12月28日
デリー最終日。
最終日と言っても、この街はまた来るだろうからあれだけど。
そう思ってしまうと、あまり観光しに行く気が無くなる...。
正直、残っている観光地もあまり行きたいという気持ちが上がらない...。
昨日でだいぶ満足してしまった。
というか、インド広いし、観光都市も多いけど、タージマハルを見終わってしまうと、他はそこまで見所が無い...。
ジョードプルの青い街と、ガンジス川が見たいなぁ...ぐらい。
調べたり、読んだりしても、ありすぎて逆にどこに行けばいいかよく分からない...。
遺跡とか寺院とか多すぎるけど、正直どこもパッとしないというか...。
結局この日も昼過ぎまでグダグダ過ごす。
そして昨日から再びお腹の調子が良くない...。
このままグダグダしても良くないと思い昼過ぎから出かける。
結局、ジャイプール行きを断念して、俺と同じ列車でバラナシに向かうため駅にチケットを買いに行って帰ってきたミサコさんを誘って、歩いていける観光地へ出かける。
同じ列車が取れたらしい。2時間並んだらしい。
宿から歩いて2kmぐらい、30分ぐらい。
オフィス街の真ん中にあった。
アグラセン・キ・バーオーリー。階段井戸。
あまり期待もせず行ったから、見たときはオォーとなる。
無料だし。
下まで行くが、下には特に何も無い。
インドは古い階段井戸がちょこちょこ残っている。
西部にある、大きな正方形の奴は見に行きたい。
そこから、また歩いて1kmちょっと。
インド門。1911年にイギリス領時代にデリーに首都が移った時に出来たらしい。
デカいけども。門はたくさん見たし。
門の下は山ほどの人と、露天と物売りと物乞い。
ミサコさんがお婆さんの物売りにしつこく絡まれていてキレていた。
インドの物売りと物乞いは、目の前に立って掴んでくる奴がいるから疲れる...。
インド門の前からリキシャで帰る。二人で40ルピー、64円。
宿の近くで降りて、酒屋へ買い物へ向かう。
酒屋まではリキシャの事務所が並ぶ通りを歩く。
リキシャって個人営業じゃないんだ。
道端は大量のゴミと、牛や色々な動物たち。
インドはほとんどの人がヒンドゥー教なので、お酒を呑まない。
街の商店では売っていない。
ただ少ないけど酒屋はある。堂々とはしていない。
宿から徒歩15分圏内に2軒あった。
お店はカウンター形式で、商品の名前を言うと出してくれる。
たくさんの男の人で賑わっていた。
昔なんだかの番組で見た通りだった。
禁止だけど、どの街にも路地裏に酒屋はあって賑わっていると。
男達はみんなウイスキーを買っていった。
俺らもビールと1番安いウイスキーを買って帰る。
この先の街で酒屋が見つからないかもしれないので多めにウイスキーを買う。
宿に戻り、夕食。
チリチキン定食。美味しかった。
1本400ルピー、640円のウイスキー。
甘い。
宿の共有スペースでミサコさんと呑んでいたら、宿のスタッフさんが柿ピーをくれた。
とてもとても嬉しかった。
深夜、就寝。
12月29日
夜行列車でデリーからバラナシに移動する日。
朝食を食べて、荷造りをする。
宿は追加料金を払えば共有スペースにいられるルールだった。
夜19時発なので宿にいさせてもらう。
昼食も宿で食べる。
チキンマリネ定食。選択をミスした、大量のキュウリだった...。
1週間ぐらい泊まったデリーの日本人宿。
温かいシャワーを求めて移動した日にダウンして、宿で日本食も食べれて、移ってきて正解だった。
何も文句が無い場所だった。スタッフさん優しいし。
またデリーに戻ったらここに来ると思う。
ご飯を食べた後、共有スペースにいると、宿が同じ人達がインド映画を映画館に見に行くという。
インド映画、みんなで踊るやつ。
それをインドの映画館で見ると、めちゃくちゃ面白いらしい。
インド人みんな歌って踊るらしい。
話しの内容も、言葉が分からなくても分かるぐらいストーリーはシンプルらしい。
今日が新作の封切りらしい...。
俺は断り、ミサコさんは見に行った。
一人で写真整理をしたりしていると、咳が出る...。体がだるい...。
やっと食あたりが治ったところなのに。
夕方までそのまま寝た。
起きたら映画組が帰ってきていた。
めちゃくちゃ面白かったらしい。
映画館大盛り上がりだったらしい。
もったいないことをしたかな...。
宿で再び夕食を食べて、風呂に入って荷造りして出発。
ニューデリー駅へ歩いて向かう。
ミサコさんは2等寝台を取っていた。
俺は3等。ホームで別れる。
列車は満席だった。
通路にも、扉の前のスペースにも人が溢れていた。
3等は布団も枕も無い。ベッドがあるだけ。
作りは中央アジアやコーカサスで乗ったやつと一緒。
デリー始発で、まだベッドでは無く、椅子状態だった。
自分の番号へ行くと、隣は宿が同じだった日本語ペラペラの台湾人だった。
それ以外はもう一人台湾人とフランス人。
あと二人はインド人だった。
発車時間間近に、また宿が同じだった二人組が来る。
どうも座っていたインド人二人はチケットが無いのに座っていたらしい。
二人組がどかす。
じゃあ詰めて4人で座ろうみたいな感じで自然に座ってくるので、再びどかす。
聞いていた通りだった。
外国人席はまとめて同じブロックになるみたいだった。
列車は定刻に出発。
しばらくすると切符確認で車掌が来て、「列車内は危ない、荷物から目を離すなよ。」と言われる。
21時にベッドタイプへ切り替え。
ガンジーのドキュメンタリーと、なぜか数日前から踊る大捜査線を見返していて、2時ぐらいまでそれらを見て、就寝。
12月30日
結局、寒すぎて何度も起きる。
1時間寝ては寒くて起きて、また寝てを繰り返す。
朝方5時を過ぎると、どっかの駅から乗ってきた物売りが列車の中を再び歩き回り始める。
みんな「チャイ、チャイ。」と大声で連呼するので、寝ても起きる。
今日もインドは全力でうるさい。
6時過ぎ、田舎のよく分からない駅で長時間停車する。
バラナシまでは、あと10kmも無い。
煙草を吸いに外に出る。
再び出発して、30分ほどで到着。
着いたのは町外れにあるManduadih駅。
列車を降りた時点からリキシャの客引きに囲まれる。
ミサコさんと合流するため、ミサコさんの乗っていた車両へ向かう。
降りてくるのを待っている間も客引きがしつこい。
次から次へ来る。
ここまで、たくさんの街に行ったけど、客引きの数だと断トツに多い気がする。
普段は返事もせずに無視して流すけど、多すぎて返事して断り続ける。
一人あまりにしつこい奴がいた。
あまりに客引きが多かったのと、寝起きすぎて、イライラしすぎて持っていた寝袋で叩いて追い払う。
少しするとミサコさんも降りてくる。
2等客室の話しを聞くと、暑くて上着を脱いで寝ていたらしい。
切符を持っているのか分からない客もいないし、床で寝ている人もいなかったらしい。
お金の力って凄い。
駅の外に出ると、再び客引きが寄ってくる。
先に外に出た、同室だった二人がいた。
話しを聞くと、リキシャの客引きと、宿まで100ルピーで話しがまとまった所だった。
俺らも便乗させてもらう。
客引きと再び交渉。
4人で100ルピーはさすがに通じない。
2人で100ルピーだから、4人なら200ルピーだと言われる。
交渉して、4人で120ルピー、200円で決める。
未だに、相場がつかめない。
タージマハルでは倍の距離で半分の値段だった。
逆にデリーでは高かった。
バラナシも寒かった。
デリーより少し寒いか、同じぐらいか。
街はデリーより田舎になって、道はアスファルトから土が増えた。
そしてめちゃくちゃ道を歩く動物が増えた。
話しでも聞いていたし、有名だけど、牛がめちゃくちゃいる。
豚も、馬も、猿も多い。
道に落ちている糞も多い。
20分ほどで宿の近くの交差点に到着。
宿まではここから1kmも無い。
降りたら、列車で一緒だった他の人もリキシャでちょうど同じ場所に着いたいた。
値段を聞くと、二人で40ルピーだったらしい。
マジで相場が分からない...。
予約していた宿は、デリーに続き同じサンタナのバラナシ店。
日本人宿。
交差点から歩いて15分ぐらいだった。
宿までの道は、デリーよりも汚く。
道端で売っている物が変わり、物乞いが増え、露天の食堂がより汚くなった。
今まで色々な街に行った。
着いた時は最初は毎回緊張はする。
ただ、ここまで緊張して、不安になったのは初めてだった。
インド、バラナシ。
聖地。
思っていたし、分かっていたけど、混沌としていた。
宿までは細い道を歩き、途中に牛がいたりもした。
牛と糞を避けながら宿へ向かう。
着いたのは8時過ぎだった。
チェックインは12時だったけど部屋に入れてもらえた。
ノンビリして、風呂入って、宿で昼食を食べる。
ラーメンを頼んで、これにご飯も頼む。
130ルピー、190円。
美味しかった。
食べて、洗濯して、眠くて寝る。
起きたら夕方だった。
今日は何もせず。
夕食も宿で食べる。
夜はお好み焼きとご飯。
最強だった、めちゃくちゃ美味しかった。
食後はコーラを買いに商店へ行く。
バラナシは聖地なのもあり、街全体が酒の販売禁止。
ただ商店に行くと、小さい声でウイスキーもビールもあるよと言われる。
ビールのアルコール度数を聞いたら、1.5%らしい。
バラナシだからなのか。
宿に戻って、何人かで些細な話しをしながらウイスキーを呑んで、深夜就寝。
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デリー最終日。
最終日と言っても、この街はまた来るだろうからあれだけど。
そう思ってしまうと、あまり観光しに行く気が無くなる...。
正直、残っている観光地もあまり行きたいという気持ちが上がらない...。
昨日でだいぶ満足してしまった。
というか、インド広いし、観光都市も多いけど、タージマハルを見終わってしまうと、他はそこまで見所が無い...。
ジョードプルの青い街と、ガンジス川が見たいなぁ...ぐらい。
調べたり、読んだりしても、ありすぎて逆にどこに行けばいいかよく分からない...。
遺跡とか寺院とか多すぎるけど、正直どこもパッとしないというか...。
結局この日も昼過ぎまでグダグダ過ごす。
そして昨日から再びお腹の調子が良くない...。
このままグダグダしても良くないと思い昼過ぎから出かける。
結局、ジャイプール行きを断念して、俺と同じ列車でバラナシに向かうため駅にチケットを買いに行って帰ってきたミサコさんを誘って、歩いていける観光地へ出かける。
同じ列車が取れたらしい。2時間並んだらしい。
宿から歩いて2kmぐらい、30分ぐらい。
オフィス街の真ん中にあった。
アグラセン・キ・バーオーリー。階段井戸。
あまり期待もせず行ったから、見たときはオォーとなる。
無料だし。
下まで行くが、下には特に何も無い。
インドは古い階段井戸がちょこちょこ残っている。
西部にある、大きな正方形の奴は見に行きたい。
そこから、また歩いて1kmちょっと。
インド門。1911年にイギリス領時代にデリーに首都が移った時に出来たらしい。
デカいけども。門はたくさん見たし。
門の下は山ほどの人と、露天と物売りと物乞い。
ミサコさんがお婆さんの物売りにしつこく絡まれていてキレていた。
インドの物売りと物乞いは、目の前に立って掴んでくる奴がいるから疲れる...。
インド門の前からリキシャで帰る。二人で40ルピー、64円。
宿の近くで降りて、酒屋へ買い物へ向かう。
酒屋まではリキシャの事務所が並ぶ通りを歩く。
リキシャって個人営業じゃないんだ。
道端は大量のゴミと、牛や色々な動物たち。
インドはほとんどの人がヒンドゥー教なので、お酒を呑まない。
街の商店では売っていない。
ただ少ないけど酒屋はある。堂々とはしていない。
宿から徒歩15分圏内に2軒あった。
お店はカウンター形式で、商品の名前を言うと出してくれる。
たくさんの男の人で賑わっていた。
昔なんだかの番組で見た通りだった。
禁止だけど、どの街にも路地裏に酒屋はあって賑わっていると。
男達はみんなウイスキーを買っていった。
俺らもビールと1番安いウイスキーを買って帰る。
この先の街で酒屋が見つからないかもしれないので多めにウイスキーを買う。
宿に戻り、夕食。
チリチキン定食。美味しかった。
1本400ルピー、640円のウイスキー。
甘い。
宿の共有スペースでミサコさんと呑んでいたら、宿のスタッフさんが柿ピーをくれた。
とてもとても嬉しかった。
深夜、就寝。
12月29日
夜行列車でデリーからバラナシに移動する日。
朝食を食べて、荷造りをする。
宿は追加料金を払えば共有スペースにいられるルールだった。
夜19時発なので宿にいさせてもらう。
昼食も宿で食べる。
チキンマリネ定食。選択をミスした、大量のキュウリだった...。
1週間ぐらい泊まったデリーの日本人宿。
温かいシャワーを求めて移動した日にダウンして、宿で日本食も食べれて、移ってきて正解だった。
何も文句が無い場所だった。スタッフさん優しいし。
またデリーに戻ったらここに来ると思う。
ご飯を食べた後、共有スペースにいると、宿が同じ人達がインド映画を映画館に見に行くという。
インド映画、みんなで踊るやつ。
それをインドの映画館で見ると、めちゃくちゃ面白いらしい。
インド人みんな歌って踊るらしい。
話しの内容も、言葉が分からなくても分かるぐらいストーリーはシンプルらしい。
今日が新作の封切りらしい...。
俺は断り、ミサコさんは見に行った。
一人で写真整理をしたりしていると、咳が出る...。体がだるい...。
やっと食あたりが治ったところなのに。
夕方までそのまま寝た。
起きたら映画組が帰ってきていた。
めちゃくちゃ面白かったらしい。
映画館大盛り上がりだったらしい。
もったいないことをしたかな...。
宿で再び夕食を食べて、風呂に入って荷造りして出発。
ニューデリー駅へ歩いて向かう。
ミサコさんは2等寝台を取っていた。
俺は3等。ホームで別れる。
列車は満席だった。
通路にも、扉の前のスペースにも人が溢れていた。
3等は布団も枕も無い。ベッドがあるだけ。
作りは中央アジアやコーカサスで乗ったやつと一緒。
デリー始発で、まだベッドでは無く、椅子状態だった。
自分の番号へ行くと、隣は宿が同じだった日本語ペラペラの台湾人だった。
それ以外はもう一人台湾人とフランス人。
あと二人はインド人だった。
発車時間間近に、また宿が同じだった二人組が来る。
どうも座っていたインド人二人はチケットが無いのに座っていたらしい。
二人組がどかす。
じゃあ詰めて4人で座ろうみたいな感じで自然に座ってくるので、再びどかす。
聞いていた通りだった。
外国人席はまとめて同じブロックになるみたいだった。
列車は定刻に出発。
しばらくすると切符確認で車掌が来て、「列車内は危ない、荷物から目を離すなよ。」と言われる。
21時にベッドタイプへ切り替え。
ガンジーのドキュメンタリーと、なぜか数日前から踊る大捜査線を見返していて、2時ぐらいまでそれらを見て、就寝。
12月30日
結局、寒すぎて何度も起きる。
1時間寝ては寒くて起きて、また寝てを繰り返す。
朝方5時を過ぎると、どっかの駅から乗ってきた物売りが列車の中を再び歩き回り始める。
みんな「チャイ、チャイ。」と大声で連呼するので、寝ても起きる。
今日もインドは全力でうるさい。
6時過ぎ、田舎のよく分からない駅で長時間停車する。
バラナシまでは、あと10kmも無い。
煙草を吸いに外に出る。
再び出発して、30分ほどで到着。
着いたのは町外れにあるManduadih駅。
列車を降りた時点からリキシャの客引きに囲まれる。
ミサコさんと合流するため、ミサコさんの乗っていた車両へ向かう。
降りてくるのを待っている間も客引きがしつこい。
次から次へ来る。
ここまで、たくさんの街に行ったけど、客引きの数だと断トツに多い気がする。
普段は返事もせずに無視して流すけど、多すぎて返事して断り続ける。
一人あまりにしつこい奴がいた。
あまりに客引きが多かったのと、寝起きすぎて、イライラしすぎて持っていた寝袋で叩いて追い払う。
少しするとミサコさんも降りてくる。
2等客室の話しを聞くと、暑くて上着を脱いで寝ていたらしい。
切符を持っているのか分からない客もいないし、床で寝ている人もいなかったらしい。
お金の力って凄い。
駅の外に出ると、再び客引きが寄ってくる。
先に外に出た、同室だった二人がいた。
話しを聞くと、リキシャの客引きと、宿まで100ルピーで話しがまとまった所だった。
俺らも便乗させてもらう。
客引きと再び交渉。
4人で100ルピーはさすがに通じない。
2人で100ルピーだから、4人なら200ルピーだと言われる。
交渉して、4人で120ルピー、200円で決める。
未だに、相場がつかめない。
タージマハルでは倍の距離で半分の値段だった。
逆にデリーでは高かった。
バラナシも寒かった。
デリーより少し寒いか、同じぐらいか。
街はデリーより田舎になって、道はアスファルトから土が増えた。
そしてめちゃくちゃ道を歩く動物が増えた。
話しでも聞いていたし、有名だけど、牛がめちゃくちゃいる。
豚も、馬も、猿も多い。
道に落ちている糞も多い。
20分ほどで宿の近くの交差点に到着。
宿まではここから1kmも無い。
降りたら、列車で一緒だった他の人もリキシャでちょうど同じ場所に着いたいた。
値段を聞くと、二人で40ルピーだったらしい。
マジで相場が分からない...。
予約していた宿は、デリーに続き同じサンタナのバラナシ店。
日本人宿。
交差点から歩いて15分ぐらいだった。
宿までの道は、デリーよりも汚く。
道端で売っている物が変わり、物乞いが増え、露天の食堂がより汚くなった。
今まで色々な街に行った。
着いた時は最初は毎回緊張はする。
ただ、ここまで緊張して、不安になったのは初めてだった。
インド、バラナシ。
聖地。
思っていたし、分かっていたけど、混沌としていた。
宿までは細い道を歩き、途中に牛がいたりもした。
牛と糞を避けながら宿へ向かう。
着いたのは8時過ぎだった。
チェックインは12時だったけど部屋に入れてもらえた。
ノンビリして、風呂入って、宿で昼食を食べる。
ラーメンを頼んで、これにご飯も頼む。
130ルピー、190円。
美味しかった。
食べて、洗濯して、眠くて寝る。
起きたら夕方だった。
今日は何もせず。
夕食も宿で食べる。
夜はお好み焼きとご飯。
最強だった、めちゃくちゃ美味しかった。
食後はコーラを買いに商店へ行く。
バラナシは聖地なのもあり、街全体が酒の販売禁止。
ただ商店に行くと、小さい声でウイスキーもビールもあるよと言われる。
ビールのアルコール度数を聞いたら、1.5%らしい。
バラナシだからなのか。
宿に戻って、何人かで些細な話しをしながらウイスキーを呑んで、深夜就寝。
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