて7軒の家を見に行く。
チャッツウッドは中国人が多い街で7軒中6軒はオーナーが中国人だった。
家賃も高いエリア。
ボロくて安い所から、高くて綺麗な所も見た。
結果、どの家でも別にいいなと思った。
設備面はどこも問題無い、余裕で住める。

そのなかでオーストラリアの物件サイトで見つけた、1番職場に近く、徒歩15分で通える家に決めた。
めちゃ綺麗だし、値段もそこまで高くは無い。
オーナー夫妻も良い人。
お店を辞める日の昼間に引っ越すことになった。


これでひとまずのこの先のことが決まる。
お店を辞めると決めてからここまで、2週間ぐらいのことだった。















そんな頃、11月頭の休日。
本当に休日に行く場所がもう無い。
たいした目的も無いが、シドニーから北に1時間、セントラルコーストに行ってみる。

ロングジェッティー。
海と繋がった入り江の湖。
長い桟橋がたくさんあった。



月曜日だし人もたいしていない。



そこから10分。
湖と海の接続部分、ジ・エントランス。


右が海で、左が湖。


中州には山ほど鳥たちがいる。


ここで有名なのは野生のペリカン。
デカい。
タウンホールの時みたいにエサやりをするが、ペリカンは食べなかった。




その後はビーチへ。




再びエントランスに戻る。



地元のおじさんが釣りをしていて、おこぼれを狙うペリカン達。




この先しばらくは色々とバタバタする。
休日に遊びに行くのもしばらく出来ないかもしれない。


色々あった11月上旬。
2週間で今までの事が大きく変わった。


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