1月31日
デリーから、インドとパキスタンの国境の街、アムリトサルへ向かう日。
今夜発の夜行列車で向かう。
前回この宿に泊まった時と同じように、チェックアウト後のアフターステイのお金を払って宿に夜までいさせてもらう。
共有スペースで、拓郎とこの先のルートを考えたり、観光地を地図に入力したり、行く場所を整理したりして過ごす。
同じ宿に、石川県でカレー屋をやっているご夫婦で、スパイスの買い付けで来ている方がいた。
色々な話しを聞いたり、買ったスパイスを見せてもらったりする。
そのご夫婦のオススメで宿から近くにあるお店に夕飯を食べに行く。
チキンロールのお店。
厚いクレープというか生地にチキンが挟んである。
80ルピー、130円。安い。
めちゃくちゃ美味しかった。なんでデリーを出る日にこういう新しい物を知るのか...。
もっと早く知りたかった...。
宿に戻ってシャワーだけ浴びて出発準備をする。
宿には2日前ぐらいから年配のご夫婦が泊まっていた。
会った時にはちょこちょこ話しをしていた。
3ヶ月ぐらいかけて東南アジアとインドを回っているらしい。
なんでも、旦那さんは20代の時に半年ほど仕事を休んで、ユーラシア大陸をバックパッカーとして回った事があるらしい。
今から40年ぐらい前の話し。すげぇ。
旦那さんは俺らに会う度に、ユーラシア大陸のあっちこっちの国境や、ルートの話しなんかを聞いてきた。
今の状況を話すと、当時の状況を教えてくれた。
40年前、今とは何から何まで違ったはず。
出発前、挨拶をすると、俺らの写真を撮ってくれた。
俺らの荷物を見て、本当に懐かしそうな顔をしてらっしゃった。
遠い昔を見ているような何とも言えない顔だった。
最後玄関まで見送っていただき、握手して別れた。
拓郎と歩きながら話したけど、40年後のバックパッカーはどうなっているんだろうと。
もっと国境とかビザとか楽になっているのだろうか。
移動がもっと簡単になっているのだろうか。
40年前より今の方が、比べものにならないぐらい簡単だろうし。
物価がもっと各国一緒になっていて、こんなに回れないかもしれない。
でも月とか行ってたらウケるよねと。
ただ荷物の量も、かく汗の量はそんなに変わらない気もする。
いつか40年後とかに、どこかの国の、どこかの安宿でそんな人に会えるだろうか。
その時は色々話しを聞いて、先輩面して40年前の話が出来るだろうか。
今回乗るのはニューデリー駅ではなく、7kmぐらい離れたニザムディン駅。
ニューデリー駅前で、リキシャと交渉する。
路線バスのが安いぜ!!と、いきなりまともな事を言われて爆笑する。
こんなリキシャの運転手初めて会ったけど、時間もあまり無いし、不安なので他のリキシャを探す。
相場は100~150ルピーらしい。
ニザムディン駅まで、二人で100ルピー、160円で決める。
駅はけっこう遠くて30分ぐらいで到着。
発車の30分ぐらい前に駅に着いた。
列車は20分ぐらい遅れて来た。
今回は4等寝台のSL席。アムリトサルまで445ルピー、800円ぐらい。
インド人二人組と席を換わり、俺が上段、拓郎が下段へ。
発車から2時間後ぐらいして、ふと下を見たら拓郎が大勢のインド人の若者に絡まれていた。
終始大騒ぎしていた。
2月1日
朝起きると、下段にいた拓郎がいない。
荷物はあるのでトイレにでも行ったかなと思うが、2時間経っても帰ってこない。
不安に思って、他の車両や他のベッドを探すが、どこにもいない。
どこか変な場所で降りて置いてかれたか、またインド人にどこかで絡まれているか。
何なのかよく分からないけど。
9時過ぎアムリトサルに到着。
結局拓郎は帰ってこなかった。
仕方が無いので、拓郎の荷物も持って外に出る。
どうなっているのかまったく分からず、途方に暮れていたら、5分ぐらいして、拓郎が同じ車両から降りてきた。
どうも夜中寒すぎて、他のブロックの上段席に移動したらしい。
それを俺が見つけられなかったみたいだった。
たしかにめちゃくちゃ寒かった。
まずは駅のチケット売り場に行き、2日後発の列車を聞くが、デリーまでは数日先までは、やはり満席らしい。
明日再び駅に来て、解放チケットを狙えとのことだった。
それだとその先に行くのに接続が微妙だった...。
デリーに再び滞在しなきゃかもしれなくなる。
ひとまずもう一度考えることにした。
駅の中にあったレストランで朝食。
店員さんにお勧めされた、どこだかの地方料理。
100ルピー、160円。すごい美味しかった。
外は土砂降りだった。
ここまでの大雨も久しぶり。
拓郎が予約してくれていた宿は駅から歩いて10分ぐらいでビショビショになりながら向かう。
土砂降りなので今日は何も出来ない。
宿について、風呂入って、洗濯して、二人とも寝不足なので寝る。
夕方起きる。
外は雨が上がっていたので、夜のゴールデンテンプルを見に行くことにする。
宿からゴールデンテンプルまでにはいくつかバス会社が並ぶ。
話しを聞くと、ここからジャイプールまでの夜行バスがあった。
値段的には列車の方が安いけど、デリーでの乗り換えやチケットの確保まで考えたら、直通の夜行バスの方が良い気がした。
夜遅く、バス会社のいくつかは閉まってしまっていたので、明日再び来てバスチケットを買うことにした。
夜だったけどたくさんの人で賑わっていた。
宿から歩いて30分、シク教の総本山、ゴールデンテンプルへ。
入り口で靴を脱ぎ、靴と靴下を預ける。
シク教の宗派の一つが完全に頭も布で隠さないといけないので、その宗派への配慮のため全ての人が頭に布をかぶる。
入り口で借りてかぶった。
頭がデカすぎて、大きい布を探すのに苦労する。
めちゃくちゃ綺麗。
四方を建物で囲まれた敷地の真ん中には池があり、その真ん中に寺院がある。
ここも3年ぐらい前にナショナルジオグラフィックの写真集で初めて知った場所。
シク教というのもその時初めて知った。
みんな時計回りに池の周りを歩いて回るので、一緒に回った。
シク教は16世紀に出来た宗教。インド全域に信者はいるが、この地域は大多数の人はヒンドゥーではなくシク教らしい。
シク教は信者数は世界で5番目に多いらしい。
男の人は頭にターバンを巻き、左手に銀のブレスレットをして、右腰に短刀を持っている。
ヒンドゥーの人はターバンは巻かない。
日本でインド人のイメージとされている、イラストや写真はヒンドゥーではなくシク教の人達のが多い。
それを言われて、アムリトサルに来て初めて気がついた。
たしかに。
熱心にお祈りをしている人達がたくさんいた。
池で朴浴している人達も。
池のある敷地から一度出る。併設している建物に食堂がある。
この食堂は無料で食事をいただくことが出来る。
1日10万食を提供するらしく、これは世界最多らしい。
シク教は、他宗教や流派は考え方は別でも、神は一つであるという考え方から他宗教は排除しないらしい。
なので俺らも同じように食事をいただくことが出来るという。
この食堂の存在は知っていたけど、俺はあまり食べるのに乗り気ではなかった。
ビビっているというか。
ただ拓郎が食べたいというので一緒に行った。
食堂に行くと、凄い人の数だった。
働いている方は全てボランティアらしい。
入り口で食器をいただいて中へ。
みんな並んで地べたにしゃがんで食べる。
待っているとメニューごとに配る方がいて、配膳してくれる。
ジャガイモのカレーと、豆のカレー。
ミルク粥とチャパティー2枚。
おかわりは自由。無くなるとどんどん配りに来てくれる。
チャパティーをもらうときに地べたに落ちてしまったが、それを食べないわけにはいかないので食べた。
じゃがいものカレーは凄い美味しかった。
ミルク粥がキツくて、拓郎が食べてくれた。
最後食器を返して外へ。
大きな洗い場とたくさんのボランティアの方。
拓郎は洗い物を手伝い、写真を取りに行っていた。
カメラを出すと、どんどん撮りな!!中も入って撮りなとみんな言ってくれる。
たくさんの野菜を切る人達。
ものすごい数の食器。
外国人観光客は少ないけど、欧米人達もいた。
みんな座ってご飯を食べる。
一人なら来なかった。拓郎と一緒で良かった。
再び池の方へ戻る。
拓郎に写真撮ってもらって。
出来損ないの海賊みたい。
寺院の中にも入れるが凄い行列だったのでやめた。
数時間かかるらしかった。
2月2日
昼間のゴールデンテンプルと、夕方は国境の応援合戦を見に行く日。
朝起きると、鼻水と咳が出る。
拓郎も体調が悪そうだった。
お互い一昨日の夜行列車が寒すぎて風邪をひいたみたいだった。
俺はインドに来て3度目の体調不良。
もはやずっと体調が悪い。
準備して出かける。
ゴールデンテンプルへの近道が、柵の小さな穴を潜って、線路を渡る道。
地図にも載っているし、地元の人もガンガン使う。
踏切とかじゃなく、ただ侵入して渡る。
途中にあるバス会社を回って、明日発の夜行バスを探す。
一番安い会社でジャイプール行きを買う。
スリーピングタイプで、ジャイプールまで13時間、1000ルピー、1600円。
これでジャイプールまで最速で行ける。何とかなった。
今日は日曜日で街中も人が多かった。
街角では剣を持って演舞みたいな催しがやっていた。
ゴールデンテンプルへ。
インドなんだけど、他の街とはどことなく違う。
どことなく穏やかな気がする。
ゴールデンテンプルの前の道は綺麗だし。
日曜の昼間なのでたくさんの人だった。
拓郎が今日も寺院でご飯を食べたいと言ったので今日も食堂で食事をいただく。
今日もたくさんの人。
昨日残して拓郎に食べてもらったので、今日は意図的にミルク粥を断った...。
こんな場所で好き嫌いとかマジで良くは無いけど...。
今日もじゃがいものカレーは抜群に美味しかった。
今まで食べたインドのおかずで一番美味しい。
昼間も綺麗。
池の周りはシク教の男の人が警備をしている。
全員デカい槍を持っている。
寺院入り口。
今日も凄い行列だった。
来れてよかった。
これでキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、シク教と信者数の多い宗教は全て聖地を見ることが出来た。
あとはイスラム教のメッカぐらいだけど、あそこは入れないし。
昼過ぎに寺院をあとにして国境に向かう。
ゴールデンテンプルの周りに国境行きの客引きが山ほどいたが、高い。
理想としてはローカルの乗り合いリキシャを探すことだった。
毎日山ほどの人が応援合戦を見に行く。絶対ローカルのがある気がした。
ひとまず駅前まで行って探してみることにした。
ただ駅前に行くがそれっぽいのが見つからない。
駅前のリキシャに聞いても乗り合いは無い、チャーターになると言われる。
時間も迫ってきていたので諦めて、ゴールデンテンプルの前の客引きのに乗ることにした。
再び戻り、客引きと交渉して値切って、一人往復100ルピー、160円。
10分待っていろと言われるが全然乗り合いの人が見つからなくて、出発まで30分待った。
やっと集まって13人乗ったギュウギュウのリキシャで出発。
他のインド人の乗客に聞いたら同じ値段だった。
国境までは30kmある。
スピードが遅いリキシャで、どんどん他のリキシャに抜かされる。
1時間ちょっとで到着。
応援合戦がやっているエリアには財布とカメラぐらいしか持ち込めないので、荷物預かりにカバンを預ける。
1つ100ルピー、高い、足元を見てくる。
他のインド人も同じ値段だから仕方ない。
国境までは降りた場所から2kmぐらい。
時間もだいぶ遅くなっていたので小走りで向かう。
しかし、入り口に着くと今日はもう終わりだと言われる...。
まだ中ではやっているけど、入り口は始めると閉まってしまうみたいだった...。
マジかと...。最悪だ...。
今日は諦めるしかない...。
荷物預かりに戻って、入れなかったんだけどと言うと、時間も遅いしね的なことを言われる...。
こいつ絶対もう入れないこと分かっていた...。
腹立つ...。
リキシャが同じだった他のインド人達も全員入れなかった。
みんなリキシャの運転手に文句を言っているが、この人は運転手で客引きとは違うし、どうにもならない...。
他のインド人に聞いても、払い戻しは難しいと、諦めるしかないらしい...。
ただただ往復3時間と、200ルピー損した...。
また明日、夜行バスまでに再度チャレンジするしかない...。
アムリトサルに戻り、初日に行ったレストランで夕飯。
チャーハン、120ルピー、200円。
微妙、石入ってたし。
宿に戻り、就寝。
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デリーから、インドとパキスタンの国境の街、アムリトサルへ向かう日。
今夜発の夜行列車で向かう。
前回この宿に泊まった時と同じように、チェックアウト後のアフターステイのお金を払って宿に夜までいさせてもらう。
共有スペースで、拓郎とこの先のルートを考えたり、観光地を地図に入力したり、行く場所を整理したりして過ごす。
同じ宿に、石川県でカレー屋をやっているご夫婦で、スパイスの買い付けで来ている方がいた。
色々な話しを聞いたり、買ったスパイスを見せてもらったりする。
そのご夫婦のオススメで宿から近くにあるお店に夕飯を食べに行く。
チキンロールのお店。
厚いクレープというか生地にチキンが挟んである。
80ルピー、130円。安い。
めちゃくちゃ美味しかった。なんでデリーを出る日にこういう新しい物を知るのか...。
もっと早く知りたかった...。
宿に戻ってシャワーだけ浴びて出発準備をする。
宿には2日前ぐらいから年配のご夫婦が泊まっていた。
会った時にはちょこちょこ話しをしていた。
3ヶ月ぐらいかけて東南アジアとインドを回っているらしい。
なんでも、旦那さんは20代の時に半年ほど仕事を休んで、ユーラシア大陸をバックパッカーとして回った事があるらしい。
今から40年ぐらい前の話し。すげぇ。
旦那さんは俺らに会う度に、ユーラシア大陸のあっちこっちの国境や、ルートの話しなんかを聞いてきた。
今の状況を話すと、当時の状況を教えてくれた。
40年前、今とは何から何まで違ったはず。
出発前、挨拶をすると、俺らの写真を撮ってくれた。
俺らの荷物を見て、本当に懐かしそうな顔をしてらっしゃった。
遠い昔を見ているような何とも言えない顔だった。
最後玄関まで見送っていただき、握手して別れた。
拓郎と歩きながら話したけど、40年後のバックパッカーはどうなっているんだろうと。
もっと国境とかビザとか楽になっているのだろうか。
移動がもっと簡単になっているのだろうか。
40年前より今の方が、比べものにならないぐらい簡単だろうし。
物価がもっと各国一緒になっていて、こんなに回れないかもしれない。
でも月とか行ってたらウケるよねと。
ただ荷物の量も、かく汗の量はそんなに変わらない気もする。
いつか40年後とかに、どこかの国の、どこかの安宿でそんな人に会えるだろうか。
その時は色々話しを聞いて、先輩面して40年前の話が出来るだろうか。
今回乗るのはニューデリー駅ではなく、7kmぐらい離れたニザムディン駅。
ニューデリー駅前で、リキシャと交渉する。
路線バスのが安いぜ!!と、いきなりまともな事を言われて爆笑する。
こんなリキシャの運転手初めて会ったけど、時間もあまり無いし、不安なので他のリキシャを探す。
相場は100~150ルピーらしい。
ニザムディン駅まで、二人で100ルピー、160円で決める。
駅はけっこう遠くて30分ぐらいで到着。
発車の30分ぐらい前に駅に着いた。
列車は20分ぐらい遅れて来た。
今回は4等寝台のSL席。アムリトサルまで445ルピー、800円ぐらい。
インド人二人組と席を換わり、俺が上段、拓郎が下段へ。
発車から2時間後ぐらいして、ふと下を見たら拓郎が大勢のインド人の若者に絡まれていた。
終始大騒ぎしていた。
大学か何かの大人数グループだったらしく、他の車両の友達達の所にもあっちこっち連れ回されて、色々もらって帰ってきた。
パキスタンはどう思うとか、インドの首相についてどう思うとか質問されまくって困ったらしい。
深夜までの途中の駅で人はどんどん降りていって、珍しくめちゃくちゃ空いていた。
深夜就寝。
寒くて何度も起きた。
2月1日
朝起きると、下段にいた拓郎がいない。
荷物はあるのでトイレにでも行ったかなと思うが、2時間経っても帰ってこない。
不安に思って、他の車両や他のベッドを探すが、どこにもいない。
どこか変な場所で降りて置いてかれたか、またインド人にどこかで絡まれているか。
何なのかよく分からないけど。
9時過ぎアムリトサルに到着。
結局拓郎は帰ってこなかった。
仕方が無いので、拓郎の荷物も持って外に出る。
どうなっているのかまったく分からず、途方に暮れていたら、5分ぐらいして、拓郎が同じ車両から降りてきた。
どうも夜中寒すぎて、他のブロックの上段席に移動したらしい。
それを俺が見つけられなかったみたいだった。
たしかにめちゃくちゃ寒かった。
まずは駅のチケット売り場に行き、2日後発の列車を聞くが、デリーまでは数日先までは、やはり満席らしい。
明日再び駅に来て、解放チケットを狙えとのことだった。
それだとその先に行くのに接続が微妙だった...。
デリーに再び滞在しなきゃかもしれなくなる。
ひとまずもう一度考えることにした。
駅の中にあったレストランで朝食。
店員さんにお勧めされた、どこだかの地方料理。
100ルピー、160円。すごい美味しかった。
外は土砂降りだった。
ここまでの大雨も久しぶり。
拓郎が予約してくれていた宿は駅から歩いて10分ぐらいでビショビショになりながら向かう。
土砂降りなので今日は何も出来ない。
宿について、風呂入って、洗濯して、二人とも寝不足なので寝る。
夕方起きる。
外は雨が上がっていたので、夜のゴールデンテンプルを見に行くことにする。
宿からゴールデンテンプルまでにはいくつかバス会社が並ぶ。
話しを聞くと、ここからジャイプールまでの夜行バスがあった。
値段的には列車の方が安いけど、デリーでの乗り換えやチケットの確保まで考えたら、直通の夜行バスの方が良い気がした。
夜遅く、バス会社のいくつかは閉まってしまっていたので、明日再び来てバスチケットを買うことにした。
夜だったけどたくさんの人で賑わっていた。
宿から歩いて30分、シク教の総本山、ゴールデンテンプルへ。
入り口で靴を脱ぎ、靴と靴下を預ける。
シク教の宗派の一つが完全に頭も布で隠さないといけないので、その宗派への配慮のため全ての人が頭に布をかぶる。
入り口で借りてかぶった。
頭がデカすぎて、大きい布を探すのに苦労する。
めちゃくちゃ綺麗。
四方を建物で囲まれた敷地の真ん中には池があり、その真ん中に寺院がある。
ここも3年ぐらい前にナショナルジオグラフィックの写真集で初めて知った場所。
シク教というのもその時初めて知った。
みんな時計回りに池の周りを歩いて回るので、一緒に回った。
シク教は16世紀に出来た宗教。インド全域に信者はいるが、この地域は大多数の人はヒンドゥーではなくシク教らしい。
シク教は信者数は世界で5番目に多いらしい。
男の人は頭にターバンを巻き、左手に銀のブレスレットをして、右腰に短刀を持っている。
ヒンドゥーの人はターバンは巻かない。
日本でインド人のイメージとされている、イラストや写真はヒンドゥーではなくシク教の人達のが多い。
それを言われて、アムリトサルに来て初めて気がついた。
たしかに。
熱心にお祈りをしている人達がたくさんいた。
池で朴浴している人達も。
池のある敷地から一度出る。併設している建物に食堂がある。
この食堂は無料で食事をいただくことが出来る。
1日10万食を提供するらしく、これは世界最多らしい。
シク教は、他宗教や流派は考え方は別でも、神は一つであるという考え方から他宗教は排除しないらしい。
なので俺らも同じように食事をいただくことが出来るという。
この食堂の存在は知っていたけど、俺はあまり食べるのに乗り気ではなかった。
ビビっているというか。
ただ拓郎が食べたいというので一緒に行った。
食堂に行くと、凄い人の数だった。
働いている方は全てボランティアらしい。
入り口で食器をいただいて中へ。
みんな並んで地べたにしゃがんで食べる。
待っているとメニューごとに配る方がいて、配膳してくれる。
ジャガイモのカレーと、豆のカレー。
ミルク粥とチャパティー2枚。
おかわりは自由。無くなるとどんどん配りに来てくれる。
チャパティーをもらうときに地べたに落ちてしまったが、それを食べないわけにはいかないので食べた。
じゃがいものカレーは凄い美味しかった。
ミルク粥がキツくて、拓郎が食べてくれた。
最後食器を返して外へ。
大きな洗い場とたくさんのボランティアの方。
拓郎は洗い物を手伝い、写真を取りに行っていた。
カメラを出すと、どんどん撮りな!!中も入って撮りなとみんな言ってくれる。
たくさんの野菜を切る人達。
ものすごい数の食器。
外国人観光客は少ないけど、欧米人達もいた。
みんな座ってご飯を食べる。
一人なら来なかった。拓郎と一緒で良かった。
再び池の方へ戻る。
拓郎に写真撮ってもらって。
出来損ないの海賊みたい。
寺院の中にも入れるが凄い行列だったのでやめた。
数時間かかるらしかった。
商店に寄って宿に戻る。
深夜就寝。
昼間のゴールデンテンプルと、夕方は国境の応援合戦を見に行く日。
朝起きると、鼻水と咳が出る。
拓郎も体調が悪そうだった。
お互い一昨日の夜行列車が寒すぎて風邪をひいたみたいだった。
俺はインドに来て3度目の体調不良。
もはやずっと体調が悪い。
準備して出かける。
ゴールデンテンプルへの近道が、柵の小さな穴を潜って、線路を渡る道。
地図にも載っているし、地元の人もガンガン使う。
踏切とかじゃなく、ただ侵入して渡る。
途中にあるバス会社を回って、明日発の夜行バスを探す。
一番安い会社でジャイプール行きを買う。
スリーピングタイプで、ジャイプールまで13時間、1000ルピー、1600円。
これでジャイプールまで最速で行ける。何とかなった。
今日は日曜日で街中も人が多かった。
街角では剣を持って演舞みたいな催しがやっていた。
ゴールデンテンプルへ。
インドなんだけど、他の街とはどことなく違う。
どことなく穏やかな気がする。
ゴールデンテンプルの前の道は綺麗だし。
日曜の昼間なのでたくさんの人だった。
拓郎が今日も寺院でご飯を食べたいと言ったので今日も食堂で食事をいただく。
今日もたくさんの人。
昨日残して拓郎に食べてもらったので、今日は意図的にミルク粥を断った...。
こんな場所で好き嫌いとかマジで良くは無いけど...。
今日もじゃがいものカレーは抜群に美味しかった。
今まで食べたインドのおかずで一番美味しい。
昼間も綺麗。
池の周りはシク教の男の人が警備をしている。
全員デカい槍を持っている。
寺院入り口。
今日も凄い行列だった。
来れてよかった。
これでキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、シク教と信者数の多い宗教は全て聖地を見ることが出来た。
あとはイスラム教のメッカぐらいだけど、あそこは入れないし。
昼過ぎに寺院をあとにして国境に向かう。
ゴールデンテンプルの周りに国境行きの客引きが山ほどいたが、高い。
理想としてはローカルの乗り合いリキシャを探すことだった。
毎日山ほどの人が応援合戦を見に行く。絶対ローカルのがある気がした。
ひとまず駅前まで行って探してみることにした。
ただ駅前に行くがそれっぽいのが見つからない。
駅前のリキシャに聞いても乗り合いは無い、チャーターになると言われる。
時間も迫ってきていたので諦めて、ゴールデンテンプルの前の客引きのに乗ることにした。
再び戻り、客引きと交渉して値切って、一人往復100ルピー、160円。
10分待っていろと言われるが全然乗り合いの人が見つからなくて、出発まで30分待った。
やっと集まって13人乗ったギュウギュウのリキシャで出発。
他のインド人の乗客に聞いたら同じ値段だった。
国境までは30kmある。
スピードが遅いリキシャで、どんどん他のリキシャに抜かされる。
1時間ちょっとで到着。
応援合戦がやっているエリアには財布とカメラぐらいしか持ち込めないので、荷物預かりにカバンを預ける。
1つ100ルピー、高い、足元を見てくる。
他のインド人も同じ値段だから仕方ない。
国境までは降りた場所から2kmぐらい。
時間もだいぶ遅くなっていたので小走りで向かう。
しかし、入り口に着くと今日はもう終わりだと言われる...。
まだ中ではやっているけど、入り口は始めると閉まってしまうみたいだった...。
マジかと...。最悪だ...。
今日は諦めるしかない...。
荷物預かりに戻って、入れなかったんだけどと言うと、時間も遅いしね的なことを言われる...。
こいつ絶対もう入れないこと分かっていた...。
腹立つ...。
リキシャが同じだった他のインド人達も全員入れなかった。
みんなリキシャの運転手に文句を言っているが、この人は運転手で客引きとは違うし、どうにもならない...。
他のインド人に聞いても、払い戻しは難しいと、諦めるしかないらしい...。
ただただ往復3時間と、200ルピー損した...。
また明日、夜行バスまでに再度チャレンジするしかない...。
アムリトサルに戻り、初日に行ったレストランで夕飯。
チャーハン、120ルピー、200円。
微妙、石入ってたし。
宿に戻り、就寝。
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