1月28日
拓郎がオマーンからインドに来るのを待つ。
デリーは前回来たし、まだ見てない場所もあったけど、そこまで興味が沸く場所でも無かったので宿で待つことにした。
昼は宿でオムライスを食べる。
午後は日記書いたりして過ごす。
夕方、拓郎から連絡が来る。
明日の飛行機でデリーに着くらしい。
思っていたより数日早かった。
着いてからのことは、会ってから決めることにした。
夕飯を食べに外へ。
行ったことの無いレストランに入った。
チャーハンと揚げモモ。230ルピー、370円。
ここ最近で一番不味かった...。シンプルに不味かった...。
チャーハンに石入っていたし。揚げモモめちゃ固いし。
酒屋に行ってウイスキー買って帰る。
8円のピーナッツと16円のクッキー。ここ最近はこればっか。
本当は長期で回りたかったけど、色々な事情で3ヶ月で世界を一周している人と話しながら呑んだ。
バンドが好きな方だった。
次がトルコらしく、トルコの情報を渡す。
1月29日
昨日謎に呑みすぎた。
二日酔いだった。
パレスチナのベツレヘムでバスが一緒で少し話した人が宿にいた。
2ヶ月ぶりぐらいに会った。
その人はエジプト、ギリシャを回ってインドに来たらしい。
こういうことがたまにある。
世間話を屋上で長々していたら、拓郎が到着した。
去年の5月、モンゴルのウランバートルで俺はモンゴル中央部を回るツアーに参加するため、参加者が集まるのを待っていた。
やっと集まった参加者の一人が、台湾から来た拓郎だった。
それとアルゼンチン人のマリアだった。
3人で1週間のツアーを回った。
その後、中国の呼和浩特までトータル10日間一緒に行動した。
その後拓郎は中国を回った。
俺が先を行く形だった。
拓郎は俺より日本出発が3ヶ月ぐらい後だった。
拓郎はその後、東南アジアと中央アジア、コーカサス、トルコ、中東を回り、オマーンからインドに来た。
ちょこちょこ連絡は取っていた。
俺が先に行っていたから情報を渡すこともあった。
インドが重なりそうだという話しは2ヶ月ぐらい前からしていた。
そこからは頻繁に連絡をしていた。
俺は今まで何百人も日本人のバックパッカーに会ってきた。
世界一周する人は、1日に3人日本を出発するらしい。
その統計が正しければ、常時1500人前後の日本人世界長期旅行者がいることになる。
まぁだいたいそれぐらいな気もする。
1週間や10日間一緒に回った人は今までたくさんいた。
最近だとデリーからバラナシまでミサコさんと一緒だった。
今までの中で、本当に長期一緒に回り、お互いこの先も長い付き合いになりそうな人、お互いをよく理解している人、頻繁に連絡を取る人はそこまで多くない。
たっくんとミホさんのカップル。中央アジアからトルコまで回った、タカくんとトモくん。
それと拓郎だった。
たっくんと拓郎は同い年だし。
ここまで本当にたくさんの人に出会ってきたけど、拓郎はビックリするぐらい考え方が同じ人だった。
世界一周に対する考え方から、何から何まで近かった。
拓郎もそう思ってくれていた。
モンゴルでの10日間で本当にビックリした。
分かるよ、俺もそう思うってことが多すぎた。
一番共通するのが、二人とも今自分がやっていることをとことん、これは旅ではなく旅行だと思っていた。
別に旅だと思っている人を否定するつもりも、二人とも一切ないところも一緒だった。
拓郎は中日ドラゴンズのファンで、俺は日本ハムファイターズファンだった。
お互い毎日野球ニュースを見るのも一緒だった。
ずっと会いたかった。
モンゴルの草原で、満天の星空にたくさん流れ星が流れて、二人で笑いながら安全にこの先も回れますようにとお願いした。
別れるときに、いつかどこかの別の大陸で会おうと約束した。
残念ながら二人ともペースが遅すぎて、ユーラシア大陸だけど。
ここまでペースが遅く、というかまったく一緒なのも拓郎だけだった。
二人とも山ほど色々あったけど、ひとまず生きていた。
8ヶ月ぶり。
話したいことは山ほどあった。
ひとまずこの先の予定を話した。
俺のインドビザはあと2週間ちょっとで終わる。
俺が出国するまで、拓郎は一緒に回ると言ってくれた。
この先は西部から南部を回る。
拓郎はその後、他のインドや周辺国を回る。
正直西部と南部で2週間は時間が無さ過ぎる。
それでももっと回りたくなったら、スリランカにでも行って、インドに入り直す。
それはその時決める。
次の行き先は、拓郎が前から行きたいと言っていた、インドとパキスタンの国境の街、アムリトサルにすることにした。
インドの少数宗教、シク教の総本山の街。
総本山の寺院の写真は、何年か前に見て知っていた。
拓郎は、国境で毎日夕方にひらかれる、インドとパキスタンの軍隊の応援合戦が見たいらしい。
パキスタンとはめちゃくちゃ仲が悪いのに、毎日応援合戦をするらしい。
国境で応援合戦というのも意味不明だった。
俺もシク教の総本山が見てみたかったし、アムリトサルにした。
拓郎と、明日二日酔いになってもいいと思えるぐらい、今夜はとことん呑もうと決めた。
夜、酒屋に行きウイスキーを買う。
ニューデリー駅に行き、明後日発でデリー発アムリトサル行きの夜行のチケットを買う。
4等で買えた。
その後、宿のスタッフさんにオススメされたチキンシズラを食べに行く。
宿から歩いて15分ぐらいの場所で、1階がバンドの生演奏でインドの曲を歌っていて、綺麗なお姉さん達が暇そうに待機していた。
お金持ってそうなインド人男性が数人、客でいた。
いわゆるキャバクラみたいなお店だった...。
何故かここの料理が美味しいらしい。
というか、誰がどうやって、ここを発見したんだ...。
オススメされなければ入らない。
今夜だけは豪遊しようと決めて、ビールも頼む。
ただ1階が、バンドがうるさいので2階に座ったが、それでも音がデカかった。
会話がままならない。
チキンシズラ。
チキンにデミグラスソースみたいな、それとはまた違うようなソース。
インドに住んでいる人でも、食べ歩いたがここのソースが一番美味しいらしい。
めちゃくちゃ美味しかった。
羊肉のビリヤニ。どこでも食べれるやつ。
インドのチャーハン。これも美味しかった。
ビールも大瓶で3本頼んで一人600ルピー、1000円。
こんなに贅沢したのも久しぶり。
宿に戻ってからも、屋上で深夜まで呑み続けた。
この8ヶ月間のお互いのこと。
これからのこと。
話すことは山ほどあった。
通ってきたルートも似ている。
お互いの、あそこはこうだった、ここはこうだったという話しが尽きない。
久しぶりだったけど、相変わらず。
思っていることが一緒すぎる。
今日からしばらく一緒にインドを回る。
ずっと楽しみだったし。
最近一人でグダグダすることが多かったし。
2時過ぎに寝た。
1月30日
昼頃起きる。
宿で親子丼を食べる。
アムリトサルより先のルートを考える。
その次に行きたい街は位置的に考えれば、巨大井戸が近いジャイプール。
ただ、アムリトサルからジャイプールは直通列車が無いっぽい。
位置関係から考えてもデリーに一度戻る必要がありそうだった。
アムリトサルからデリー、デリーからジャイプールで列車時刻を調べる。
ジャイプールから先の行く街も調べる。
その後は青の街、ジョードプルに決める。
砂漠の街、ジャイサルメールは似たような景色なので行かないことにする。
その先はアーメダバード、ゴア、ハンピと抜けられれば。
そこまで来ると、俺のビザのリミットも分からない。
そんなルートでしばらくは進むことにした。
明日以降は移動と観光の繰り返しになりそうだった。
夕方からは、拓郎はデリーの市内に散歩に行った。
俺は日記を書いたり、他の日本人と喋っていたら夜になった。
夜拓郎が帰ってきて、アムリトサルからジャイプールまでのチケットを買いに出かける。
窓口で聞くと、この先5日間ぐらいは満席らしい...。
デリーからは空いているが、アムリトサルからは混んでいると。
ただ、インドの列車は各列車、100席ほどを要人や政府機関の職員や研究者のために押さえているらしい。
何か急用が出来たときに対応に出来るようにと。
それが、発車前日の午前に余った分が解放されるらしい。
前日の10時に窓口に行って、解放をチケットを狙え、たぶん買えるからとのことだった。
不安だ...。今までこの存在は知っていたけど避けてきた。
不確定だから、3日前ぐらいに買っていた。
本当にインドの職員は言ってることが全員適当だしなぁ...。
今回の人も数日後の列車はろくに調べずに、満席だよと言われたし。
まぁアムリトサルに着いてから、どうにかするしかない。
なんとかなる...。
酒屋に寄って、この先しばらくの分を買い込む。
拓郎がまだカレーを食べてないのでカレー屋へ。
最近は日本食や中華、洋食ばかり食べてきた。
一緒に行く人がいれば、インド料理が増えるし、色々食べられる。
外でカレーを食べるのも久しぶり。1ヶ月ぶり。
チキンカレー、ライスとチャパティ2枚頼んで、230ルピー、370円。
カレーは美味しかった。二度とインド米は頼まないと決めていたのに...。
再び激しく後悔した...。
インドのカレーは地方によって違うし、お店によって全然違うらしい。
とにかく油の量が日本のカレーの10倍ぐらい入っているらしい。
油も使い回したのを入れるから、それでお腹を壊すと。
あとスパイスも。
道端でサモサ揚げている油とか真っ黒だし。
宿に戻り、二人とも日記書いたりして寝る。
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拓郎がオマーンからインドに来るのを待つ。
デリーは前回来たし、まだ見てない場所もあったけど、そこまで興味が沸く場所でも無かったので宿で待つことにした。
昼は宿でオムライスを食べる。
午後は日記書いたりして過ごす。
夕方、拓郎から連絡が来る。
明日の飛行機でデリーに着くらしい。
思っていたより数日早かった。
着いてからのことは、会ってから決めることにした。
夕飯を食べに外へ。
行ったことの無いレストランに入った。
チャーハンと揚げモモ。230ルピー、370円。
ここ最近で一番不味かった...。シンプルに不味かった...。
チャーハンに石入っていたし。揚げモモめちゃ固いし。
酒屋に行ってウイスキー買って帰る。
8円のピーナッツと16円のクッキー。ここ最近はこればっか。
本当は長期で回りたかったけど、色々な事情で3ヶ月で世界を一周している人と話しながら呑んだ。
バンドが好きな方だった。
次がトルコらしく、トルコの情報を渡す。
1月29日
昨日謎に呑みすぎた。
二日酔いだった。
パレスチナのベツレヘムでバスが一緒で少し話した人が宿にいた。
2ヶ月ぶりぐらいに会った。
その人はエジプト、ギリシャを回ってインドに来たらしい。
こういうことがたまにある。
世間話を屋上で長々していたら、拓郎が到着した。
去年の5月、モンゴルのウランバートルで俺はモンゴル中央部を回るツアーに参加するため、参加者が集まるのを待っていた。
やっと集まった参加者の一人が、台湾から来た拓郎だった。
それとアルゼンチン人のマリアだった。
3人で1週間のツアーを回った。
その後、中国の呼和浩特までトータル10日間一緒に行動した。
その後拓郎は中国を回った。
俺が先を行く形だった。
拓郎は俺より日本出発が3ヶ月ぐらい後だった。
拓郎はその後、東南アジアと中央アジア、コーカサス、トルコ、中東を回り、オマーンからインドに来た。
ちょこちょこ連絡は取っていた。
俺が先に行っていたから情報を渡すこともあった。
インドが重なりそうだという話しは2ヶ月ぐらい前からしていた。
そこからは頻繁に連絡をしていた。
俺は今まで何百人も日本人のバックパッカーに会ってきた。
世界一周する人は、1日に3人日本を出発するらしい。
その統計が正しければ、常時1500人前後の日本人世界長期旅行者がいることになる。
まぁだいたいそれぐらいな気もする。
1週間や10日間一緒に回った人は今までたくさんいた。
最近だとデリーからバラナシまでミサコさんと一緒だった。
今までの中で、本当に長期一緒に回り、お互いこの先も長い付き合いになりそうな人、お互いをよく理解している人、頻繁に連絡を取る人はそこまで多くない。
たっくんとミホさんのカップル。中央アジアからトルコまで回った、タカくんとトモくん。
それと拓郎だった。
たっくんと拓郎は同い年だし。
ここまで本当にたくさんの人に出会ってきたけど、拓郎はビックリするぐらい考え方が同じ人だった。
世界一周に対する考え方から、何から何まで近かった。
拓郎もそう思ってくれていた。
モンゴルでの10日間で本当にビックリした。
分かるよ、俺もそう思うってことが多すぎた。
一番共通するのが、二人とも今自分がやっていることをとことん、これは旅ではなく旅行だと思っていた。
別に旅だと思っている人を否定するつもりも、二人とも一切ないところも一緒だった。
拓郎は中日ドラゴンズのファンで、俺は日本ハムファイターズファンだった。
お互い毎日野球ニュースを見るのも一緒だった。
ずっと会いたかった。
モンゴルの草原で、満天の星空にたくさん流れ星が流れて、二人で笑いながら安全にこの先も回れますようにとお願いした。
別れるときに、いつかどこかの別の大陸で会おうと約束した。
残念ながら二人ともペースが遅すぎて、ユーラシア大陸だけど。
ここまでペースが遅く、というかまったく一緒なのも拓郎だけだった。
二人とも山ほど色々あったけど、ひとまず生きていた。
8ヶ月ぶり。
話したいことは山ほどあった。
ひとまずこの先の予定を話した。
俺のインドビザはあと2週間ちょっとで終わる。
俺が出国するまで、拓郎は一緒に回ると言ってくれた。
この先は西部から南部を回る。
拓郎はその後、他のインドや周辺国を回る。
正直西部と南部で2週間は時間が無さ過ぎる。
それでももっと回りたくなったら、スリランカにでも行って、インドに入り直す。
それはその時決める。
次の行き先は、拓郎が前から行きたいと言っていた、インドとパキスタンの国境の街、アムリトサルにすることにした。
インドの少数宗教、シク教の総本山の街。
総本山の寺院の写真は、何年か前に見て知っていた。
拓郎は、国境で毎日夕方にひらかれる、インドとパキスタンの軍隊の応援合戦が見たいらしい。
パキスタンとはめちゃくちゃ仲が悪いのに、毎日応援合戦をするらしい。
国境で応援合戦というのも意味不明だった。
俺もシク教の総本山が見てみたかったし、アムリトサルにした。
拓郎と、明日二日酔いになってもいいと思えるぐらい、今夜はとことん呑もうと決めた。
夜、酒屋に行きウイスキーを買う。
ニューデリー駅に行き、明後日発でデリー発アムリトサル行きの夜行のチケットを買う。
4等で買えた。
その後、宿のスタッフさんにオススメされたチキンシズラを食べに行く。
宿から歩いて15分ぐらいの場所で、1階がバンドの生演奏でインドの曲を歌っていて、綺麗なお姉さん達が暇そうに待機していた。
お金持ってそうなインド人男性が数人、客でいた。
いわゆるキャバクラみたいなお店だった...。
何故かここの料理が美味しいらしい。
というか、誰がどうやって、ここを発見したんだ...。
オススメされなければ入らない。
今夜だけは豪遊しようと決めて、ビールも頼む。
ただ1階が、バンドがうるさいので2階に座ったが、それでも音がデカかった。
会話がままならない。
チキンシズラ。
チキンにデミグラスソースみたいな、それとはまた違うようなソース。
インドに住んでいる人でも、食べ歩いたがここのソースが一番美味しいらしい。
めちゃくちゃ美味しかった。
羊肉のビリヤニ。どこでも食べれるやつ。
インドのチャーハン。これも美味しかった。
ビールも大瓶で3本頼んで一人600ルピー、1000円。
こんなに贅沢したのも久しぶり。
宿に戻ってからも、屋上で深夜まで呑み続けた。
この8ヶ月間のお互いのこと。
これからのこと。
話すことは山ほどあった。
通ってきたルートも似ている。
お互いの、あそこはこうだった、ここはこうだったという話しが尽きない。
久しぶりだったけど、相変わらず。
思っていることが一緒すぎる。
今日からしばらく一緒にインドを回る。
ずっと楽しみだったし。
最近一人でグダグダすることが多かったし。
2時過ぎに寝た。
1月30日
昼頃起きる。
宿で親子丼を食べる。
アムリトサルより先のルートを考える。
その次に行きたい街は位置的に考えれば、巨大井戸が近いジャイプール。
ただ、アムリトサルからジャイプールは直通列車が無いっぽい。
位置関係から考えてもデリーに一度戻る必要がありそうだった。
アムリトサルからデリー、デリーからジャイプールで列車時刻を調べる。
ジャイプールから先の行く街も調べる。
その後は青の街、ジョードプルに決める。
砂漠の街、ジャイサルメールは似たような景色なので行かないことにする。
その先はアーメダバード、ゴア、ハンピと抜けられれば。
そこまで来ると、俺のビザのリミットも分からない。
そんなルートでしばらくは進むことにした。
明日以降は移動と観光の繰り返しになりそうだった。
夕方からは、拓郎はデリーの市内に散歩に行った。
俺は日記を書いたり、他の日本人と喋っていたら夜になった。
夜拓郎が帰ってきて、アムリトサルからジャイプールまでのチケットを買いに出かける。
窓口で聞くと、この先5日間ぐらいは満席らしい...。
デリーからは空いているが、アムリトサルからは混んでいると。
ただ、インドの列車は各列車、100席ほどを要人や政府機関の職員や研究者のために押さえているらしい。
何か急用が出来たときに対応に出来るようにと。
それが、発車前日の午前に余った分が解放されるらしい。
前日の10時に窓口に行って、解放をチケットを狙え、たぶん買えるからとのことだった。
不安だ...。今までこの存在は知っていたけど避けてきた。
不確定だから、3日前ぐらいに買っていた。
本当にインドの職員は言ってることが全員適当だしなぁ...。
今回の人も数日後の列車はろくに調べずに、満席だよと言われたし。
まぁアムリトサルに着いてから、どうにかするしかない。
なんとかなる...。
酒屋に寄って、この先しばらくの分を買い込む。
拓郎がまだカレーを食べてないのでカレー屋へ。
最近は日本食や中華、洋食ばかり食べてきた。
一緒に行く人がいれば、インド料理が増えるし、色々食べられる。
外でカレーを食べるのも久しぶり。1ヶ月ぶり。
チキンカレー、ライスとチャパティ2枚頼んで、230ルピー、370円。
カレーは美味しかった。二度とインド米は頼まないと決めていたのに...。
再び激しく後悔した...。
インドのカレーは地方によって違うし、お店によって全然違うらしい。
とにかく油の量が日本のカレーの10倍ぐらい入っているらしい。
油も使い回したのを入れるから、それでお腹を壊すと。
あとスパイスも。
道端でサモサ揚げている油とか真っ黒だし。
宿に戻り、二人とも日記書いたりして寝る。
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